二本松城 [5/6] 慶長期から江戸後期までの様々な様式が混在する本丸石垣

二本松城前回までの二本松城 訪問記。

少年隊の丘を越えて、調査復元整備事業で見事に蘇った搦手門石垣、本丸石垣を見る。特に山上の本丸石垣の迫力は見事!巨大な天守台のようにも見えるがこの石垣の上全体が本丸という。


<訪問記>

nihonmatsu-9331本丸周囲には石垣を積み上げた櫓台が3つ設置されている。入って右奥の石垣が、天守台。左に建つのは戊辰戦争時に城内で自決した城代 丹羽和左衛門と勘定奉行 安部井又之丞の供養碑。の説明板。説明板にはリアルな割腹の様子が書かれておりビックリ。

nihonmatsu-9332a-9346では石段をあがり、天守台へ。

nihonmatsu-9333天守台の上。見晴らしはかなり良い。

nihonmatsu-9334天守台からは両翼に土塁が延び、その先には隅櫓台がある。奥は東櫓台。

nihonmatsu-9335こちらの奥は西櫓台。多聞櫓で天守と両櫓が繋がっていた風の土塁が残るも、詳細不明。

nihonmatsu-9336天守台の上から見下ろした本丸全景。御殿を建てるには狭いが、何かしらの建物が建っていたことだろう。

nihonmatsu-9345結構広い本丸と、その向こうに広がる眺望の感じをあらわすため、超広角で撮影。大活躍。

nihonmatsu-9350本丸入口虎口を、本丸内から見下ろす。鉄砲狭間付きの土塀で囲まれていれば、攻めてくる敵兵はこのとおり撃ち放題。しかし史実では、新政府軍が二本松城を攻撃した時点で藩兵のほとんどは出払っており城内には殆ど兵が残っておらず(そのため少年隊が出陣嘆願することになる)、僅かな時間で落城したという。

nihonmatsu-9355本丸を降りて、本丸周囲の石垣を見て回る。東側の石垣。かなり高い。平成の修理でほとんど解体修理されたため、江戸以前のものではない。

nihonmatsu-9361それにしてもすごい迫力。ついつい真下から見上げる構図で撮ってしまう。これは登れない。そして鈍角に曲がる石垣(左方)。鈍角部分の石材加工が見事。隅石はやっぱ五角形になっているのだろうか?

nihonmatsu-9355a-9354タイルを埋め込んで造った説明碑。戊辰戦争では城内・家中屋敷の全てを焼失した、とのこと。また本丸修理前の時点では殆ど石垣が地上に無く、失われたと思われていたが、平成3年の発掘調査で地中より東面〜北面で約80mに及ぶ遺構が検出。様式も慶長期の野面積み(穴太積み)から江戸後期の様式まで様々だったとか。

nihonmatsu-9356では石垣に沿って北面へ向かう。飛び出ている部分の上は天守台。

nihonmatsu-9357天守台の向こう側には検出した慶長期の野面積み石垣が「移築復元」されている。

nihonmatsu-9358旧石垣 説明タイル。調査の結果、左右および上部は江戸後半に積み直されていたが、中央下部は慶長期の野面積みそのままだったという。しかし半数が破損、上部を復元すると恐らく下部は耐えられないとのことから、全面的に新しい石材に置き換え、旧石材はこうして少し離れた場所に当時の配置のまま移築復元したという。すばらしい!

nihonmatsu-9359天守台。この下部中央が慶長期の野面積み石垣だったとのことで、復元に際してもその手法をそのまま採用。確かに、下の方は加工されていない丸いままの石が積まれ、上部や左右は表面を加工した打込み接ぎ様式による石垣となっていることが分かる。

実は本丸周囲には西側下部に「二段石垣」という遺構が残っているのだが、現地で見逃してしまう。地図はよく見ながら城めぐりしよう(反省)。このまま本丸を後にした。

 

nihonmatsu-9363では本丸から降りていく。真っ直ぐ行くと本丸駐車場で城外に出てしまうようなので、右下に降りる。

nihonmatsu-9365道の脇には古い石積みがところどころ残っていた。河原石のような丸いままの石積み。

nihonmatsu-9366本丸南面の崖の下には「大石垣」が残っている。道から少し外れ、崖の真下に向かう。石碑があるところの上あたりがその大石垣のようだ。

nihonmatsu-9370石碑あたりから上を見る。確かに、緑に埋もれながらも石垣が見える。右側と左上の両方に違うスタイルの石垣が見えるが、恐らく左上の方が「大石垣」? 右側の石垣にはネットが掛けられていた。

nihonmatsu-9370a-9367本丸下南面大石垣 説明タイル。見て分かる通り、野面積みの古い石垣で、慶長期に蒲生氏郷によって穴太衆らにより築かれたのではと見られている。(蒲生氏郷は近江の出身。ダムに沈んだ日野中野城主)

nihonmatsu-9371大石垣(左奥の明るい場所がそう)から少し降りると、井戸が残っていた。日本の三井とも称される「日影の井戸」だとか。説明板を見てみよう。

nihonmatsu-9371a-9373日影の井戸 説明板。深さ16m、更に岩盤をえぐって北方に14m続く、L字型の変わった井戸のようだ。中を覗いてみよう。

nihonmatsu-9372日影の井戸 内部の様子。目の粗い鉄網が掛けられていたのでピントを井戸の石積みに合わせて無理やり撮影。井戸の中は今も水をたたえていた。

>> 二本松城 [6/6] へ続く。<<


“奥州仕置之旅顛末記”(2014年に敢行した3泊4日東北11城訪問の旅)へのリンクは こちら
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訪問時期:2014年10月
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