二本松城 [2/6] 二層櫓・櫓門・多聞櫓が一式復元された箕輪門へ。

二本松城前回までの二本松城 訪問記。

二本松神社で古絵図を確認してから、旧大手門があった坂道を上がって城へ向かう。

約20分で箕輪門前へ到着。


<訪問記>

箕輪門前へ。

nihonmatsu-9197箕輪門へ通じる石段の前には「二本松少年隊」と名付けられた銅像群が建つ。

nihonmatsu-9197a-9196幕末 戊辰戦争の際、周囲の反対を押し切って嘆願し出陣した13歳から17歳までの少年兵62名が居た。彼らは後に二本松少年隊と呼ばれたという。戊辰戦争での悲劇の少年兵といえば会津若松城の白虎隊が有名だが、ここ二本松にも同じような話があった。激戦地大壇口に出陣し、隊長以下ほとんどが討ち死にした木村隊が特に有名なようだ。

nihonmatsu-9198二本松少年隊の勇士。すごい迫力。

nihonmatsu-9199a-9211 では、石段をあがって箕輪門へ向かおう。100名城スタンプは左の小さな観光案内所にあった。城内マップもここで貰った。ちなみに現在朝8時前、まだ案内所は閉まっている時間だが、たまたまスタッフの方が出勤されたタイミングに遭遇したので、お願いしてマップとスタンプを貰うことが出来た。ありがたや。

nihonmatsu-9200 石段の右側、松の木の近くに、二本松城跡の石碑がある。目立たない。

nihonmatsu-9213石段の下からでは、櫓の横姿しか見えないが、この辺りまで来ると櫓門部分が見えてくる。門の前にはいろいろ案内板が建っている。

nihonmatsu-9214史跡二本松城跡 案内板。山麓の三ノ丸エリアと、山上の本丸エリアがあり、城跡はかなり広い。

nihonmatsu-9215霞ヶ城公園 二本松城址 説明板。なんだかかなり古い感じだが、平成七年に本丸石垣の復元工事が完成と記載がある。

nihonmatsu-9227坂の最上部あたりには、大城代 内藤四郎兵衛 討死之地 の石碑がある。戊辰戦争の際、城門を開いて敵勢に斬り込み、獅子奮迅の末、壮絶な戦死を遂げた、とある。

nihonmatsu-9228いよいよ箕輪門 櫓門へ。坂の突き当り、門の左側の石垣が櫓門の屋根より高いという珍しい構造。

nihonmatsu-9229a-9216箕輪門 説明板。二本松城の正門にあたり、丹羽氏入部時の藩主 丹羽光重公による建築。戊辰戦争で焼失したが、昭和57年に再建された。

nihonmatsu-9229b-9232石段上部の幅は思ったほど広くなく、箕輪門 櫓門と二層櫓部の全景を一枚の写真に収めるのが難しい。超広角レンズで何とか収まった。

nihonmatsu-9230箕輪門 櫓門。門の前に菊の花が飾ってあるのは、菊人形展の開催時期が近いから。

nihonmatsu-9232a-9234箕輪門 櫓門を内側から。右側の多聞櫓がまるで三層櫓の高さから見下ろす位置にあることが分かる。

nihonmatsu-9233箕輪門をくぐって、城内へ。箕輪門の内側は、かなり大きな枡形状になっていて、左側の長い石垣を越えると三ノ丸になる。立派な松がずらりと植えられている。

nihonmatsu-9235三ノ丸へ上がる虎口。

nihonmatsu-9236石垣の上にかなり立派な枝を持つ松の巨木があった。

nihonmatsu-9238三ノ丸への虎口はぐるっと180°回転していた。これは攻めづらい。

nihonmatsu-9239この先は三ノ丸。訪問時は菊人形展の準備期間中ということで、会場となる三ノ丸一帯はロープで区切られ立ち入りがそこそこ制限されていた。とりあえず、まっすぐは進めなさそうなので、矢印に従い右へ。

nihonmatsu-9240とはいえ三ノ丸にもいろいろ石垣が残っていて、見て歩くのも楽しい。

nihonmatsu-9241a-9243ここでまたマップ入りの小さな標柱を発見。三ノ丸下段・上段を経て、池エリアへ向かい、そこから本丸へ上がろうと思う。

nihonmatsu-9242三ノ丸の周囲は復元された土塀で囲まれていた。下は箕輪門横の駐車場。土塀に土の地面、松の木と、まさに御城な雰囲気。

>> 二本松城 [3/6] へ続く。<<


“奥州仕置之旅顛末記”(2014年に敢行した3泊4日東北11城訪問の旅)へのリンクは こちら
<弘前城/根城/八戸城/盛岡城/志波城/多賀城/仙台城/山形城/米沢城/二本松城/会津若松城>


訪問時期:2014年10月
– – – – – – – –
城めぐり関連ブログ人気投票参加中. いつも投票アリガトウ!

このブログは果たして何位でしょうか? (=゚ω゚)ノ

広告

二本松城 [2/6] 二層櫓・櫓門・多聞櫓が一式復元された箕輪門へ。” への5件のフィードバック

  1. やはりここは懐かしいですね。
    35年前くらいに お隣の本宮に住んでいたのですよ。
    良く親に二本松城にあったアスレチックに連れて行ってもらっていたのですが,この整備の感じですと消えたかな?

    1. Konishiさん、コメントありがとうございます。
      当時そのアスレチックはどこにありましたか?三ノ丸?本丸?
      今回は一部(観光会館、中世城郭の土塁跡等)を除いてほぼ全域めぐってきましたが、遊具類はありませんでした。
      それもまた二本松城跡の歴史の一ページですね。貴重な情報ありがとうございます。

      1. 本名でしか投稿できなかったのですがKonishi(→こにる)です。
        小学校1年性の時だったので,どこの曲輪かさっぱり覚えてませんが 三ノ丸くらいでしょうね。
        ちなみに行ってた小学校が本宮城だったなんて大人になってから知った驚いたもんです。

  2. おおっ こにるさんでしたか、こちらにもお越し頂きありがとうございます。
    三ノ丸は、訪問時は時期柄すっかり菊人形会場になってましたが、菊人形やってないときは、もしかしたら何か設置されているのかもしれませんね。貴重な情報ありがとうございます〜。

    # 城跡の小学校に通ってたなんて羨ましい限りです。城跡は行政系の土地になることが多かったので、特に尋常小学校なんかがよく建てられててそのまま現行の小学校や中学校になった所も多いと聞きます。

  3. 箕輪門と周辺の櫓は模擬建築だと想われます。知る範囲の二本松城絵図には、あのような櫓と城門の描写はなかったと記憶しています。

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中