米沢城 [4/4] 謙信公、鷹山公ら上杉家代々当主が眠る廟所へ。

米沢城前回までの米沢城 訪問記。

銅像ストリートを過ぎて本丸内を散策。上杉神社、春日神社、菱門橋、宝物殿(時間切れで閉館済)を見て回るも城の遺構らしきものは無し。土塁を切るように伸びる車道も、当時からの虎口なのか明治以降に造られたものか分からず。やはり米沢城跡としては内堀と土塁のみと思ったほうが良さそうだ。


<訪問記>

yonezawa-9123a-9111上杉伯爵邸を出て東へ向かうと、旧二ノ丸の広い場所が岡のように造成されていて、その上に近代的な建物が建っている。米沢市上杉博物館、通称 伝国の杜。鷹山公の「伝国の辞」に掛けているのだろう。中はお土産屋さんや企画展(訪問時はムーミン展をやっていて子供で賑わっていた)のスペースとなっているが、常設展で上杉氏の米沢入部以降の遺品などが展示されているという。

yonezawa-9125入館は16時半まで!ということで、ぎりぎりセーフ(この写真のタイムスタンプは16時27分)。中は一部の文化財展示エリアやムービーエリアを除いて写真OK。とてもキレイに展示がされている。しかし私以外は全員ムーミン展のお客さんで常設展は貸切状態。入館料410円。

yonezawa-9126武者行列のジオラマ。戦国ジオラマ大好き。この旗印は雁金(かりがね)。雁の家紋は柴田勝家が用いたことで有名だが、一節によると直江兼続も用いていた可能性があるそうだ。

yonezawa-9128こちらは赤い装いの馬に乗る武将。先ほどが直江兼続なら、こちらは上杉景勝? 天地人!

yonezawa-9130上杉家米沢藩に伝わる、狩野永徳の「洛中洛外図屏風」。織田信長から上杉謙信へ贈られたと伝わる。もちろん国宝。この中はさすがに写真NG。現地で現物を見よう!

yonezawa-9132米沢城下 絵図。上が北。

yonezawa-9132a-9139常設展もう1つの見所、米沢城下ジオラマ!町人や農民がところ狭しと動きまわる姿がリアルに再現されている。ガラスパネルが多少邪魔だが、へばりついて見る。ジオラマは町民たちと同じ目線に立って見るのが定石。ではジオラママクロショットへ。

yonezawa-9133米沢城下 町人街の様子。石積みの排水溝が築かれている。「太物」は着物屋さんのこと。

yonezawa-9137手編みのざるを売る商人。風車を手にする親子連れ。江戸時代〜!

yonezawa-9140a-9124常設展はこれぐらいにして、外へ出てきた。上杉博物館の中には何と能舞台が復元されていた。前の説明板によると、何とこの能舞台はホバークラフトの要領で浮き上がらせて運ぶことが出来るそうで、イベント時は奥のホールなどに舞台ごと移動するのだとか。

yonezawa-9141能舞台の前にあった、2009年天地人 時代の米沢市ゆるキャラ「かねたん」。うーむ。

上杉博物館を見終えて、16時50分。さすがに疲れてきたので、また2km先の駅まで歩く気力もなく、博物館前に居たタクシーに乗る。すると、なんとそのタクシーの運ちゃんは観光タクシーもやっているそうで、今から上杉家廟所に行くなら連れて行くよ!説明もするよ!との有り難いご提案を頂いて、運ちゃんガイドの元、上杉家廟所へお参りすることとなった。旅の出逢い。

yonezawa-9143街中をタクシーでガイドしていただきながら、約10分で上杉家廟所へ到着。到着時は17時、入場は16時半までだったのだが、運ちゃんと廟所受付の方が知り合いで「俺がガイドするから!」の一言で入場OK。旅の出逢い。拝観料350円はちゃんと納めました。ちなみにこの門は出るときは閉ざされていたため裏口から出ました。

参考まで、上杉神社(米沢城跡)からここ廟所までは1.6kmほどあり、とても歩いて巡る場所ではないとか。

yonezawa-9145では廟所の中へ。高い杉の木に囲まれた参道を歩く。一気に空気感が変わる。ひんやり。しーん。

yonezawa-9147上杉家廟所 説明板。初代 謙信公から12代までの歴代城主の廟所が並ぶ。ちなみに寺ではないので墓所ではなく「廟所」と呼ぶそうだ。

yonezawa-9148廟所の奥へと進んでゆく。往時はこの参道の途中に拝殿があり、現在はその拝殿の建物を利用して近くに資料館が建てられているとか(廟所からの出土品などが展示されているらしいが未見)。

yonezawa-9149米沢藩主 上杉家墓所 説明板。あれ?廟所ではなく墓所となっている。どうやら国指定史跡の名称が墓所のようだ。ここは江戸の頃より「御廟(ごびょう)」と呼ばれてきたので、本来は廟所と呼ぶのが正しいそう。廟所は中央に謙信公、左側に二代 景勝公、そこから左右交互に三代、四代・・・と最後の十二代まで続くそうだ。ちなみによくみると廟屋の形が違うが、二代から八代までは火葬、九代以降は土葬のため、廟屋の形もそれに合わせて異なるとのこと。どう異なるかは実際に見て確認してみよう。

yonezawa-9150s米沢城跡にあったのと同じ、毘沙門天と龍の旗を越えて、廟所へ。

yonezawa-9151廟所内 右側。三代から十一代までの廟所が一列に並ぶ。

yonezawa-9152廟所内 左側。二代 景勝公から十二代までの廟所が並ぶ。

yonezawa-9152a-9155中央に鎮座する、上杉謙信公の廟所。謙信公の遺骸は甲冑姿で瓶の中に納められ、漆で固められているという。その瓶が、奥に見える墓石の地下に眠るという。

yonezawa-9153また、廟所は当初 二代景勝公から順に建てられ、謙信公の御堂は米沢城内にあった。そのため、廟所参道も江戸時代は二代景勝公の廟屋に向かって伸びていたという。それが明治になって謙信公の廟屋が建てられそれが中央となったため、道を曲げて造り直したのだとか。参道は曲げられたが、参道に続く町内の道は曲げられなかったため、廟所内から外を見ると、道が曲がって見える。なるほど!

yonezawa-9154廟所向かって左側の奥には、ひとつだけ奥に小さな御堂がある。これは鷹山公の世子(嫡男)顕孝の墓で、わずか19歳で病で亡くなったことを鷹山公が哀れんで廟所の奥まったところに御堂を造ったという。

yonezawa-9156鷹山公廟所。上杉家では二代目以降、代々この地で火葬され位牌を納めて廟所にしていたが、十代藩主 鷹山公(治憲)の父 九代藩主が亡くなった際、儒教の考道上、親を火葬にするのは忍びないとして土葬に変更したという。そこから十二代までは土葬された。そのため、火葬時代の八代までは入母屋造り(屋根が寺と同じ形)、九代以降は宝玉造り(屋根が三角柱)となっている。確かに、写真を見ると鷹山公廟と右隣の廟とで、形が大きく異なることが分かる。

yonezawa-9158廟所は横に長く、全体像を収めるのは難しい。目一杯引いて、超広角で無理やり撮影。こんな感じ。

yonezawa-9160廟所の周囲は高い杉の木に囲まれている。パンフによると御廟の杜の巨木は戦中戦後に掛けてかなり伐採されており、江戸時代の姿とはかなり改変されてしまっているという。それでもこれだけの杉木立の中に、整然と並ぶ歴代藩主の廟屋は、謙信公以降一時代を築いた上杉家の歴史を今に伝えてくれている。この空気、ぜひ現地で感じて頂きたい。


“奥州仕置之旅顛末記”(2014年に敢行した3泊4日東北11城訪問の旅)へのリンクは こちら
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訪問時期:2014年10月

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