仙台城 [5/6] 復元脇櫓と対向石垣から失われた大手門を想像する。

仙台城前回までの仙台城 訪問記。

1日目は日没サスペンデッド。2日目。ちょっとゆっくり目の朝8時過ぎにホテルを出て城跡へ。駅近くから歩いて行くのでそこそこ時間が掛かる。8時50分 大橋到着。三ノ丸の堀跡や門跡、土塁などを見てから大手門へ。


<訪問記>

Part5は大手門前からスタート。

sendai-8759古い字体の仙臺城址 石碑。「臺」は「台」の旧字で、江戸幕府の砲台跡である「台場」の石碑にも「臺場」と書かれていることがある。(参考:品川台場 part3)

sendai-8759a-8767大手門跡 説明板。幅19.7m、高さ12.5mと巨大な櫓門だった。なんとあの名護屋城(佐賀)の大手門を移築したと伝わる(「移した」ではなく「写した」つまり似せて造った、の誤りとする話もある)。維新や大火も乗り越えて来たが、残念ながら昭和20年の米軍無差別爆撃により脇櫓と共に焼失。しかしこの説明板によると、門北側の石垣上に残る土塀は焼け残ったもので、城内に残る唯一の建造物とのこと(ただし屋根も壁も修復はされている)。

sendai-8759b-8768案内板に掲載されていた、在りし日の仙台城 大手門と隅櫓。一階は木造の柱や壁が露出する、近代城郭初期の櫓門タイプ(例:弘前城)。個人的には、江戸城や大阪城で見られる「一階が切込み接ぎの石垣なタイプ」より、こちらのほうが戦闘的な雰囲気があって、好き。

sendai-8759c-8773現在の大手門跡。左側の櫓は復元された脇櫓。上の写真を見ると、脇櫓に大手門の左端が接続している。右側は石垣に接続はしておらず少し隙間があり土塀が塞いでいた模様。左の脇櫓から右の石垣の手前あたりまでほぼ塞ぐかたちで巨大な二階建ての櫓門が建っていたのか。すごい迫力。

sendai-8760a-8766大手門の迫力を想像したところで、右側に見えていた石垣の方へ。道を渡ると、三ノ丸に建っていた史跡碑とともに、奥に銅像がある。

sendai-8761銅像は、支倉常長(はせくら つねなが)公。手に巻物のようなものを持ち、腰に手を当てている。仙台城とのゆかりについて、銅像裏の説明プレートを見てみる。

sendai-8761a-8764支倉常長公は「慶長遣欧使節」として藩主 伊達政宗の命によりヨーロッパへ渡り、実際にローマ教皇と謁見を果たした人物という。慶長18年(1613)、太平洋・大西洋を横断してヨーロッパへ渡り、ローマ教皇に謁見。資料によると2年かかってスペインへ上陸、そこからは陸路でローマまで行き、その後はローマやスペイン等で数年間通商交渉を行い、元和6年(1620)に帰国。しかし日本は禁教令でキリスト信者は排除される方向だったため、交渉も失敗に終わってしまった。不運。

sendai-8762a-8765支倉公の銅像裏手あたりには深い空堀のような穴があった。

sendai-8763銅像付近から見る石垣、土塀、復元脇櫓。

sendai-8769米軍の無差別爆撃でも焼け残ったという大手門脇の土塀。しかし説明板にあったとおり、壁および屋根はその後修復されているため、往時のものは土塀の内部だけかもしれない。

sendai-8771 土塀の石垣 東面。キレイに切りそろえられた石材が横一列に積まれている。切込み接ぎ 布積みと言われる手法。

sendai-8774再度 道を渡って脇櫓側へ。車道は封鎖されており、歩行者のみ通行可(と言いつつ自転車もどんどん入っていた)、この先の石垣が崩落したことで車両通行止めになっているようだ。崩落箇所は城跡の入口(護國神社の石鳥居があるところ)より奥。

sendai-8775復元脇櫓の手前の土手に石材が並べられていた。場所的にはまさに大手門のあった場所。大手門の礎石遺構と思いたい。

sendai-8777復元 大手門脇櫓の裏側へ。表から見た時には気付かなかったが、実はL字型。中は非公開。入口の上に付いている屋根が帽子のつばのような変わった形をしている。

sendai-8777a-8776大手門脇櫓 説明板。建築年代など不明という。大手門とともに米軍により燃やされてしまったが、昭和40年に木造モルタル漆喰仕上げで復元。モルタル[セメントベース]で壁を補強した上に漆喰[石灰ベース]を塗っているということか。

sendai-8778では大手門からの車道を登っていく。

sendai-8780しばらく進むと道が大きく曲がり、その角には本丸高石垣と同じ加工の石垣が現れた。大手門の次にある中門跡だ。

sendai-8782中門跡 説明板。こちらも同じく二層櫓門で、別名 寅の門。維新での破壊や明治大火を乗り越えたが、老朽化には耐えられず大正9年に解体されたという。石垣の解体修理工事の際に多数の金箔瓦!が出土したとか。本丸の見聞館にあったものか。

sendai-8783中門跡の石垣の上には登れるようだ。登ってみよう。

sendai-8785s中門跡を上から。石垣間の距離は結構ある、先ほどの説明板によると幅14.4m、側面は5.5mだったとか。ちょうどここから、向こう側の石垣の出っ張りまでが門だったのだろう。当時の図面から、石垣の上にまたがるタイプの門ではなかったので、石垣の上には大手門と同じく土塀があったと思われる。

sendai-8789s中門跡のS字カーブ。THE虎口という感じだ。

Part6では再度本丸へ。前日 時間切れで見られなかった櫓台跡などの遺構散策と、護國神社の参拝をする。

>> 仙台城 [6/6] へ続く。<<


“奥州仕置之旅顛末記”(2014年に敢行した3泊4日東北11城訪問の旅)へのリンクは こちら
<弘前城/根城/八戸城/盛岡城/志波城/多賀城/仙台城/山形城/米沢城/二本松城/会津若松城>


訪問時期:2014年10月

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