盛岡城 [3/5] 本丸 二ノ丸 稲荷曲輪とで表情の異なる石垣たち

盛岡城前回(part2) までの盛岡城 訪問記。

三ノ丸〜二ノ丸〜本丸へ。建物の遺構はほとんどなく、かろうじて発掘調査の際に復元された本丸隅櫓の石垣が残る程度。本丸中央には巨大な銅像台座が残り、戦前までは南部家子孫の騎馬像(明治時代の軍人) があったという。


<訪問記>

morioka-8191再度 本丸下の曲輪へ降りてきた。先程は三ノ丸へ向かうためにスルーした本丸・二ノ丸周囲の石垣をしっかり見てみよう。こちらは本丸北東端、隅櫓下の石垣。打込み接ぎの乱積みだが、表面が削って平らにした風の縦のコスリ線が見える。

morioka-8192本丸・二ノ丸の間の空堀下から。元 御廊下橋、現太鼓橋(明治時代造)がアクセント。

morioka-8193本丸・小納戸櫓下の石垣。結構な巨石がはめこまれている。本丸 北東端は反り返っていたが、こちらは何故か直線的だ。

morioka-8194本丸石垣を見上げる。そびえる石垣をこの角度で見上げるのも好き。

morioka-8195再度二ノ丸へ戻ってきた。とはいえ二ノ丸には石碑しかないので、ここから本丸西側の腰曲輪方面へ散策してみよう。

morioka-8196五訓之森碑。昭和7年建立。写真では見づらいが現場ではちゃんと読めた。五訓とは5つの戒めのことで、ネットで調べてみると◯◯五訓というものがたくさん見つかるが、時節柄 旧大日本帝国海軍 海軍兵学校で用いられた訓戒「五省」のことではないかと思われる。(Wikipedia五省)

morioka-8197左側は本丸石垣。このあたりは二ノ丸と高さが同じことから、本丸の石垣も相対的に低くなっている。

morioka-8198本丸西側の腰曲輪の更に西側に、三角形に突出した一段低い曲輪がある。「榊山稲荷曲輪」。腰曲輪から石段で降りることが出来るようなので降りてみよう。

morioka-8199榊山稲荷曲輪 内部。4mほど低くなっているようだ。

morioka-8200腰曲輪から榊山稲荷曲輪へ降りる石段は、当時からのものだろう、扇状に広がる珍しい石段になっている。織田信雄の居城 伊勢国田丸城 の天守台階段 を思い出させる。と思って写真を見返したら全然違った(参考:写真)。丸く盛った土に細長い石を並べただけ感。

morioka-8201榊山稲荷曲輪の北東端の石垣は、周囲の石垣の石材とくらべても明らかに加工度合いの異なる(正確に直方体に切り出されている)石材が積み上げられている。資料によると明治期の二ノ丸地形改変時に撤去された石垣の石材ではないか、とのこと。

morioka-8202朽ちて折れて文字も読めなくなっているが「榊山稲荷曲輪 跡」の標柱。

morioka-8204榊山稲荷曲輪 から見下ろした二ノ丸外周の高石垣。石材の目地が横にびしっと揃っている、見事な布積み。このあたりが盛岡城跡で最も高い石垣と思われる。かなりの高さ。この下から見上げてみるのを忘れた。

morioka-8205榊山稲荷曲輪内に残っていた石組井戸跡。

morioka-8206榊山稲荷曲輪から再度 腰曲輪へ戻る。本丸に積み上げられた表面加工度の高い石垣。先ほどの隙間だらけの稲荷曲輪石垣とも大違い。

morioka-8207本丸の石垣折れ曲がり部。横矢掛けか、あるいは上に建っていた小納戸櫓のためか。

morioka-8209御二階櫓台の真下あたりに、本丸南西部の石垣 という説明板があった。本丸自体は築城時の秀吉時代〜江戸初期に築造されたが、今みられる石垣自体は江戸中期までの本丸拡張工事で積み直されたものだと発掘調査で判明した、という話。実際、今みられる石垣の内部には、築城当時の石垣が出てきた(看板左下写真)ようだ。

morioka-8211本丸南西部の石垣。この上部が御二階櫓跡、この石垣の中に築城時の古い石垣が眠っているという。

morioka-8213本丸の周りを一周してきた。最後に南側の石段だが、どう見ても近年の作り、ということで調べてみたら明治時代に設置された石段と盛岡市の資料に明記されていた。往時は本丸へ上がるためには、北部の二ノ丸から御廊下橋を渡るか、東側の車御門を通る2ルートしか無かった。

morioka-8214本丸周囲の散策はこれで終了。今度は腰曲輪の周囲の石垣を見て回ろう。吹上御門跡から吹上坂を通り、再度 岩手公園の入口へ戻る。

morioka-8216吹上坂周辺の発掘調査 説明板。吹上坂を下った先には「坂下御門」(そのままのネーミング) があり、その先は北上古川という広い川が流れ天然の要害となっていた。今は川は埋め立てられ国道および住宅街と化している。更に良く読むと、先ほど降りてきた吹上坂は往時は急勾配の石段だったそうで、明治期の公園造成時に石垣を積みなおして緩やかな坂道にしてしまったとか。二ノ丸の改変といい、盛岡城跡はかなり明治期に手が入っているようだ。

morioka-8219吹上御門の柱跡(の位置表示)と思われる丸いモニュメント。今はゆるやかな坂道のためかなり左の方に登り口があるが、本来はこの正面に旧 吹上坂(石段)の登り口があったということだろう。そう言われると、写真奥の右側の石垣(往時のもの)と左側の石垣(明治期)とでは、積み方が大きく異なることも見て分かる。

二ノ丸に続き吹上坂の石垣大幅改変の話を知り凹みがちだが、頑張って腰曲輪外周を巡ろう。

>> 盛岡城 [4/5] へ続く。<<


“奥州仕置之旅顛末記”(2014年に敢行した3泊4日東北11城訪問の旅)へのリンクは こちら
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訪問時期:2014年10月

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