盛岡城 [2/5] 主の居なくなった巨大な騎馬像台座が残る本丸跡へ。

盛岡城前回までの盛岡城 訪問記。

駅から歩いて岩手公園(城跡)へ。約15分で到着。いきなり街中に現れる巨大な石垣群にビビる。広大な敷地を一気に見て回るのは大変なので内側と外側とで分けて計二周することに。まずは内側ルートへ、腰曲輪から二ノ丸の向こうを通って三ノ丸までやってきた。


<訪問記>

morioka-8169二ノ丸と本丸との間は深い空堀で仕切られ、その間には赤い木橋が架かる。もっともこの木橋は公園整備時のもので、往時は御廊下橋!だった。御廊下橋の復元は多い(例 福井城[写真]、大分府内城[写真] 等々)。御廊下橋 復元希望。

morioka-8170元 御廊下橋を渡って本丸へ。赤い欄干に赤い三角コーンで真っ赤っ赤。

morioka-8171橋の上から見下ろした本丸と二ノ丸を隔てる空堀。今は平らな道と化しているが、本来は「空堀」なので、まったくもってこんな感じではなかったはず。これも公園整備時の改変と思われる。

morioka-8172盛岡城 本丸。往時は中心部に本丸御殿が建ち、周囲には御三階櫓を始めとする櫓群が建ち並んでいたとか。今はすべて無し。

morioka-8173周囲の櫓跡を見てみよう。本丸北西端、小納戸櫓 跡。本丸石垣と一体だったがゆえか、キレイに残る。奥に説明板があったので見てみよう。

morioka-8174本丸北西部の発掘調査 説明板。本丸北部(二ノ丸側)の石垣はやはり江戸時代の盛岡城本格築城時に築かれたもので、小納戸櫓と御廊下橋の間は多聞櫓で連結していたようだ。先ほど見た小納戸櫓台の石垣は明治の公園整備で破壊!されていたが、発掘調査時に復元したものだとか。

morioka-8175北西端あたりから見る本丸。地面に石列が見える。本丸御殿の礎石群?説明なし。

morioka-8175a-8180ではさっきからちらちら見えて気になっていた、本丸中央へ。上に銅像が載っていましたという感じの石造りの巨大な台座だ。江戸城の楠公銅像 の台と似ている。

morioka-8176銅像自体は残っていないようだが、台座自体の造形もカッコいい。思わず細かく見ながら周囲をぐるり。台座だけで魅せるこの迫力。台座の左前に説明パネルがあるようだ。

morioka-8177台座の前の説明板内。往時の銅像写真(明治軍人の騎馬像)と、説明のペラ紙が展示されていた。盛岡藩主 南部家の子孫 南部利祥氏が、日清戦争に従軍し、満州で戦死(24歳)。市民はそれを悼み、また維新の際に盛岡藩が朝敵となった”汚名”をそそぐ活躍だったとして、有志でこの銅像を作成したという。明治41年。しかし多分に漏れず昭和19年に戦時動員で銅像は供出され、こうして台座のみが残る状態とのことだ。日本兵の騎馬像であれば、南部家子孫とはいえ、再建は難しいか。

morioka-8178もう一度、斜めの角度から見る盛岡城 本丸 騎馬像台座。台座にはめ込まれていた銅板(たぶん)も供出されてしまっているようだ。正に総力戦だったことを物語っている。この台座はこのままでいいのかもしれない。

morioka-8179本丸南東端へ。石段付き、四阿(あずまや)も建つこの櫓台は、御三階櫓(実質上の天守)があった場所だ。

morioka-8182順番が多少むちゃくちゃだが、本丸北東端へ。隅櫓 跡。ここにも発掘調査の説明板があった。

morioka-8182a-8181本丸北東端の発掘調査 説明板。北西端の小納戸櫓と同じく、ここ北東端の隅櫓と御廊下橋とも多聞櫓で繋がっていたという。御廊下橋は本丸左右が多聞櫓と櫓で繋がるなかなかすごい構造だったようだ。復元するなら、ここ!

morioka-8184その他本丸内をうろうろ。真ん中あたりに「本丸」と書かれた石碑があった。目立たない。

morioka-8185そして本丸最後の端、南東端の御二階櫓跡。南側(御三階櫓、御二階櫓跡 付近)は発掘調査されていないのか、北端側にあった説明板のようなものはなかった。

morioka-8186本丸からの出口は、先ほど入ってきた北側の御廊下橋(二ノ丸へ)の他に、南側の腰曲輪へ降りる道(恐らく公園造成で造られたものかと)および、東側に虎口上に造られた御末御門があった。御末御門跡から降りてみよう。ここがその入口。この石垣の間に門があった。右側の石垣は右奥の御三階櫓まで繋がっているため、恐らく櫓門から脇櫓を経て多聞櫓等で御三階櫓まで繋がっていたのだろう。

morioka-8188御末御門跡の小口を出て本丸下へ。途中道の外側に膨らんで出来ている場所は「武者溜」。

morioka-8189武者溜の上から、四の丸方面(現在は多目的広場。往時は御台所があった)を見下ろす。丸見え。

morioka-8190御末御門跡の虎口を降りたところから見返す。道の折れ曲がり具合、堅固な石垣で守られた感がすごい。先ほどの武者溜まりは左奥に当たる。

>> 盛岡城 [3/5] へ続く。<<


“奥州仕置之旅顛末記”(2014年に敢行した3泊4日東北11城訪問の旅)へのリンクは こちら
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訪問時期:2014年10月
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