弘前城 [6/7] 巨大虎口”賀田御門”跡と、下乗橋から見る天守ふたたび。

弘前城前回 (part5) までの弘前城訪問記。

四の丸から外堀沿いに城の北側へ出て、かつて弘前城を建てる前に津軽為信が攻め落とした大光寺城の追手門を移築したと伝わる北門(亀甲門)を見る。北門から再度城内へ入り、まだ見ていない東部の遺構を見て回る。


<訪問記>

hirosaki-7906北門から四の丸へ。道の左側(南向きなので東側)はレクリエーション広場。往時は藩士の武家屋敷が建ち並んでいた場所?

hirosaki-7909先ほど参拝した青森縣護國神社の巨大鳥居は、拝殿の正面だけでなく、こちら側にもあった。靖國神社の大鳥居を彷彿とさせる、かなりの大きさ。鳥居はたいてい拝殿の正面にあるが、横にあるのは珍しい?

hirosaki-7910神社関係はこれぐらいにしてお城へ戻ろう。小さな橋(賀田橋。最近の橋だったので写真はカット)を渡って四の丸から三の丸へ入ると、高い土塁で囲まれた巨大な食い違い虎口が現れる。道は太いが豪快に曲げられていて全く向こうが見えない。大興奮。

hirosaki-7913賀田御門跡 説明板。この虎口の三の丸側には賀田御門(かた、ではなく、よした)があったとのこと。先ほどの北門が旧 大光寺城の追手門移築だったのと同様、この賀田門も旧 賀田城(大浦城、津軽為信の旧居城)大手門を移築したものだったとか。築城当時は周りに存在した既存城の遺構を積極活用したようだ。残念ながら門は非現存。

hirosaki-7914賀田門跡を少し進む。この、奥が少し垣間見える角度が好き。賀田門はちょうど横向きになる場所に建っていたと想定される。

hirosaki-7915賀田門跡は三の丸だが、賀田門跡を超えるとすぐに目の前に中堀があり、それを渡ると二の丸の北端へたどり着く。二の丸北端には最後の現存櫓があるとパンフに載っていたのでそれを見に行こう。・・・あれ?児童公園?

hirosaki-7917児童公園風の遊具が置いてある場所の奥に、木々に隠れるように現存櫓は存在していた。他の2つの櫓よりも見づらい場所にある。

hirosaki-7918二の丸 丑寅櫓 説明板。他の櫓同様、シンプルな造りだ。

hirosaki-7919左右に生えている巨木が生い茂ってよく見えないので、一番見える角度を探して撮影。土塁の奥に建っていて、土塁には入れないので、望遠レンズで撮る。

hirosaki-7920児童公園の片隅に建つ歴史的建造物、の雰囲気を出してみる。先ほどの写真は実は滑り台の上から撮影。オトナになってから滑り台に登ると(柱や手すりが子供仕様で細いのもあり)結構怖かった。

hirosaki-7921さて二の丸まで戻ってきたので、内堀沿いに南下し、先程は人大杉で満足に写真が撮れなかった下乗橋から見る天守にリベンジしてみよう。

hirosaki-7922内堀の折れ曲がり。天守付近は上まで石垣になっているが、このあたりは土塁で、よーく見ると水面付近にだけ石垣が造られている。腰巻石垣。

hirosaki-7924二の丸を南下すると、左手(東側)に下見板張りの2階建ての大きな建物が現れた。こちらも現存建造物。この奥にある東内門を見張るための与力番所、だ。

hirosaki-7923二の丸 東門与力番所 説明板。往時は追手門など城内十二箇所に与力番所が建てられていたとか。墨書きから江戸初期の建材を用い、外観から江戸中期に建てられたものと想定されるとのこと。別の場所に曳家移築されていたものを、再度 本来の二の丸東門前に復元移築したという。弘前城は曳家が大好きということがよくわかった。

hirosaki-7925番所ということで、与力たちが居た場所を見に行ってみる。奥の窓の向こう側がちょうど二の丸東門の内側正面に当たる。畳敷き・板敷きなどの屋内ではなく、土間のままになっていた。

hirosaki-7926与力番所付近からは木々の上に頭を出す弘前城天守の姿がよく見える。近づくと二の丸からは木々が邪魔でよく見えなくなるので、ここから見るのがベストショットか。

hirosaki-7930ズームレンズでパシャリ。天守が建てられた18世紀はもう北門は搦手(裏口)だったので、北側は中の人向け仕様の「鉄板扉付き格子窓」。2つの表情が同時に見える角度の1つ。

hirosaki-7932では満を持して、再度 二の丸から本丸へと渡る下乗橋へ。誰もいない!ということで、弘前城天守の表の顔 撮影会を開催。

hirosaki-7933ズームから徐々に引いていく形式でお届け。まずは最大望遠。遠くから見ると、小柄な天守に細い目(矢狭間)がいっぱい並んだ可愛らしいとも表現できそうな弘前城天守だが、望遠でしっかり見ると青い銅板瓦や漆喰、屋根の下の板部分などに200歳の歴史を感じる雰囲気。ゴツゴツしてる。

hirosaki-7935やや引いて。書類上は隅櫓の改装(御三階櫓)と言いつつ、これだけ立派なフル石垣の土台を造り直し、その左右にも長い石垣を造り、入口にも食い違い虎口を構築、どう見ても天守です。

hirosaki-7941さらに引いて。橋の欄干を見せない構図ではこれが有名か。天守横の内堀は完全に蓮池状態になっているが、これは曳家準備のため水を抜いているからか、単に夏に大量発生したのかは分からない。天守台石垣の修復が始まる来年夏以降は、一面茶色のまったく様相の異なる姿になることだろう。

hirosaki-7954さらに引いて。これぐらいで見ると、やっぱり可愛らしいという言葉も似合う弘前城天守ちゃん。そして天守のちょうど真ん前にある、土塁から生えた桜の巨木。石垣工事の際にでもどこかに移築いただけないだろうか。これがないと虎口石垣や天守台もしっかり見えるのだが、弘前公園は桜まつりで売っている側面もあるので微妙な所か。

hirosaki-7956更に撮影場所も後ろに下げて、橋の一番奥から赤い欄干もフルで構図に入れて撮影。魚眼使用。肉眼で天守を見ながら橋を歩いていると、だいたいこんな感じで見えるが、魚眼なので橋の距離が短く、幅が広く見えてしまっているが、橋自体はこの見た目よりかは細く長い。

hirosaki-7957撮影してて天守台の石垣の二様が気になったのでよく分かる角度で撮影。天守の乗る天守台部分の石垣は表面もゴツゴツしたままある程度加工して上手く組み合わせていった「打込み接ぎ」工法。しかし天守台の左側(北側)は雰囲気が一変し、同じ形に加工した四角い石を横一線に積んでいく「切込み接ぎ布積み」工法。時代が違うのか、担当者が違うのか。ちなみにこの角度では分からないが、この切込み接ぎ部分の石垣が水分等を含んで内部から膨らみ(「はらみ」)が生じてきているため、今回の修復工事に繋がったとのこと。

次回最終回では残る現存建造物、二の丸東内門(先ほど見た番所の正面)および三の丸東門を見に行こう。

>> 弘前城 [7/7] へ続く。<<

訪問時期:2014年10月
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