弘前城 [4/7] 本丸・北の郭には天守以外は建造物は残らず跡のみ

弘前城弘前城 [3/7] の続きです。

本丸に入ると正面にはかつて御三階櫓と呼ばれた弘前城 三層天守が。本丸散策に入る前にまずは天守内へ。床一面に緑のシートが敷かれているが、足元を見なければ築二百年の堂々たるもの。天守内を楽しんだら、本丸の散策へ。


<訪問記>

“奥州仕置之旅顛末記”(2014年に敢行した3泊4日東北11城訪問の旅)へのリンクは こちら
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hirosaki-7840a-7850s三層天守を本丸内部、本丸御殿入口(跡)付近から見る。こちらから見ると、破風など装飾物が一切なく、銅板扉を備えた大きな格子窓だけが並ぶ超シンプルな層塔型天守。

hirosaki-7841本丸の大部分を占拠していたかつての本丸御殿も、今や御玄関の礎石が残るのみ。砂利に埋まって見づらいが、四角い石に柱のホゾ穴が見える。

hirosaki-7844本丸入口正面にあたる、虎口の裏側。天守内にあった模型を見ると多聞櫓があったようで、上にのぼるための石段も現存。今は枝垂れ桜が植わっているが、恐らくこの石垣の上に曳家工事を観覧するための「展望デッキ」ができる模様。先日の姫路城大天守工事観覧設備の営業が大成功して以来、工事模様を見学するための施設づくりが増えている。

hirosaki-7846御金蔵跡。今はそうでもないが、往時は小高い丘状になっていたという。平成の天守曳家工事では恐らくこの御金蔵跡に天守が移動する予定。(2015年8月頃から約5年間)

hirosaki-7851御金蔵跡の正面は御日記蔵跡。弘前藩庁御国日記と呼ばれる幕藩体制の詳細記録が江戸初期より明治まで脈々と綴られ、ここに保管されてきたという。なんと其の数4200冊。素晴らしい。継続は力なり。

hirosaki-7853本丸南西端には、かつて五層の天守が建ち、焼失後は隅櫓「本丸未申櫓」が建てられていた場所が残る。

hirosaki-7855本丸未申櫓跡 説明板。城では櫓の名前を方角(干支)にした例が多く、南西に建つこの櫓は「未申櫓」だが、二ノ丸の南西にも「未申櫓」があり、当時の人たちはさぞヤヤコシかったことだろう。

hirosaki-7856本丸未申櫓台より。木々が植わっていて眺望が見づらいが、往時は更に五階(隅櫓時代は三階)の高さがあったので、かなりの眺望が楽しめたことだろう。地面はコンクリートが敷かれてしまっていた。

hirosaki-7857眺望説明板は「五層の天守から見た景色」として、20m上からの見た目を説明している。写真には写っている正面の巨大な山は青森県の主峰「岩木山」1625m。なだらかに延びる裾野が富士山をほうふつとさせることから、富士山同様、岩木山そのものが御神体として崇められ、津軽藩の鎮守の山として代々藩主が山麓の神社の寄進を行ってきたとか。というか、肉眼では木が邪魔でまったく見えないのが口惜しい。

hirosaki-7860ということで、どこか岩木山が見える場所が無いか並行移動して探す。未申櫓台から少し北に行ったところにある、蓮池前の展望デッキのような場所から何とか見えた。山頂部分が雲に隠れて見えないが、確かに山裾が左右に美しく延びる様はまさに津軽富士。

hirosaki-7862そのまま本丸を北上すると、北西端には「本丸戌亥櫓跡」が残る。休憩スペースに改装されていた。

hirosaki-7863本丸戌亥櫓跡 説明板。説明板にもあるとおり、戌亥櫓の下は内堀と蓮池の間に僅かに地面があり、番所が建っていたようだ。

hirosaki-7864戌亥櫓跡あたりから本丸内部を見返す。跡形も無いが、このあたりはかつて本丸御殿の「奥」があった。ちなみによく御殿の奥で女子衆が住む場所は「大奥」と呼ばれることがあるが通常の大名クラスまではここを「奥」と呼んでおり、「大奥」と呼ばれるのは将軍家の江戸城および大大名クラスの巨大御殿の場合のみだった。

hirosaki-7865では本丸北隣の「北の郭」へ向かおう。一段低いところになるようで、石段を降りる。向こうに見える赤い橋の向こうが北の郭。

hirosaki-7867折れ曲がる階段を進むと石垣の壁。かなり苔むしている。崩壊しない程度に「時の過ぎゆくままに」という保存方法も良い。

hirosaki-7868しかし一部は結構はらんできてます。

hirosaki-7869本丸から北の郭へと繋がる「鷹丘橋」。

hirosaki-7872鷹丘橋から見る本丸北面石垣と内堀。石垣から直接紅葉が生えている。

hirosaki-7873北の郭へ。藩政時代の建造物は残らないが、櫓跡や籾蔵跡などが見つかり、本丸に次ぐ重要な曲輪だったと想定されるとのこと。

hirosaki-7874北の郭には明治時代に建てられた演武場「武徳殿」が建つ。現在は改装されて土産屋および喫茶コーナー「武徳殿休憩所」。

hirosaki-7875武徳殿入口。たか丸くんは絵よりも石像のほうがいい感じ。

hirosaki-7876武徳館正面入口の向かいにある「籾蔵跡」。現在は発掘調査により判明した礎石跡が表面展示されている。

hirosaki-7878籾蔵跡 説明板。籾蔵しかも跡だけなので、いまいち迫力に欠けるのは致し方なしか。籾蔵跡の奥にある櫓台跡へ行ってみよう。

>> 弘前城 [5/7] へ続く。<<

訪問時期:2014年10月
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