打下城 [前編] 藪を掻きわけ倒木をまたぎ急坂を登って城跡へ

打下城(うちおろしじょう)は戦国時代に地元高島郡の国人領主・林員清(かずきよ)が永禄年間(1560年頃)に築城したと伝わる山城跡で、信長公記には元亀四年(1573年)に織田軍がここを陣所にして高島郡を攻撃したと記されている。1578年に信長の甥 津田信澄が琵琶湖沿いに大溝城を建てるまで付近の軍事拠点だったことから、大溝古城とも呼ばれる。

打下城跡<基本データ>
●名称: 打下城 (うちおろし じょう)
●所在: 滋賀県高島市 (マップ)
●築主: 林氏または高島氏 (国人領主)
●築城: 1560年頃か
●遺構: 曲輪、土塁、堀切、石塁
●関連: こころに残る滋賀の風景HP


<訪問記>

uchioroshi-7459a-7600打下城跡へ続く登山道は、近江高島駅の西側山麓にある日吉神社横にある。こちらが日吉神社前。石鳥居に向かって左側の小道に入っていく。

uchioroshi-7459b-7599日吉神社横の小道。↑打下城跡 という看板を目印に、土手と古い鉄柵の間の道を奥に進んでいく… のかと思いきや。

uchioroshi-7460進み始めてすぐに看板は右側の「藪の中」を指し示す。この藪の中をかき分けて進んでいく。

uchioroshi-7461a-7598しばらく藪を突き進むと、人が通れるぐらいに藪が狩られたエリアへ。右側は一段低くなって、河川。

uchioroshi-7461b-7596藪エリアを奥まで進むとやっと山らしい場所へ。害獣防止網が張ってあるので直登りは出来ず、柵を迂回するように(案内板に沿って)進んでいこう。

uchioroshi-7461c-7595また藪がひどくなってくる。右側は一段低くなって川なので、柵から離れないように進もう。

uchioroshi-7461d-7594柵の突き当りへ。ここから中に入る事ができる。チェーンで封鎖されているので解いて中に入り、害獣が外に出ないように再度 封鎖してから先へ進もう。

uchioroshi-7462a-7593柵を超えるとすぐ目に入るのはこの石列。これ以外にも崩れたのか落ちてきたのか、道端にはかなりの石がゴロゴロしている。

uchioroshi-7463a-7591しばらくは緩やかな斜面を登っていく。道の左右には切り出したのかどうなのか、石片がゴロゴロ。異様な雰囲気だ。

uchioroshi-7463a-7592道があるのかないのか分かりづらい場所もあるが、先人のビニール紐に加え、打下城跡→ という看板が(たいてい落ちているが)導いてくれる。先は長い。手前の汚れきった看板には「山王谷砂防ダム 0.15km」と書いてある。

uchioroshi-7471この柵の右側が砂防ダムなのだが…柵が倒木で崩壊していた。補修が追いついていない模様。もちろん城跡へは柵の向こうではなく、柵のこちら側を丸太をまたいで柵に沿って進んでいく。

uchioroshi-7473時おり現れる「打下城跡→」の看板を見つけると何だかホッと一安心。

uchioroshi-7479ダム河川と崖に挟まれた細い山道にも看板あり。

uchioroshi-7490ダムを超えると、急に登山が始まる感じ。この急坂が、デジカメのタイムスタンプによるとここから約25分、続いている。無理せず休み休み進もう。

uchioroshi-7492こんな急斜面。倒木も容赦なく道を塞いで倒れている。

uchioroshi-7496なかなかの急角度で、道も細く、しかも足元には大小の石がゴロゴロしていて、結構な重労働。手元の参考書籍にも「登城はかないきつい!」とあったが正にその通り。油断大敵。

uchioroshi-7497砂防ダム付近から始まる急坂を登ること25分(休み休みでの所要時間)。ついに尾根へ到着。ここから道が左右に別れ、右へ進むと平安時代の創建と伝わる山岳寺院の「長法寺跡」へ。(看板にある「下の鼻打」の更に奥)。左が目当ての打下城跡だ。ここからは尾根筋なので平坦な道のり。助かった。。。

uchioroshi-7498城跡が近いためか、色々書かれた看板が建ってたり落ちてたりする。特に道らしきものはないが、看板のあるあたりに沿って木々の間をどんどん奥へ進んでいこう。

uchioroshi-7500途中の尾根筋にあった巨石。巨石のせいで尾根筋の道が細くなるので、片方を土塁で固めれば、もう片方を通らざるをえず、門などを設置する最適な場所だったかもしれない。

uchioroshi-7501どんどん進むと、前方に少し凹んだ場所が見えてきた。尾根筋を垂直に人工的に切り込んだ堀切だ。

uchioroshi-7503堀切の上へ。堀切の先は斜面に垂直に掘られた竪堀(たてぼり)につづいていて、入口に「縦状畝堀」と書かれた看板がついていた。畝堀(うねほり)は堀の途中に畦(あぜ)がありブロック状になっているものを指すのだが、枯葉と土で埋もれていて畝堀かどうかは目視で確認できず。

uchioroshi-7505巨大堀切を過ぎるといよいよ主郭へ通じる土塁が出現。かなりの急斜面なのでトラロープを頼りに登っていこう。

uchioroshi-7508土塁の上へ。どうやらここが打下城跡のようだ。まずは説明板を見てみよう。

uchioroshi-7509打下城跡 説明板。城跡は南北2ブロックに分かれ、ここは南ブロックの中主郭にあたる。北ブロックは北方へ延びる尾根上の少曲輪群を超えた先にあるようだ。

uchioroshi-7510説明板にあった縄張図をアップで。現在地は中主郭の左端、先ほど超えてきた大堀切が描かれているので分かりやすいが、やはり「現在地はココ」と記して欲しかった。図によるとここ中主郭よりも奥の北主郭の方が巨大な遺構のようだ。

後編では中主郭および北主郭の散策、そしてちょっとだけ長法寺跡方面へも遠征します。

打下城 [後編] へ続く。

訪問時期:2014年10月
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打下城 [前編] 藪を掻きわけ倒木をまたぎ急坂を登って城跡へ” への2件のフィードバック

  1. 湖西・湖北の山城は、同じような比高差を持つ所が多く、多少、草臥れますね~。
    とくに、熊鈴を忘れずに、注意して探訪してください・・・。

    1. あきさん。コメント&御心配ありがとうございます。そうですね、あの雰囲気だとクマはともかく猿は少なくとも出てきそうだと感じましたので、熊鈴は必須だと思いました。チリンチリン盛大に鳴らしながら登山しました。湖西湖北の山城は、おっしゃるとおり、なかなかに厳しい場所が多いですね〜。

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