大溝城 [後編] 民家に改装されたが鬼瓦に家紋が残る大溝陣屋 旧惣門へ

大溝城跡大溝城 [前編] の続きです。

前編では駅から歩いて大溝城天守台を訪ねた。住宅街の裏手、蓮池?の中にぽっかり残る崩壊寸前の天守台の存在感。

後編では城下町に残る長屋門などを尋ねよう。


<訪問記>

omizo-7426天守台跡から再度 駅前へ続く街道へ戻る。分部神社の向かい側に、ちょっとした歴史公園?てきなスペースがあり、大溝の歴史などの説明パネルなどが掲示されていたが、駅前にあるものと同じだった。

omizo-7428続いて大溝藩時代の唯一の遺構とされる「大溝陣屋」長屋門へ。Googleマップを片手に進む。おもいっきり住宅街の中にあるようだ。とても陣屋が有るようには見えないが、実はもう見えている。(道の右側に立つ街灯2本の間の建物が、そう)。

omizo-7429近くまで来ると「大溝陣屋」と垂れ幕があるのでよく分かる。正確には、陣屋跡ではなく、陣屋の入口だった長屋門だった建物(住宅に改装済み)。

omizo-7430反対の角度から。元長屋門だったと言われないと気づかないレベル。

omizo-7431正面向かって左端に、説明板が建っている。1619年に分部家が入封し、その際にこの惣門(長屋門)が建築されたが、1755年に「大修理」されて今に至る、という。棟瓦には分部家の家紋である「丸の内に三引」があるそうだ。屋根を見てみよう。

omizo-7433棟瓦だけでなく、手前の鬼瓦部分にも家紋が見える。軒平瓦の側面にも装飾が施され、破風には懸魚もあり、立派な建物だったことが分かる。

長屋門は外観だけで、門の中に入ると一気に生活感が増す雰囲気だった。門の向こう側は完全に民家だった。

続いて、駅の反対側の山裾にある神社・お寺群の中に、大溝藩主 分部家の墓所があるというので、訪問してみた。ちなみに駅の反対側の山は大溝城が出来る前に拠点だったとされる中世山城・打下城(うちおろしじょう)跡となっている。こちらの登山レポートは後ほど。

omizo-7441駅から山側(西側)へ歩くこと約10分。分部家墓所前に到着。左奥の石仏が見える建物の奥が墓所のあるお寺で、入口は右側の石碑の前あたりから。

omizo-7442大溝藩主分部家墓所 説明板。一部を除き、歴代の藩主の墓および関連する志士・家族たちの墓が立ち並ぶそう。

omizo-7444では墓所へ向かおう。特に説明等はないが、この坂を上がる。

omizo-7445坂の上にあるのが圓光禅寺。地図によっては圓光寺と書かれている場合もある。立派な山門。しかし墓所はここからではなく更に奥(右側)へ。

omizo-7446案内板のとおり、寺の建物の奥へと向かう。

omizo-7447こちらが分部家墓所のようだ。

omizo-7448墓所入口に立つ、大溝藩分部家墓所 説明板。小さな敷地内にずらりと墓石が立ち並んでいるようだ。順番に並んでいるわけではなさそう。

omizo-7458墓所入口の古い山門。

omizo-7449墓所入口の手書き説明板。1619年より明治維新まで250年、分部家が大溝藩主を務めたそうだ。

omizo-7450墓所内部へ。墓石が整然と並ぶ厳かな雰囲気。歴代の墓に合掌。

omizo-7454一番奥にある、二代藩主 嘉治公。

omizo-7457奥から見た墓所全体。

信長統治時代に琵琶湖の水運ネットワークの一端を担った大溝城。江戸時代には廃城となり陣屋時代の遺構もほとんど残っていないが、駅前でアクセスの良い場所にあるので、近隣に立ち寄った際はお手軽に城下町(と、栄枯衰退を感じる天守台跡)を感じれられる場所かと。

訪問時期:2014年10月
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