大溝城 [前編] 分部神社の裏手にひっそりと残る天守台跡

織田信長が安土城を中心とした近江の湖上ネットワーク(安土城-長浜城-坂本城-大溝城)の拠点の1つとして、近江国高島郡(琵琶湖北西部)に構えた城。城主は甥の津田信澄。天正6年(1578年)に琵琶湖の内湖を巧みに利用した水城として築城されたが、明智光秀の娘婿だった信澄は4年後の本能寺の変で疑われ自害してしまう。その後は京極氏などが城主を務め、江戸時代には大坂の役で武功を挙げた分部(わけべ)家が所領、城は三ノ丸を中心とした陣屋に改修され幕末を迎えた。現在は陣屋の長屋門と、崩壊した天守台のみが残る。

大溝城跡<基本データ>
●名称: 大溝城
●所在: 滋賀県高島市 (マップ)
●築主: 津田信澄 / 分部光信
●築城: 1578年 / 1619年
●遺構: 天守台、長屋門
●関連: 高島市観光情報HP高島市情報ポータルHP


<訪問記>

大阪駅から新快速で約1時間、JR湖西線の近江高島駅へ。大溝城跡は近江高島駅から徒歩圏内にある。

omizo-7395s駅を出るといきなりこの巨大銅像。7.5mあるらしい。子供の頃に読んだ「ガリバー旅行記」のようだ。なんでも(旧)高島町ではガリバーをテーマにキャンプ場やホール・レストランなど色々と箱モノを作っている模様。そもそもなぜ高島=ガリバーなのかは不明。古いままのJR駅舎との強烈なミスマッチに驚かされる。(参考:駅舎の画像)

omizo-7396そのガリバーの見つめる先にある欧風城郭のような建物の壁に貼ってあった、大溝城跡の説明板。ガリバー=西洋=欧風城郭なのだろうが、なぜ歴史の街・大溝で、大溝城跡の説明板が、欧風城郭に貼ってあるのか。下見板張りの望楼型天守にすべき。

omizo-7397さて駅前から約5分ほど歩くと、大溝藩主だった分部家(わけべ)を祀る「分部神社」へ。地図によるとこの分部神社の裏手あたりに大溝城跡(天守台跡)があるようだが・・・?

omizo-7400神社入口の横を見ると、「大溝城三の丸跡」という石碑と、その奥に「→大溝城跡」という看板を発見。

omizo-7401大溝城三の丸跡 石碑。角度が90°間違っているように思う(大溝城三の丸跡、という文字を外側にしないと目立たない)。横の説明書きには大溝城の簡単な経緯が刻まれている。概要→信長の甥で光秀の娘婿の津田信澄が天正6年に光秀の縄張(設計)で建てた大溝城は、琵琶湖内湖を利用した水城で、江戸時代には当地に大溝藩陣屋が置かれた。

omizo-7402では大溝城跡と矢印で示された方へ向かおう。このビルと家の間の細い道を進むようだ。

omizo-7403不安になりながらも、細い道をどんどん道なりに進んでいく。

omizo-7404 奥へ進むと一気に開けた空間へ。左奥に見える森の中に、かすかに石垣らしき石積みが見える。とはいえ森の手前は蓮池?になっているようで、到達するにはグルっと回りこまないといけない。元・水城たる所以か。

omizo-7405ぐるっと回りこんで、石垣跡へと向かう。

omizo-7406石垣の前へ。いくつかの説明板と、「大溝城跡」と彫られた石碑が立っている。どうやらここが大溝城跡・天守台跡のようだ。まずは説明板を読む。

omizo-7407史跡 大溝城本丸跡 説明板。城主信澄(信長の甥)は光秀の娘の旦那だったため、本能寺の変で嫌疑を掛けられ信孝(信長三男)に攻められ自害してしまう。その後 大溝城は水口岡山城の資材として解体流用され城は無くなったようだ。その後 当地は大溝藩として、分部家により陣屋が置かれ幕末まで運営された。

omizo-7408石段の横に建っていた新しい看板。初代城主の信澄自害後、大溝城は一時 京極氏の所領となったことから、浅井三姉妹の次女お初がここ大溝城で暮らしたこともあると記載。大河ドラマ「江」放映時に作られたものだろう。名門 京極氏といえば若狭小浜城跡(福井県)が有名。

omizo-7409では天守台へ登ってみよう。天守台への石段はしっかりと残っているようだ。

omizo-7410石段の左右には元石垣と思われる巨大な石材がゴロゴロしている。往時はもう少し高かったのかもしれない。

omizo-7411天守台上。特に何もないが、以前(廃城後)は神社が建っていたような形跡がある。

omizo-7412天守台跡の看板と、その横の石積み。近代的な加工がなされた石もあることから、神社などが建っていたのかもしれない。しかし今は昔。

omizo-7413天守台の石垣を上から見下ろしてみる。地震や台風などで壊れるがままになって400年が経過した感がある。江戸時代も通じて壊さず触らずずっとこのままだったのだろうか。

omizo-7415天守台を反対側に降りてみる。半分以上は土に埋もれている感じで、ちゃんと発掘調査をすればもっと大きな天守台になるかもしれない。

omizo-7416隅石。丸いままの石がそのまま積み上げられた極初期の野面積みと言う感じで、算木積みもなされていない。

omizo-7419ぐるっと回って周囲を見る。こちら側の石垣は大きく崩れている。

omizo-7422石垣をアップ。集めてきた手頃な大きさの石をどんどん積んでいった感。

omizo-7425廃城から400年、そのまま放置されてきた感アリアリの天守台跡に少し悲しくなる。栄枯衰退。天守台を離れ、付近に残るという陣屋時代の長屋門や墓地などを訪ねてみよう。

大溝城 [後編] へ続く。

訪問時期:2014年10月
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