大坂城 [8/8] 広い外堀越しに見る二ノ丸石垣もなかなかの迫力。

大坂城大坂城 [7/8] の続きです。

Part7では本丸内に残る旧大阪市立博物館 内で期間限定営業されているレストランへ。2001年に営業終了後、ほとんど公開されていなかった場所へいつでも入れる(一階左側だけだが)というのは素晴らしい。期間限定と言わずぜひ通常営業(そして二階など他の場所も入室可に)していただきたく。

Part8では青屋門から外堀を北側に抜けて、時計回りに外堀沿いを歩いて行く。


<訪問記>

osaka-7369a-7362城内から外堀を北側に抜ける場所にあたる「青屋門」。北外堀と東外堀の間になる。
参考:大坂城公園マップ

osaka-7371青屋門を外側から。その名の通り(?)、鉄板が青味がかっているのがいい感じ。残念ながら現存ではなく昭和の再建(ただし資材は往時のものを再利用とのこと)。

osaka-7371a-7370青屋門 説明板。明治戊辰の大火および米軍の無差別爆撃で2度の被害を受けるも、昭和44年に三度目の構築をされ今に至る。青屋門の正面はいまは大阪城ホールだが、往時は水堀になっていて、橋は収納式の「算盤橋」だったとのこと。なお青屋門という名前は鉄板が青いからではなく、このあたりの元々の地名「青屋町」に由来するとのこと。

osaka-7372青屋門枡形の外側の門跡。こちらは巨大な石垣が残るのみとなっている。

osaka-7374青屋門枡形を外側から。青屋門は出枡形になっていて、外堀に二ノ丸から飛び出すような作りになっている。外側は土橋だ。

osaka-7376青屋門 土橋側の石垣。明治戊辰の大火か、米軍の無差別爆撃か、激しく燃えて石垣石がひび割れてしまっている様が分かる。

osaka-7377青屋門土橋を渡って、大阪城ホールを左手に見ながら、外堀沿いを時計回りに進む。外堀にも藻が繁殖しているが、内堀東側ほどではない。内堀より堀幅が広い感じだ。

osaka-7378東外堀 説明板。大正時代に城の東域に展開された砲兵工廠(軍事工場)のため埋め立てられたらしいが、その後こうして復元された。ただし往時は青屋門の外側は土橋ではなく算盤橋だったため北外堀と東外堀は繋がっていたが、今は土橋となり繋がっていない。

osaka-7384東外堀沿いを南へ、玉造口の方へ向かって歩く。広い外堀越しに見る二ノ丸の石垣と、鏡のような水堀に写る逆さ石垣が美しい。こちらからは大天守もよく見える。

osaka-7387石垣の向こうは二ノ丸東側の梅林にあたる。石垣は上からびっしりと草木が生えていて、梅林側から堀を見ようと石垣のヘリへ行くことは出来なさそうだ。左側(南側)には櫓台のような突出した部分が見える。

osaka-7389大坂城 外堀と、二ノ丸(梅林)石垣と、大阪ビジネスパークの高層ビル。新旧折衷。

SONY DSC東外堀は玉造口で遮られ、その先は少し内側に入って南外堀となる。こちらは南外堀の東端、右側が玉造口。正面に見える櫓は、現存の一番櫓。

SONY DSCこちらは玉造口。他の外堀に架かる門同様、ここも大規模な枡形虎口が形成されていたが、明治以降に陸軍により改変され、枡形は残っていない。現在はこのとおり柵も設けられ車が進入できる状態になっている。

SONY DSC玉造口 説明板。玉造門も残っていたようだが陸軍により撤去(一心寺へ移築)されたが米軍の無差別爆撃により焼失している。なお玉造(たまつくり)は何と古墳時代にこの付近で勾玉を造る技術者集団が住んでいたことから名付けられた地名という。今もここは玉造と呼ばれ、玉造稲荷神社(秀頼公の銅像が建つ)や JR玉造駅もある。なんと歴史的!

SONY DSC折角なので、玉造口から再入城して、先ほど外側から見た現存 一番櫓前までやってきた。シンプルな櫓だ。

SONY DSC一番櫓内側。まったく窓の無い、のっぺらぼうな内側。

SONY DSC一番櫓 説明板。内側は先ほど見たとおり窓が一切ない「のっぺらぼう」だが、外側には計16もの窓や狭間が開いているという。当時は二ノ丸南側に一番から七番までの7棟の櫓が並んでいたが、今や残るのはこの一番と最初に見た六番の2つだけ。

SONY DSC一番櫓の横の石垣を見ると、銃を構える台である「銃眼」が刻まれた石垣があった。その下には刻印もある。往時はこの上に土塀が建っていたので、この小さな穴から銃口を出して外の敵を撃ったのだろう。

osaka-7390s大坂城公園の南東、森ノ宮駅の近くまで来ると噴水がある。よく見ると、噴水の周囲にある石には矢穴の跡が!説明等はなかったが、恐らく発掘調査などで出てきた大坂城の石材を使っているのだろう。

おまけ:

osaka-7400a-7062おまけ。大坂城南西の大手口を出て正面に、このような近代的なビルが建っている。ここは大阪府警で、この府警ビルを建てる際の発掘調査で、豊臣期大坂城の堀跡が見つかっている。その説明板が府警ビルの前にあるのでご紹介。

SONY DSCこちらがその説明板「掘り出された大坂冬の陣」。ちゃんと坂の字になっている。多数の陶磁器片(恐らく家康が堀を埋めるときに投げ込んだものと思われ)とともに、障子堀の跡が発掘されたという。

SONY DSC説明板のうち、掘り出された豊臣期大坂城の堀 写真部分をアップで。黒い土の部分がそうで、見事に障子堀の跡が出土している。このままこれを埋め立てて上に府警ビルを建ててしまったのか…。甲府城跡のように、堀跡をうまく展示ルームなどに保存できなかったのだろうか。

以上、大坂城内の見所を駆け足でご紹介。大坂城は外堀の内側がほぼ大阪城公園として現存しているため、非常に広く見所も多い。ぜひ1日時間をかけて散策していただきたい。また天守内の各種展示物もなかなかの見応えがあり、おすすめ。(模造兜をかぶって記念写真が撮れるような写真OKなフロアと、文化財を展示した写真NGなフロアとが有る)

・大坂城大天守をパノラマ映像で作成しました → コチラ

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訪問時期:2014年10月
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