大坂城 [7/8] 期間限定レストラン営業中の旧大阪市立博物館内へ

大坂城大坂城 [6/8] の続きです。

Part6では西の丸庭園を散策。常に激混みの城内とは異なり、有料・大天守とは別料金だけあってか、西の丸庭園は静かで空いててゆっくりと大天守(遠景)や現存櫓(外観のみ)を楽しむ事ができる。近所の保育園などが遠足に来ているケースもあるので子供が走り回っていても暖かく見守ってあげよう。


<訪問記>

西の丸庭園を見終わったら、再度 二ノ丸〜桜門〜本丸へ。先程はすぐに天守を見にいってしまったので、今回は本丸の天守以外の部分を見てみよう。

osaka-7325a-7335s天守向かいに残るこの欧風の建物。昭和6年、現在の復興天守と同時期に建てられた旧日本軍 第四師団司令部庁舎。かなり頑丈に造られており大戦末期の爆撃にも耐えたという。戦後、府警本部を経て長らく大阪市立博物館として利用されていたが、2001年に博物館が大手前に移転(歴史博物館に改称)した後は封鎖・放置されていた。そこが、なんと、大坂の陣400年イベントで期間限定レストランを運営するとのことで、早速おとずれてみた。入口上には「大阪市立博物館」の文字が残ったまま。今までは封鎖されていたが、イベント中はこのとおり派手なノボリが立ち売店などが並んでいる(奥に見えるテントはグッズの売店)。レストランはその奥だ。

osakajo2-3559横から見ると質実剛健、まるで大学講堂のようだ。では中へ。

osaka-7325b-7332s旧 陸軍第四師団/市立博物館 エントランス。建物自体は旧陸軍のものだが、その後数十年に渡って民間転用されていたので、設備や内観はほとんど民間時代のものだろう。

osaka-7325c-7331sレストランは入口正面にある自販機でチケットを買って店員に渡し、席に案内いただく形。コース料理やカレーなどがあった。ご飯が目的ではなく旧建物を見ることが目的なので、生ビールを1杯所望する。

osaka-7326店員の話によると、今回は入口入って左側の一部の部屋のみがレストランとして使用され、右側や二階などは一切立入禁止という。まだランチタイム前なので客は俺1人。中の雰囲気に合うこのライトなどは今回のレストラン運営にあわせて新設したという。

osaka-7327s案内されたのはちょうど真ん中あたりの席だったので、北半分を見る。右奥のドアの向こうから料理が運ばれていた。あの奥がキッチンか。

osaka-7330ビールが来た。テンポラリーということもあってかプラコップだったのは残念。外でアクセス動き回る観光客と、中のゆっくりとした空間の対比を楽しみながら、ゆっくりと頂く。早朝から城内を約2週していたのでアルコールが体に染み込む。雰囲気もよかったので、今度はレストラン利用で来てみたい。参考:もと大阪市立博物館HP(レストランについて紹介あり)

追記:2015.4に訪問したら、自販機は撤廃されカウンター注文方式に、更にビールもジョッキに変更されていた。カイゼン!また行こうっと。

osaka-7331a-7324レストランを出る。正面はジュース等を売る屋台がひしめきあっているゴチャゴチャしたエリアだが、その裏手の小さな緑がある場所は、元 紀州御殿のあった場所。和歌山城内にあった紀州御殿が大坂城内に移築され、本丸御殿として利用された。戦後も残っていたが、なんと接収した米軍が失火により焼失。何やってんの。奥には明治天皇行幸の記念碑も建つ。

osakajo2-3571旧第四師団/大阪市立博物館 と天守の間に建つ蔵風の建物は、現存の「金蔵」。江戸中期の1751年に建てられた金蔵はその名の通り幕府直営の金庫で、金貨銀貨などが保管されていたとのこと。金蔵の奥のアルミの壁は、豊臣期大坂城の石垣保存プロジェクトで発掘調査が行われている敷地。

osakajo2-3573幕府の大事なお金を管理する建物だけあって、鬼瓦には三ツ葉葵の御紋が! しかしこの形の鬼瓦はどうも「チョンマゲをしたモーツァルト」に見えて仕方ない。

osaka-7337天守正面の大きな木。よく見ると石碑が建っていて、ただの植樹ではないことが分かる。石碑以外に説明板などは無いので、石碑を読んでみよう。石碑の前に大きな垣根があるので、前に乗り出して目を凝らして読んでみる。

osaka-7338天守正面の大きな木の石碑。表題は「豫樟之記」。豫樟(よしょう)とはクスノキのこと。最初の難しい文字「豫」は「予」の旧字で、石碑では更に古い形と思われる「木ヘンに豫」になっている(読み取るのに苦労した)。

石碑の内容は以下のとおり。天正11年に大坂城を築かれた際に秀吉公が手植(手栽)した木が280年に渡りこの地で繁っていたが、明治戊辰の兵火(※1868年 慶応4年 大坂城開城時の大火)により燃えてしまい以後 枯株となっていた。明治31年、それを惜しんだ陸軍中将 小川氏が新たに同地に同樹を植えたことの記念して建てられた、とのこと。秀吉公の遺愛を存するこの木を「後人幸二之ヲ保護セヨ」とある。ちなみにここは秀吉公の建てた豊臣期大坂城ではなくその数m上に新たに築かれた徳川期大坂城のため、このクスノキも徳川期築城時のものと想像される。明治時代ここは秀吉公の大阪城がそのまま残っていると考えられていたそうで(戦後の発掘調査で判明)、本丸で特に目立っていたクスノキの枯株に、いつしかこのような言い伝えが生まれたのだろう。詳細は不明。

SONY DSC本丸西側へ。大きな「教育勅語」の石碑がある。左右の石に彫られている文面によると、教育勅語四拾周年記念ということで、昭和6年竣工とある。中央の石碑には教育勅語本分が刻まれ、手前の説明板には現代語訳が載っていた。
明治23年(1890年)に明治天皇自ら国民に語りかけるような文面で制定された「教育勅語」(有名な “朕惟フニ〜” [ちんおもうに〜] から始まる)は、先祖代々脈々と受け継がれる「忠・孝・徳」について具体的な12の基本行動に分解して説明し、日本国民が守るべき行動規範として示すもの。戦後の左翼教育によりまともに見返されることはなかったが、一部内容は戦前ということもあり馴染まないものの、大半は今でも意義のある内容になっている。親孝行、兄弟愛、夫婦相和、朋友相信、行いは慎み深く、博愛、学問就職、知能啓発、徳器成就、法令遵守、そして世のため人のために尽くせ。といったような内容で、当時は小学校(尋常小学校)の教科書にも載っていた。今の世でも今の世にあった同様の文面(教育規範)を「天皇名で」改めて示しては如何だろうか。。。
詳細:教育勅語 現代語訳

SONY DSC本丸南西には廻遊式庭園風の場所がある。ここは本丸内に紀州御殿があった際の附属庭園で、御殿は米軍失火により無くなったため、庭園のみが残っている。池越しに見る天守の姿は写真スポットの1つ。

osaka-7340a-7107再度 天守北西の枡形へ。そういえば枡形自体の説明板を見てなかったな、ということで探してみる。

osaka-7345発見。まずは枡形に入る本丸側の門に関する説明板。「天守下仕切門跡」。明治戊辰の大火により焼失。

osaka-7347ここがその天守下仕切門跡。明治戊辰の大火で燃えた跡というのは左側の石垣の焼け焦げた石だろうか。仕切門は向かって右の石垣の間の細い通路に東向きに建っていた。正面の石段の上には、銃を載せて撃つための台座(銃眼)が残る。

osaka-7348天守下仕切門があった場所。黒くなっているのも焼けた跡か。

osaka-7350天守下仕切門を越えて再度天守を見返す。天守台の下からにゅーっと伸びている右下の石垣の壁を超えるため、右側に大きく回りこむような形になる。当然往時はこの石垣の上に土塀が建っていただろう。よく見るとこの石垣にも銃眼が並んでいる。

osaka-7350a再度 枡形内へ。枡形の説明板は、右側の石垣の下にあった。よく見ると、枡形の石垣は門が燃えたからか爆撃で歪んだからか、かなり新しい石に入れ替えられていることが色合いから分かる。

osaka-7350b山里口出枡形 説明板。山里丸へ通じる出枡形、というそのままのネーミングだ。枡形は曲輪の内部に造られることが多いが、ここは本丸から飛び出る形で枡形が造られていることから特に「出枡形」(でますがた) と呼ばれる。看板に書かれている西側の埋門は、1周目に訪れた刻印だらけの帯曲輪へ通じる道のこと。

osaka-7360a-7223s山里丸は最初にすべて見たのでどんどん進んで内堀に架かる極楽橋まで超えた。橋を越えて左(西)へ向かうと北の丸を経て京橋口へ通じていた。今度は右(東)へ向かってみよう。

osaka-7361内堀の東側の様子。すごい量の藻?が繁殖していた。極楽橋の方まで藻が広がらないようにか、プールでコースを区切るのによく使われるプラスチックが繋がったロープが設置されていた。少しはみ出てはいるが、効果は抜群なようだ。

ちなみに2015年GWに始まった「御座船でお堀めぐり」のためか、2015年春にはすっかり内堀から藻が無くなっていた。赤い藻が一面ビッシリだと見た目がかなりイマイチなので、お堀めぐりの有無に関わらずこれからも掃除してもらいたい。
(参考:御座船 乗船記

osaka-7363更に東へ。この辺りまで来ると内堀は完全に藻に覆われ、歩いて向こうまで行けそうだと思うぐらいだ。そして、この内堀東側に見える本丸石垣もかなりの迫力。少し内堀沿いに歩いて見て回ろう。

osaka-7364a-7369本丸東側、内堀沿いの石垣。見えている石垣が本丸内堀で最も高いとされる24mの高石垣。すごい迫力だ。

osaka-7365内堀 説明板。北の丸に建っていたものと内容は同じ。

osaka-7366a-7364内堀の東側は梅林となっている。シーズンオフのため人はまばら。

次回Part8では、梅林入口の前から外堀を北側に抜ける「青屋門」を通って、外堀を時計回りに巡ってみる。

>> 大坂城 [8/8] へ続く。<<

訪問時期:2014年10月
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