松本城 [後編] 平成復元”太鼓門”枡形虎口と内堀越しの定番ショット

松本城松本城 [中編2] の続きです。

大天守・月見櫓の見学を終え、天守正面から天守群の素晴らしい姿を見る。がやっぱり人が多過ぎてゆっくりと見られない。天守正面からの姿は次回の宿題として、城内の他の遺構を散策にいこう。


<訪問記>

matsumoto-0458s天守から離れて本丸御殿奥あたりから再度 天守を見返す。太陽が先ほどより降りてきて更に逆光がヒドい。色々だましだまし撮影。もう少し待ったら天守の影に太陽が隠れる形になるかも?往時は本丸御殿が目の前にあったのでこの位置からは天守は拝めなかったが、調べてみると本丸御殿は1727年に焼失して再建されずとあるので、江戸時代後半の藩主たちはここからの天守の勇姿は拝めたことになる。御殿を再建しなかった(仕事は二之丸御殿で)のは、本丸奥から見たこの天守の勇姿が素晴らしかったからでは?と思わず妄想したくなる。

matsumoto-0459さて、本丸で天守をじっくり愛でた後は、残りの遺構を巡ってみよう。残念ながら時間の関係で全ては回れないので、石垣崩落で立入禁止の埋門/埋橋(図中の9)方面は次回のお楽しみとして、内堀および外堀を東に抜けたところにある太鼓門(図中の10)へ行ってみよう。

matsumoto-0461s黒門から本丸を出て、二ノ丸を太鼓門方面へ進む。内堀越しに見る黒門と大天守のショット。ビルなど余計なものが写っていない江戸時代のような姿に見入る。

matsumoto-0462二ノ丸東側の黒門へ。こちらも櫓門と高麗門から構成される枡形虎口となっている。まずは内側(二ノ丸側)から見た櫓門。平成の復元。よく見ると右側に何か看板が立っているのでそちらも見てみよう。

matsumoto-0463太鼓門横に立っていた看板。太鼓門礎石の由来、とある。松本藩の賄御用だった肴問屋が、明治維新で廃城の際に太鼓門鏡柱の礎石1つを貰い受け自宅に保管していたという。その後 松本城 諸建造物の復元機運が高まった際、史料の足しになればということで松本市に寄付したという。素晴らしい。で、看板の後ろに置いてある丸い石がその礎石? にしては鏡柱の後が無いようにも見える。平成の復元太鼓門の礎石に再度使われたのかもしれない(詳細不明)。

matsumoto-0465枡形に入って、内側から見た太鼓門(櫓門)。鉄板は貼ってないが分厚い木戸と太い柱で隙間なく守られた重厚な城門だ。扉の上にはもちろん狭間がズラリ。

matsumoto-0465a-0467s少し角度を変えて、太鼓門櫓門。門の左側にある超巨大な岩に注目。まさに築城した石川家の権力の大きさを示す、「鏡石」の見本とも言える巨大さ。地面には枡形に水が溜まらないよう?石積みの排水溝が見える。

matsumoto-0466太鼓門枡形の由来 説明板。明治の廃城後壊されてそのままになっていたが平成11年に復元されたという。先ほど見た、櫓門の左側にあった超巨大石は「玄蕃石」と呼ばれ、石川氏の官名にちなむとか。22.5トン。太鼓門と言う名前はその名の通り枡形の北側の土塀の向こう側に太鼓を打ち鳴らす太鼓楼が建っていたとか(これは再建されていない)。図を見ると枡形の北側の石垣に登るための石段が見える。訪問時は気付かなかったが、もしかして今も登れる? 次回登城時に確認しよう。

matsumoto-0466a-0464太鼓門枡形の出口、二ノ門 高麗門。後ろの柱(控柱)の上にそれぞれ小さな屋根が乗っかっているのが特徴。

matsumoto-0469外側より高麗門。

matsumoto-0469a-0468太鼓門を出て外堀を渡る土橋の上から、外堀を見る。太鼓門の付近は石垣だが、それ以降は土塁となっているのが分かる。右手前に少し見えているのは土橋の端の石垣で、土橋は実は高麗門の直前だけ少し狭くなっている(鵜首 うのくび)。これは敵襲があっても大人数が一気に突入できないよう細くしているものと思われる。

matsumoto-0470同じく土橋の上から外堀(南側)。堀の内側にある近代的な建物は松本市立博物館。

では、お待ちかね、二ノ丸から堀越しに見る松本城天守の定番ショットを、角度をいろいろ変えながら何枚かお届け。やはり松本城はこのショットがないと締まらない。

matsumoto-0479まずは黒門に近いあたりから見た天守。シンプルな層塔型だが、こちら側には千鳥破風(三角の装飾屋根)と唐破風(口ひげ状の装飾屋根)が付いている。正面には千鳥破風1つだった。

matsumoto-0484少し西へ移動して、天守の真横あたりから。増設された月見櫓の廻縁の赤と、左奥に見える埋橋の赤がいいコントラストになっている。

matsumoto-0487更に西へ。増設された辰巳附櫓の石垣が出っ張っているので、附櫓増設時に石垣も増設したのだろう。

matsumoto-0494更に西へ。天守の西面は正面と同じく破風は1つのシンプルな姿。こちらからだと鯱の並ぶ姿もよく見える。

matsumoto-0496引きの図。こういう感じの写真をよくあちこちで見かける、THE松本城という印象の構図。広角レンズで撮ると内堀の広さがよく分かる。

matsumoto-0515sおまけ:松本城から出て大手道を進んでいると、歩道に立っていた街灯に主だった歴代城主の家紋が描かれていた。うーん歴史の街!

以上、松本城は日本の誇る国宝天守であり、堀越しにそびえる5つの連結天守は非常に美しく、国内外の観光客がひっきりなしにやってきていた。綺麗な写真を撮りたいなら朝一で開門と同時にダッシュで行くべし。まさに「人が居なくなる待ち」の時間が多い登城でした。でも大満足!

松本城 天守前で360°パノラマ映像を作りました! → コチラ

 

訪問時期:2014年4月

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松本城 [後編] 平成復元”太鼓門”枡形虎口と内堀越しの定番ショット” への2件のフィードバック

  1. 太陽の角度から考えると、午後3時以降の撮影のように感じますが、空の青さが強調され空気が澄んでいる感じがよく出ています。

    1. 徳田さん オリジナルのJPGのタイムスタンプを確認しました。後編最初の太陽と天守のツーショットは16:29、最後の引きの図が16:40でした。ちなみに前編の中盤にある太陽とのツーショットは15:40でした。記憶では当日の空はもっと濃い青だったのですが、どうしても太陽がそばに居ると写真は白っぽくなってしまいますね〜。

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