松本城 [前編] 世界各国からの観光客で大混雑の国宝天守を訪問

松本城の起源は信濃守護・小笠原氏時代に建てられた深志城とされ、武田家〜徳川家と松本支配の変遷を経て、1590年 関東へ移された徳川家に代わって秀吉から松本を与えられた石川数正により、本格的な天守を持つ近代城郭として現在の松本城が築城整備された。5層6階の大天守および附随する小天守・月見櫓等が現存し、国宝に指定されている。天守は層塔型だが、解体修理の際の調査結果により当時は望楼型であったのではないかと推定されているという。平成になって黒門、太鼓門等が復元された。

松本城<基本データ>
●名称: 松本城
●所在: 長野県松本市 (マップ)
●築主: 石川数正
●築城: 1590年頃
●遺構: 大天守/小天守/附櫓群(現存)、石垣、内堀 等
●関連: 松本市HP信州観光ナビHP


松本城 天守前で360°パノラマ映像を作りました → コチラ

<訪問記>

国宝松本城へ。しかし花見シーズンに来たのは間違いだった。すごい人人人。大混雑時には天守の入場制限がされると聞くものの幸いそこまでではなかったが、それでも城内および天守前では人が写り込まないように写真を撮るのは不可能な状況。写真を見返して少し凹みがちだが、とりあえず松本城訪問レポートを開始。

matsumoto-0312松本城は平城で、市内中心地に本丸・二ノ丸および内堀がほぼそのまま現存する。この地図は城の南、松本城の大手道沿いにある大手門駐車場前のもの。なお JR松本駅は地図の左下にあたる(地図範囲外)。

matsumoto-0316大手道を北へ。最初に見えてくる堀跡は「外堀」で、ほとんど埋め立てられてしまっていて今は南東部の一部しか残っていないが、外堀の復元を検討しているという話もあるそうだ。ちなみに松本城の堀は3重構造で、内堀(現存)・外堀(南東部のみ現存)・総堀(東部の一部が現存)となっている。1つ上の地図が分かりやすい。

matsumoto-0317a-0514s外堀を越えて、二ノ丸へ。国宝松本城天守の石碑があるところが現在の松本城の入口になるが、往時の地図を見るとどうやらここ(二ノ丸の南側)には外堀に橋は架かっていなかったようだ。

matsumoto-0318国宝松本城天守の看板。国宝指定されているのは「大天守」「乾小天守」「渡櫓」「辰巳附櫓」「月見櫓」の5棟の建物。うち辰巳附櫓と月見櫓は江戸時代になってから松平氏によって増設されている。黒い天守だが、実際は白漆喰の壁の腰部に黒漆塗りの下見板を貼り付けた構造をしている。

matsumoto-0320sまずは本丸・天守へ。二ノ丸から本丸へ渡る土橋。土橋の向こうにある黒門(枡形)は平成になって復元されたもの。夜になると土橋に置かれた紙灯籠に火が灯るのだろう。

matsumoto-0321土橋の上から内堀越しに見る松本城大天守。二ノ丸から内堀越しに見る定番ショットは最後に。

matsumoto-0323黒門の枡形虎口に入る。本丸に通じる方は立派な櫓門。いい雰囲気を醸し出しているが、黒門自体は平成の復元。

matsumoto-0326枡形内に設置されていた案内板。往時の松本城下の様子を鳥瞰した、わかりやすい図が載っている。いま居る場所は本丸に南側から入る黒門なので図中の(3)にあたる。一番外側の総堀には3つの丸馬出し(武田流)を備えた門と、南側に大手門(22番)があったようだ。

matsumoto-0327黒門をくぐる。上を見上げると、鉄板を貼り付けられた太い柱に築城した石川家の家紋「五七桐」が描かれた装飾金具が付いている。如何にも豊臣家臣という感じ。

matsumoto-0328黒門の中には歴代 松本城主と家紋等が一覧になっていた。これは便利。

matsumoto-0329s黒門を内側から。

matsumoto-0332いよいよ本丸内部へ。手前の芝生広場は本丸御殿跡(よくみると御殿の形に石で線が引いてある)。そしてその向こうには5層6階建ての大天守が逆光で鎮座。カメラを騙し騙しなんとか撮影。この角度からキレイな青空をバックに写真を撮るには午前中に来るしか無い。

matsumoto-0333本丸御殿跡。芝生広場内に黒い石で線が引いてあるのが往時の御殿の外周。

matsumoto-0335sいきなり天守前へ。ひっきりなしにどこかで誰かが写真とったりウロウロしてて誰も居ない天守だけの写真を撮るのは普通の時間帯には不可能と知る。著名城は朝一ダッシュが原則。松本城の大天守は層塔型(同じ形の徐々に小さくなる層を段々に重ねていく形)で、破風(三角の装飾部)はこちら側には1つしかないシンプルさ。内堀側には2つあった。また大天守の北側(写真右側に見切れ)には渡櫓を通じて小天守があり、南側には辰巳附櫓を経由して高欄を持つ月見櫓へと繋がる、計5棟の連結式天守。

matsumoto-0336s天守群を正面から見る。どんどん人が増えてきて収集が付かないので中へ入ろう。左の月見櫓下にあるのは出口で、入口は右側の大天守・小天守の間の渡櫓下にある。まずここから小天守へ入り、渡櫓を通って大天守へと言う構造になっている。

matsumoto-0348s小天守内。かなり太い丸太柱がまさに縦横無尽に配置されている。

matsumoto-0349乾小天守と丸太柱 説明板。大天守の北にあるのに乾(いぬい・北西)になっているのは北が不吉だからだとか。個人的には読み方が「しょうてんしゅ」ではなく「こてんしゅ」なことに驚いた。英語の説明文は日本語と結構内容が異なっていることも多く(外国人向けに細かいことはスルーして分かりやすく説明している等)、今回も日本語では「三重四階」と一言で説明してある部分を「1階は外から見えないように隠してある」などとちゃんと説明がなされている。

matsumoto-0351小天守1F。狭間が並ぶ。

matsumoto-0353結構面積があるので、さほど急でもない階段をあがって2階へ。

matsumoto-0357松本城を築城した石川家の家紋 五七桐入りの鬼瓦。

>> 松本城 [中編1] へ続く。<<

訪問時期:2014年4月
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松本城 [前編] 世界各国からの観光客で大混雑の国宝天守を訪問” への2件のフィードバック

  1. 私も先月8月に行きました。もちろん私は開門前から並んで一番乗りです。そうでないと写真は撮れませんよね。

    1. 徳田さん
      コメントありがとうございます。やはりそうですよね! 行程の都合があり午後の登城としたらこの通りです。今回は授業料だと思って次回以降の糧にしたいと思います m(._.)m

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