上田城 [中編] 東虎口櫓群内では金箔瓦片や鯱瓦などを展示中

上田城上田城 [前編] の続きです。

南の駐車場から散策スタート、断崖絶壁に沿って堀跡を進み、二ノ丸橋から東虎口櫓門を通って櫓の中を散策。明治以降に遊郭として移築再利用された櫓は平成に江戸時代の姿に復元移設されたのでぜひ中を見てみよう。櫓の中を続いて見学。


<訪問記>

上田城 東虎口にある、南櫓内を散策中。

ueda-0726上田城ジオラマ。手作り感が雰囲気出ててイイ感じ。往時は7棟あったと言われる櫓がそれぞれ配置してある。そのうち現存は西櫓(左手前)と、移設復元された北櫓/南櫓(右奥)の計3棟だが、残る4棟のうち北東部分の櫓を復元していこうという動きもあるらしい。

ueda-0730s南櫓2Fの様子。天井がかなり高い!

ueda-0731a-0769s南櫓を出て、櫓門の2階へ。

ueda-0734東虎口櫓門内。櫓門は現存ではなく平成の復元なので、木材がかなり新しい印象。

ueda-0738櫓門内に設置されていた「第一次 上田合戦図」。本能寺の変後、大混乱となった信州から織田家家臣団が撤退し、空白地となった信州を巡って上杉家・徳川家・北条家が争う事態に。上田の真田家は徳川家に味方するも、家康の領地引き渡しに反発し上杉方についた。家康は真田家の造反に怒り上田に侵攻したのが「第一次 上田合戦」。徳川軍7000に対し、真田軍は1000強と寡兵だったが、様々な作戦により真田軍が圧勝、徳川軍を撤退させた。図によると、真田軍の巧みなおびき寄せに乗っかり上田城下まで攻め込んだ徳川軍が、真田軍の伏兵に攻め立てられ大量の戦死者を出したという。

ueda-0744櫓門内に展示されていた、真田家時代の上田城金箔鯱瓦(復元)。説明板によると、出土した金箔鯱瓦を元に全体像を想定復元したとのこと。名古屋城や大坂城などで見られる全身金箔鯱ではなく、ヒレやしっぽなど一部だけが金箔で飾られた鯱瓦だ。

ueda-0748その横には、実際に上田城跡から出土した金箔瓦の一部が展示されていた。よーく見ると上の方に金箔が残っている。ウロコのところでは一切金箔が検出されなかったということか。説明板によると、真田氏時代の上田城の建物(どの建物かは分からず)には金箔が施された瓦が使用されており、本丸西側の堀底から出土したが、真田氏時代の上田城は関ヶ原後に全て壊されてしまい記録も残っていないようだ。その後に上田に入った仙石氏によって再建された上田城では金箔瓦は使われなかった。

ueda-0748a-0763s櫓門を北側に出る。櫓の横には、火縄銃と六文銭入りの盾が置いてあり、銃を構えて記念撮影などが行えるようになっている。

ueda-0749北櫓へ。

ueda-0750a-0754北櫓内1F。2Fの床板の下に太い梁が縦横に走っている。数は少ないが北櫓内にもいろいろ出土品等々が展示されているようだ。

ueda-0751上田城瓦コーナー。ここには隅櫓に用いられていた瓦が展示されている。隅櫓がどこの櫓を指しているのかは分からないが、説明には「昭和42年/57年の屋根葺き替え工事の際に発見された」とあるので、今いる北櫓のことなのかもしれない。

 

ueda-0760s北櫓2Fへ。正面の壁にかかっている三角の板は「懸魚(げぎょ)」と呼ばれる、屋根の破風の三角の部分に装飾や中身が見えないように被せられる彫刻板のこと。3枚上の写真の屋根の一番上の部分に注目。

ueda-07592F展示物で一番目立っていたのが、中央床に置かれていた火縄銃とその専用箱。種子島と呼ばれた初期の火縄銃が10挺入っていた箱。種子島御筒と書かれている。櫓は武器庫でもあったので、こんな感じの箱に詰められてたくさん保管されていたのだろう。

ueda-0764櫓群を出て櫓台の上から上田の街を見下ろす。真下は今は芝生広場だが築城当時は千曲川だった「尼ヶ淵」と呼ばれる場所。

ueda-0773s櫓を出て城内を散策。本丸内に鎮座する真田神社。東櫓群と西櫓のちょうど真ん中あたりにある。お参りしていこう。

ueda-0776神社の境内を歩いていると、大きな赤備えの兜があった。六文銭に、鹿の角。顔の部分に説明看板があるので見てみよう。

ueda-0775赤備え兜 説明板。上田城での真田軍が赤備えだったわけではなく、昌幸の子で大坂の役で有名になった真田幸村(信繁)の部隊が赤備えだったことから、真田つながりでここに展示してあるようだ。真田魂が眠る真田杉の切り株をこの巨大な赤備え兜がお守りしているとのこと。

ueda-0777s真田神社拝殿。花見シーズンということもあり参拝客が途切れることはない。左側のお守り販売所も大賑わい。

ueda-0778では本丸へ。本丸内は広場になっていて、周囲には堀に面した土塁と隅櫓跡が残るようだ。

ueda-0780s本丸跡中央に建つ「戊辰役上田藩従軍紀年碑」。戊辰役はご存知 明治の幕開け時に新政府軍と旧幕府軍との間に起こった「戊辰戦争」。当時の上田藩主は松平家、名前からも分かる通り江戸幕府の譜代大名家だったが、戊辰戦争では新政府側について会津戦争などに従軍したという。

>> 上田城 [後編] へ続く。<<

訪問時期:2014年4月
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