上田城 [前編] 桜の季節で人多すぎの大人気城跡へ

上田城は武田家旧臣だった真田昌幸が、主家滅亡後に独立し上田盆地に築いた平城。簡素な城だったが2度に渡る徳川軍の猛攻を寡兵で凌いだ上田合戦で有名となる。関ヶ原後に真田氏は松代城へ移封となり上田城は破壊されたが、その後入った仙石氏により再興され、明治まで続いた。廃城後は西櫓だけがそのまま残り、北櫓/南櫓は移設され遊郭として再利用→再び買い戻され元の場所に再移設された。城域をぐるっと囲む石垣と内堀、西櫓(現存)と北櫓/南櫓/櫓門(復元)が特徴的。

<基本データ>
●名称: 上田城 (別名 尼ヶ淵城)
●所在: 長野県上田市 (マップ)
●築主: 真田昌幸 / 仙石忠政
●築城: 1583年(天正11年) / 1626年
●遺構: 現存3櫓、現存1門、石垣、堀、曲輪
●関連: 上田市HP(上田城跡公園)


<訪問記>

真田家の居城(家康撃退の場)として有名な上田城。”千本桜まつり”という恒例イベントが行われている花見シーズン真っ最中に登城してしまったため、すごい人人人でゆっくり見られず。それでも粘りに粘って? 何とか写真を撮ってきたので少ないながらも登城レポート開始です。

ueda-0679s上田城跡は城址公園になっていて、駐車場は城域南側の石垣の下に広がる広場にある。往時はここは千曲川だったという。正面に見えるは移設復元された南櫓。花見イベントが開催中のため訪問客が多く、出店も多い。おふるまい十勇士鍋!(正月のふるまいぜんざいの如く長蛇の列で断念、というか早くお城が見たかったのでスルー)

ueda-0681上田城跡公園 案内図。花見イベント「千本桜まつり」特製看板だ。今は地図下の緑の丸付近にいて、城跡へ向かうには崖に沿って右(東)へ進み、回りこむ形で2番の二ノ丸橋から入るルートが良さそうだ。

ueda-0683城跡のある崖の下を歩く。ここは旧千曲川に面した断崖絶壁で、真田氏はこの自然の要塞を最大限利用して南(徳川領)の防御を固めるべくここに築城したのだろう。

ueda-0686旧千曲川沿いに城跡(断崖絶壁)に沿って東へ。断崖が少しゆるやかになり、土手程度になった頃にあった木札。この上は旧二ノ丸、武者溜と呼ばれる武士たちの集合場所だったそうだ。木札には上には市民会館がある…とだけ書いてあるが、実は上田市HPによると、市民会館を解体して(!)、史跡本来の姿である武者溜を復元しようという動きがあるという。がんばれ上田市!

ueda-0687城域の東側にある二ノ丸の堀跡は「けやき並木遊歩道」として整備されている。遊歩道を通って二ノ丸橋の下までやってきたところ。橋上にあがれなさそうに見えるが、この右手前に橋の手前にあがる階段がある。

ueda-0688階段の途中にあった二ノ丸堀跡の説明板。なんとこの堀跡には昭和3年から電車が通っていたという!(昭和47年廃線) びっくり。上田温電という変わった名前だが、上田温泉電軌の略だそう。橋の下には「公園前駅」があったとか。

ueda-0689階段を上がって城域へ。二ノ丸橋を渡る。コンクリートの橋。写真は「二ノ丸橋」の標柱で、現地配布のパンフにも掲載されている不思議な文様が右側に見える。◯◯ ハ シ で「にのまるはし」と読むらしい。

ueda-0690s二の丸橋の上から見下ろした二ノ丸堀跡。堀の土塁がかなり急、途中には低いながらも石垣が少し見える。この堀は徳川氏による破城時に一度埋め立てられたが、その後 仙石氏による再築の際に掘り戻されたとか。

ueda-0695s城跡公園の入り口で、上田城の顔でもある、北櫓・南櫓・東虎口櫓門の姿。さすがにすごい人!北櫓と南櫓は遊郭に移設改変されていたものを戦後に買い戻して復元。中央の東虎口櫓門は古写真等を元に平成に復元したもの。すべて中にも入れる(有料)。

ueda-0696a-0704s人をかき分けて櫓門の前までやってきた。門の中も外も人いっぱいなので写真がどうしても上向きになってしまうのはご勘弁。北櫓の石垣に有名な鏡石があるというので人が居なくなるのをしばし待つ。

ueda-0697a-0709sこちらが通称「真田石」、上田城 大手口に残る巨石。直径約3m。この真田石を含め、城内の石材の大部分は近くの太郎山という山で採れた緑色凝灰岩という石とのことだ。右側に看板があるので見てみよう。

ueda-0700真田石 説明板。上田城から松代へ移封となった際、父(築城した真田昌幸)の形見として持って行こうとしたけどまったく動かなかったという曰く付き。城はその後破壊され、仙石氏が再興したが、この真田石はまだここにあるということは、壊せなかった/壊さなかったということだろう。

ueda-0701真田石ワンショット。この石の前に立つと、頭はだいたい石の上から2/3あたりの場所になる。それぐらいの大きさ。

ueda-0702櫓門を超える前に、橋の下を覗いてみた。橋の南側は短い空堀になっている。空堀の南端は石垣の壁で覆われていて、よーく見ると、石垣の中央あたりに水抜き穴があるのが分かる。仙石氏の築城以降は古絵図にも空堀とあるが、真田氏時代は水堀だったのかもしれない。ちなみに橋の北側は本丸跡をぐるっと囲む水堀。なぜここだけ空堀なのかは不明。

ueda-0711s櫓門を越えてすぐ左側に、櫓および櫓門に登ることができる石段がある。櫓内の入場は有料だが、現存建物でもあるのでぜひ入ってみよう。

ueda-0712階段の上へ。入場料は右側にある南櫓の中の受付で支払い。

ueda-0712a-0733s南櫓と東虎口櫓門の間のスペースから南櫓を見る。移設復元とはいえ現存なので、土足禁。3つの櫓は離れているが、その間には板で道が作ってあって、靴を脱いだまま3棟間を移動できる工夫がなされている。…雨の日はどうするんだろう。

ueda-0713s南櫓へ。いきなり甲冑がお出迎え。真田家関連ではなく、江戸後期に上田藩主だった松平家伝来のもの。色々威二枚胴具足。金ピカで豪華な甲冑だ。

ueda-0717梁を見る。梁の下に敷居の溝の痕跡が残る。梁も通常は丸いままだが四角く整形してある。これは櫓内の説明によると遊郭として移設された際の改変の名残だとのこと。ふすまか何かあったのだろう。

ueda-0722南櫓2F 天井部。天井板がなく、梁や屋根裏がむき出しになっている、住居ではなく戦いのための建物という印象。

中編では南櫓〜東虎口櫓門〜北櫓と順に見ていこう。

>> 上田城 [中編] へ続く。<<

訪問時期:2014年4月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 + XF14mm
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上田城 [前編] 桜の季節で人多すぎの大人気城跡へ” への4件のフィードバック

  1. 初めまして。
    上田城の写真を探していてこちらにたどり着きました。
    ツイッターのヘッダーにこちらのお写真を使わせていただいてもよろしいでしょうか?
    商業目的ではなく、個人で楽しむ為のアカウントです。

    1. コメントありがとうございます。
      どうぞ、お使い下さいませ!
      もうすぐ始まる大河ドラマ「真田丸」で大人気間違いなしの上田城、そしてお城の魅力をお広め頂ければ幸いです(^-^)
      ちなみに参考まで、上田城のどの写真をご利用になられますでしょうか?

      1. ありがとうございます!
        北櫓・南櫓・東虎口櫓門の人がたくさんモザイクになっているお写真です。
        真田丸、わたしも楽しみにしております。
        わたしもお城巡りが好きで、先日は竹田城と岡山城と備中松山城と姫路城に行きました!
        お城、何度行っても飽きませんよね(*^_^*)

      2. 櫓と櫓門揃い踏みの写真ですね。もう少し人が少なければもっとステキな写真になったかと思うのですが、さすがに桜の季節に快晴だと、混雑っぷりもやむなし、でした。
        お城は一度で全部把握できるようなものでもありませんので、行くたびに新たな発見があり、おっしゃるとおり何度行っても飽きません。
        竹田城に岡山城、備中松山に姫路と、どれも素晴らしいお城ばかりですね。私もいずれまた再訪したいお城ばかりです。

        真田丸、私も楽しみにしています。1月2日放送予定のブラタモリ&鶴瓶の真田丸スペシャルも見逃せません!

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