小諸城 [中編] テントを上から見たような四隅が突っ張ってる天守台

小諸城小諸城 [前編] の続きです。

現存三ノ門を見てから城内へ。何かが植えられている二ノ丸で土塁と櫓台を見る。北ノ丸は弓道場、南ノ丸はすごく深い空堀を見下ろせる。黒門橋を渡って本丸へ。


<訪問記>

黒門橋で巨大空堀を渡って、本丸へ。本丸内部は二重構造になっていて、中央部に石垣に囲まれた一段高いエリア(現 懐古神社)、その周囲に馬場などが広がる深い空堀に囲まれたエリアとに分かれる。案内図等を見ても全体で本丸としか書いていないが、恐らく石垣の上部分が「本丸跡」で、その周囲は別の名で呼ばれていた可能性がある。特に示されていないのでここでは「本丸外周」と呼ぶ。

komoro-0883黒門跡を超えると道が左右に分かれている。左に行けば本丸の内部へ導かれる。右に行けば本丸石垣に沿って外周を回ることになる。これは左の道の様子。本丸に攻め入るには、左右にそびえる高石垣の上からの矢・銃弾を避けながら進まなければならない。左側の2段ほどの低い石垣は「御駕籠台跡」。城を訪問した客人はここで駕籠を降りろというわけだ。本丸中央は最後に見るとしてまずは右の外周ルートへ向かおう。

komoro-0885右ルート、本丸外周コースへ。ここは本丸北東端の石垣。自然石をそのまま積み上げた野面積みで約5mの直線的に積み上げられた石垣は、すごい迫力。隅石は長辺と短辺が交互に積み上げられた強度の高い「算木積み」。

komoro-0886本丸北東端の石垣を少し角度を変えて。石垣は角度を変えて見るとまた表情が変わるのが面白い。

komoro-0887本丸外周の北東端(先ほどの石垣の正面)には「紅葉ヶ丘」という低い石垣で囲まれた曲輪があった。石碑には「天神社 荒神社が祀られていたところで、明治時代には矢場として使用した」とある。

komoro-0889紅葉ヶ丘からしばらく進むと、左側に「荒神井戸」があった。木札には「享保の大洪水の後に造られた城内唯一の井戸」とある。正面の石段は本丸内部へ向かう道。本丸には黒門前、ここ、そして南側と3つの入口がある。本丸の中に建つ建物はなぜか「そば処」。

komoro-0890井戸の奥に見えた、本丸北東端石垣の西面。石垣の表面は築城以来400年が経過しコケがビッシリと付いている。

komoro-0891更に奥へ。これは本丸北西端、天守台。先ほどの本丸石垣より1mほど高く、約6mの高さがある。石垣は少し上部が反っているようにも見える。ぐるっと回って天守台の石垣をシッカリ見てみよう。

komoro-0892天守台石垣を北面から。真四角というよりも、角部が少し突出した、ちょうど「テントを上から見たような形」になっているように見える。

komoro-0893天守台を北西方向から。日の当たり具合もあり、真っ黒く力強い印象。そしてやはり形は「テントを上から見た形」状に見える。仙石秀久により3重天守がこの上に建てられていたが、1626年に残念ながら落雷で焼失。

komoro-0897石垣は見る角度によって表情が変わる(2度目)。少し角度を変えてみると、隅部の頂点が突出して攻撃力が増したように見える。まさに要塞という表情。

komoro-0898sあまりにカッコイイのでもう1枚、さらに角度を変えて。西面はよく日があたっており(15時頃)、隅石の算木積みが、まるで恐竜の巨大なツメがガッチリと噛み合わさっているように見える。勝てる気がしない。

komoro-0901天守台からまっすぐ西へ向かうと、本丸の周囲を囲む深い堀というか谷に囲まれて突出した「水ノ手」へ。水ノ手の石垣と、谷の奥に見える千曲川、そして「水ノ手不明御門跡(みずのて あかずの ごもんあと)」。看板の建つ石垣の下部分には幅約9尺の不明門が建ち、門の屋根が通路になって奥の石垣が積まれた「見張り用の曲輪」に繋がっていたという。門の屋根を通路代わりにするという面白い構造。

komoro-0902a-0906見張り曲輪は、現在 水ノ手展望台 になっている。展望台からは、空堀というか谷の中と、その向こうの鹿島神社のある小山がしっかり見える。左奥には千曲川。

komoro-0903水ノ手展望台から、千曲川流域を見る。川に架かる巨大な橋のような建造物は「西浦ダム」。ダムの向こう側は巨大な池になって過疎村が沈んでいるイメージがあったが、普通に川の途中にあるダム(ダムの前も後ろも普通に川のまま)もあるのか。

komoro-0907s水ノ手から本丸外周へ戻る。東屋は休憩所。その奥に木々の隙間からうっすらと本丸石垣が見える。

komoro-0908本丸外周から直接西に降りる虎口を発見。低いが(破壊された?) 石垣も造られている。前の石碑には「左 動物園に至る 中 千曲川に至る 右 展望台に至る」とある。どうやらここが搦手口(裏口)にあたるようだ。ここを出て右へ行くと先ほどの展望台の下(不明門があるところ)に行くのだろう。今回は行かずにこのまま本丸外周を散策。

komoro-0909本丸外周の西側は広い敷地になっていて「馬場跡」となっていた。石碑には「直線コースだけの鉄砲馬場 別名桜の馬場ともいう」とある。今はお花見会場か。

komoro-0910a-0913s馬場を越えて南西端へ。ここも谷に向かって突出した曲輪があり、休憩所と展望台になっていた。地図によると「富士見展望台」とのこと。長野県東端の小諸から、果たして100km先の富士山が見えるか。

komoro-0912富士見展望台の先端へ。さすが名前の通り「富士山の方向」という看板があがっている。この方向に空気が澄んでいるとドドーンと見えるわけか。山の奥のほうに目を凝らすも富士山らしき山影は見えない。富士山が見えた時の写真が柵に架かっているので見てみよう。

komoro-0912a富士山が見えた時の写真。かなりチョコンと頭の先っぽだけが見えるようだ。100km先だし、たまたま直線上に高い山がなかったからという幸運もあったようだ。

komoro-0911s2現地では全く見えず周りの人も見えないと言っていた。撮った写真で再確認してみよう。望遠レンズ撮影写真を更にブライトネスを一番暗くして等倍ピクセルで確認。1つ上の「見えた時の写真」で前後の山の形を確認すると(撮影した角度にもよるが)たぶんこのへんだと思うのだが… 心眼で何となく山の向こうに白いモヤモヤが… ノイズかも。工場も車も無く空気が澄んでいた戦国時代ならハッキリと見えたのだろう。

komoro-0915富士見展望台から下を見下ろすと、本丸南側の空堀というか谷の深さがよく見えた。上の方は岸壁だし、多少は掘ったとしても元々こういう感じの凸凹地形だったのだろうか?

komoro-0917本丸外周を南まで来ると、道がグルっと180°回って本丸へ上がる形に誘導される。北側の石垣に比べ、こちらの石垣は(同じ野面積みだが)幾分優しい印象。

komoro-0918南側本丸入口の前に建っていた、2007年大河ドラマ放映時(「風林火山」)のものと思われる変わった案内板。大河は山本勘助が主役だったが、これを書いたのは同ドラマで武田”典厩”信繁役の俳優。面白い字だなーと思ったら、ホームページの自己紹介に「趣味:書」とあった。

komoro-0919「← 勘助ゆかりの鏡石」という看板もあった。では本丸へ。

>> 小諸城 [後編] へ続く。<<

訪問時期:2014年4月
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