新宮城 [後編] 城下に残る周防守時代・堀内氏時代の屋敷跡を散策

新宮城新宮城 [中編2] の続きです。

本丸から見下ろす出丸、虎口、搦手口、天守台を見学して回った。立派な石垣には感動するも、明治以降の改変が気になるところ。


<訪問記>

singu-4844天守台跡から下へ降りる。直接天守台に沿って降りる近年の石段ができていた。これはちょっと、どうかと思う。

singu-4845元々はまっすぐだったであろう石垣が、つづら折れの階段を設置したことで、段々になっている。階段を構成している石材は元石垣か。確かに階段から見る景色はいいのだが・・・。

singu-4846そして階段を下まで降りる。階段のある面は見る陰も無いが、その側面は天守台らしい姿を留めていた。ちょっと樹木と石垣に生える草が邪魔ではあるが。天守台の前に立つ石碑は、川上不白という江戸中期の茶人の顕彰碑。ここ新宮城の城主水野家に仕える家老の出とのこと。城跡には偉人やの顕彰碑や歌碑などが多く見られるが、あまり城の歴史には直接関係がないことも多い。新宮城を最初に築いた浅野氏、江戸時代を通して新宮の地を治めた水野氏に関する顕彰碑が無いのはちょっとお寒い。

singu-4847天守台を少し引いて見る。左側に近年の階段があるのだが、それを写さなければ、このとおり打込み接ぎの石垣で構成された立派な天守台という雰囲気だ。

singu-4848もう少し引いて見ると階段が出てくる。天守台の横にまるで寄生するかのようにボコっと膨らんで階段が伸びる様は異様。

singu-4850気を取り直して、階段の横を通って本丸正面へ向かう。パンフによるとこのあたりに昭和30年代から20年間ほど観光用のケーブルカーが運営されていたそう。下を見るとケーブルカーの軌道跡が残っていた。軌道跡の終着点である今いるところ(本丸天守下)が駅跡か。

singu-4851ケーブルカー軌道跡の上あたり、本丸に建つトイレの横あたりの石垣。櫓台だったのだろうか、美しく整えられた隅石を持つ鋭い石垣だが、先ほど階段など後年の加工が入っており、石垣の隅部のみがそびえ立つ感じになってしまっている。

singu-4852先ほどのそびえ立つ石垣は、引いて見るとこんな感じ。これも後年の加工であろう、本丸正面から天守台方面(ケーブルカー駅方面?)へ向かう石段が造られている。元の形はよくわからない。

singu-4853西の大手口の他に、東にもう1つ城跡公園への入口があるので、そちらへ出るルートで下城しよう。本丸からナナメに降りるこの綺麗な石段がそう。もちろん江戸時代にはこんな道は無い。

singu-4857東口へ向かう近年の石段下から見上げた城跡。石段の左上の打込み接ぎの石垣は「鐘ノ丸」の石垣、恐らく実物。階段の上から右に伸びる柵の下の石垣(草ぼうぼう)も恐らく本丸石垣。それ以外はこの階段を作った時に一緒に作られた石垣だと思われる。

singu-4858石段を降りてきた。駐車場になっていて、ここまでは車で登って来れるようだ。

singu-4859駐車場前の石垣。丸いままの石、割ったようなカクカクした石、そして切り出したような四角い石が混在している、なんとも不思議な石垣風の土留め。いくつかの石は、城内で破損あるいは破壊されていた石垣の石を再利用したのかもしれない、と妄想。

singu-4861東口にあった古い案内板。タイトルは丹鶴城「公恩」かと一瞬思ったが、まあ「公園」だろう。平安時代から明治の廃城までの城にまつわる歴史がつらつらと書いてある。

singu-4864東口を出て、すぐ横(東隣)を見上げると石垣が見える。パンフを見てみると配水池と書いてあるが、正保城絵図には載っていない。よく見ると石垣は落し積みで、横の石段も今風ではある。一応、ここも国指定の新宮城跡の範囲になっている。元々何かあったのかもしれない。

singu-4868そして城跡の地下には、紀勢本線のトンネルが通る。山を崩して城跡を破壊してしまわないやり方で本当に良かった。そういえば、石田三成の佐和山城跡も地下にトンネルが走っていた。

singu-4870城下へ。上を見上げると鐘ノ丸の立派な石垣が見える。夏場はこの通り草木が生い茂って角度によっては見づらいが、冬場だと山の上にそびえる城跡が街のあちこちから見えそうだ。

さて城跡を出て、城下町へ。いくつかあるお寺のうち城に関連する遺跡があるようなので散策してみる。なお水野家墓所も城跡と併せて国史跡に指定されているが、少し城跡から離れた場所にあり(南へ1.5kmほど)、今回は時間の関係で訪問を断念。場所は恐らくココ

ではまず、浅野氏が新宮へ入る前にこの付近を治めていた堀内氏の屋敷跡と伝わる「全龍寺」へ。

singu-4874-hori全龍寺 山門。石垣に土塀、薬医門という、如何にも武家屋敷といった雰囲気。門の左側に看板が見える。

singu-4874a-4872史跡 堀内氏屋敷跡。堀内氏は16世紀まで熊野地区一帯を統治していた戦国大名で、信長・秀吉に仕え熊野水軍を率いて転戦し活躍したが、秀吉死後の関ヶ原合戦では三成の勧めで西軍につき敗戦によりこの屋敷も攻め落とされたという。その後は加藤清正に仕え、肥後宇土城の城代を務めたようだ。別名 堀内新宮城とも呼ばれるが、城というよりやはり堀と土塁で平地を囲んだいわゆる屋敷跡(館跡)という感じ。

singu-4875中は完全にお寺。立派な御堂があり、境内にはお稲荷さんや庭園もあった。

singu-4878そして寺の裏側や北側には、堀内氏屋敷時代の堀跡とも伝わる溝が、寺の周りを今も囲んでいた。

singu-4881寺の前に立つ古い史蹟碑。

そしてもう1つ、全龍寺から少し北に進んだ場所にある「本廣寺」へ。

singu-4890mizu本廣寺 山門。ここも石垣・土塀に立派な屋根を持つ脇戸付き薬医門というTHE武家屋敷。右側に案内板が2つも建っている。

singu-4891本廣寺の前に立つ案内板その1「新宮城主 水野家菩提寺」。境内には新宮城の石を配置した庭園があるという。

singu-4892本廣寺の前に立つ案内板その2「史跡 新宮周防守屋敷跡」。先程見た全龍寺の堀内氏に討たれた、それまでの統治者の1人だったようだ。新宮市観光協会HPによると当時の新宮では合議制で統治されていたという。

singu-4893同じく 古い史蹟碑。

singu-4894屋敷跡は例によって完全にお寺と化している。立派な本堂の横には、花頭窓のような一風変わった雰囲気の建物。住職の自宅?

おまけ:駅前の観光案内所のお姉さんに教えてもらった、全龍寺と本廣寺のちょうど中間あたりにある名物かき氷屋さん「仲氷店」へ。

singu-4895a-4887仲氷店のカキ氷。川から取った水を丸3日間かけて凍らせた「純氷」を使った名物カキ氷を頂く。器に山盛り、しかも冷たい麦茶はサービス。朝から新宮市内を歩きまわって汗だくの体には嬉しい。夏場に新宮を訪れた際は必ず立ち寄りたい!

熊野川に面した小山の上にそびえる新宮城跡。本丸周辺は近年の改変が激しいも、周辺の石垣の残りっぷりや、発掘整備が進む水ノ手は必見。今までは水ノ手をメインで発掘保存修理してきたようだが、新宮市HPによると、今後は大手門付近や全域で石垣修理や調査が行われる予定のようだ。今後の整備に期待。大阪からは特急で4時間、名古屋からも3時間半以上かかるという、なかなかに遠い新宮だが、熊野三社めぐり(本宮/那智/速玉) や 世界遺産熊野古道、お城なら藤堂高虎の惣石垣造りの山城 紀伊赤木城(三重県熊野市)とセットで訪問するなど、何かしら工夫してでもゼヒ行っておきたい城跡かと思います。

訪問時期:2014年7月
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