新宮城 [3/4] 本丸北側に残る高い石垣に囲まれた搦手口は必見

新宮城 [2/4] の続きです。

水ノ手曲輪に残る岸壁石垣と炭納屋跡を見て回る。松の丸へ戻り、実質大手の枡形虎口を越えて鐘の丸へ。鐘の丸には日本庭園が造られているが、場所的に近年の改変だろう(昭和中期には観光用のケーブルカーが運営されていたらしい)。いよいよ本丸へと向かおう。

新宮城 訪問記:其の一


<訪問記>

鐘の丸の庭園を越えて、いよいよ本丸へ。

singu-4810
本丸の様子。石垣の上に建っている土蔵風の建物はトイレ。本丸はケーブルカー時代に? かなり改変されているようで、天守台に直接登る階段ができていたりする。

singu-4814
本丸から熊野川を見下ろすと、ちょうど水ノ手が一望できるようになっていた。炭納屋および港の状況が、下に降りなくても上からしっかり監視できるというわけだ。

singu-4815
本丸横には石垣の脇に、奥にある出丸に向かうための細い道がある…とパンフには書いてあるのだが、このとおり草に埋もれて通行不能。またパンフにはその細い道の下部に浅野氏時代の野面積みの石垣が確認できるとあるが、それも判別不能。出丸は諦めて本丸へ戻る。

singu-4816
本丸の奥へ向かう石段。細かく曲がって複雑な構造となっているようだ。ここは入口。

singu-4817
そしてここが本丸正面虎口。正確に長方形に切り出された巨石が積み上がる。

singu-4818
本丸虎口の石垣。正保城絵図によると、この奥の石段のあたりに城門があったようだ。

singu-4819
反対側の石垣。虎口部の切込み接ぎと、その右側の打込み接ぎの見栄えの差が激しい。なおパンフによるとこのあたりの石垣で◯や△の刻印が見られるとあったのだが、どこにあるのか分からず。簡易でも看板を立ててくれるとありがたい。

singu-4820
本丸虎口正面の石垣。複雑な組み合わせパズルの様相。右側には古い石段のような形をした場所もあった。

singu-4821
本丸奥へ。井戸があった。

singu-4822
本丸。右側の凹みは先ほど上がってきた本丸虎口。右奥の石段風の部分が見える。左側の門のような形をしたところは藤棚風の休憩場所。汗がひかないほど暑いが日陰で休んでも暑いものは暑いのでこのまま散策続行。熱中症と水切れに要注意。

singu-4823
本丸の左奥へ進むと出っ張った部分が見える。ここから熊野川および(先ほど草ぼうぼうで到達できなかった)出丸が見えるはずだ。なお正保城絵図にはここに門が描かれ、出丸へ抜けられるようになっているが、絵図が描かれた後に改変されたのだろうか? とても降りられるようには見えない。

singu-4825
出丸と、奥に見える熊野川。出丸自体はシッカリ残っているが、出丸に至る道が草ぼうぼう。出丸の上も草ぼうぼう。行かなくて正解か。

singu-4826
本丸内部へ戻る。パンフによると本丸右奥には搦手口があるようだ。奥の石垣に囲まれたスペースがそうか。

singu-4827
搦手口を上から見下ろした図。高い石垣に囲まれた堅固な様相。降りていってみよう。

singu-4828
搦手口の先はフェンスで遮られ、通行不能。フェンスの先を覗いてみると未整備の山道という感じでとても進む感じではない。なお正保城絵図にはこの搦手口は載っていない。存在を隠したのか、後に造られたのか。

singu-4831
搦手口の虎口内から本丸を望む。ここから攻め上がるのは大変だ。よく見ると、右側の石垣の隅石は、縁取りはきっちりと揃えて平らに加工し、中央部は粗いまま残すというちょっとオシャレ技法になっている。これは金沢城の現存 三十間長屋で見た石垣(参考写真)と同じ「金場取り落とし積み」と呼ばれる加工のようだ。

singu-4832
搦手口をあがったところにある石碑「丹鶴姫之碑」。

singu-4834
丹鶴姫之碑の説明碑。丹鶴姫は鎌倉時代の人で、ここ丹鶴山に東仙寺を築いたが、江戸時代に城が造られ寺は移設された。とのこと。

singu-4835
いよいよ天守台へ。明確な区切りはなかったが、パンフの図面によると、奥の飛び出た部分が天守台跡とのこと。そういえば少し盛り上がっている気もする。

singu-4836
天守台の手前左側にまた碑があった。与謝野鉄幹という明治の歌人の歌が彫られている。城跡には歌碑が多い。

singu-4839
天守台の先端。周囲の石垣風の土塁は近年のものだろう。天守台自体が変な形をしているのは、天守台に沿って石段が造られたせい?(右側の凹んでいる部分の向こう側に石段が出来ている)よくわからない状況なので、眺望を見るだけにしよう。

singu-4840
天守台の先から見た眺望。南(新宮駅)方面。左奥の山が切れたあたりから熊野灘が見える。天守からは海上の監視ができ、逆に船上からは天守が熊野灘航行の目印となったとか。

singu-4843
では天守の南側に造られた石段から下に降りてみよう。恐らくこの道を作ったせいで、天守台の形が大きく変更されていると思われる(石垣も。。。)。

Part4では、天守台下部から城域西口へ。また城下町に残る城主屋敷跡などを散策する。

>> 新宮城 [4/4] へ続く。<<

訪問時期:2014年7月
撮影機器:SONY NEX-C3
– – – – – – – –
ブログ人気投票参加中. いつも投票アリガトウ(^-^)

投票するのも、順位を見るのも、上↑のアイコンを押してね!
ページの一番上に戻る