新宮城 [中編1] 水ノ手の岸壁高石垣と鐘ノ丸枡形虎口が見所

新宮城新宮城 [前編] の続きです。

大手口から入城し、松の丸を通ってまずは熊野川沿いの水の手曲輪へ向かう。途中の坂道には往時は積み上がっていたであろう石垣の残骸と思われる石がゴロゴロ。ヤブ蚊もすごい。頑張って下まで降りたところからリスタート。


<訪問記>

singu-4779水の手曲輪と熊野川を一望。右側に備え付けられた階段から水の手曲輪の中に入ることができるが、その前に目の前にある説明板を見ていこう。

singu-4779a-4778水の手曲輪 説明板。発掘調査の結果から、城主水野家が専売していた新宮炭(備長炭)の倉庫 兼 輸出港だったと想定されているとのこと。港の跡、炭納屋と呼ばれる倉庫群の跡、が見られるようだ。

singu-4782では水の手曲輪へ降りてみよう。

singu-4783階段の途中から見下ろす水の手。曲輪の中央を貫く道の左右に倉庫が建ち並び、石垣の外側には輸出用の船が並んでいたのだろうか。

singu-4784階段を下まで降りて見返すと、先ほど居た場所の下にも三段の石垣で壁が構築されていた。表面を整えた打込み接ぎと、丸いままの石を積み上げた野面積みが混在している。

singu-4785水の手曲輪。石積みによる水路跡もしっかり残っている(発掘されている)。正面の石垣で覆われた凹みは船着場ではなく、川沿いの船着場へ向かう降り口とのこと。

singu-4786水の手を奥へ進む。見返すと段々に積まれた石垣への登り口のような石段が手前にある。

singu-4787石垣の凹み。まるで虎口のように入り組んでいる。よーく見ると、草に埋もれて石段がうっすら見える。この石段を降りて行くと石畳の船着場があったようで、発掘調査の写真でもそれらが全部出てきたことが判明しているが、今はこのとおり草に覆われよくわからない。

singu-4789水の手の山側にも低い石垣がずっと奥まで続いていた。

singu-4792水の手の奥の方から見返す。この道より川側へは出られないようで、これ以上 港部の石垣をしっかり見ることが出来そうにないが、結構しっかりと積まれた岸壁のような石垣。史料によると、洪水などで大水が発生しても流出しないよう5mもの高い石垣が組まれていたとのことだ。

singu-4793道沿いには先ほどの説明板のとおり、炭納屋跡と思われる石積みによる区画が残っていた。黒いのは炭粉とのこと(発掘で出てきた状態のように復元展示)。

singu-4794a-4791水の手保存修理工事の説明板。熊野川沿いの石垣は上2mだけが露出していたが、発掘調査によって地中に3m以上が残されており、本来は5m以上の高さを持つ堅固な石垣だったことが判明したようだ。写真には発掘当時の草の無い緩やかな石段が写っている。船はこの前の船着場につけられ、ここは大量の炭などを持って運び入れる通路だったのだろう。また現状ではここの石垣は先ほど見たとおり下の方が深草に覆われて見えなかったのが残念。また石垣は解体修理も行われ、近代(明治)以降に付けられた石段も撤去されたという。

singu-4796もう一度 熊野川沿いの石垣を見てみる。やはり下の方は草に埋もれているが、高さ5m分あるそうだ。また石垣の下には少し土の部分があるが、当時は直接川に面していたと思われる。

singu-4797水の手の一番奥まで。この先は市民会館になっており、旧二ノ丸の保育園の西側から回りこんでいくと、ここから城内へも到達できるようだ。訪問時は高校生たちが散歩していた、静かで自然があって適度に整備されている、地元民にとっても格好の癒やしスペースなのだろう。

singu-4798発掘整備から数年が経過し、石垣に覆いかぶさる草の量もかなりなものになってきたので、観光面でも崩壊を防ぐ面でもそろそろまた草取りをお願いしたいところ。というかボランティアで参加できるのならしたいぐらい。

singu-4800水の手入口まで戻ってきた。この右側に散乱している石は、上に積まれていた石垣が落ちてきたものだろうか。またヤブ蚊の巣窟を通り抜けて城内へ戻ろう。

singu-4802松の丸まで戻ってきた。このまま正面の虎口から、次の曲輪 鐘の丸へと向かおう。

singu-4803鐘の丸石垣の端っこに巨大な石が埋め込まれていた。加工度合いと何やら鉄棒が埋め込まれていることから明治以降の開発に関連するものと思われる。説明板等なし。

singu-4804鐘の丸の枡形虎口へ。このあたりの石垣はキレイに整形された石材が、横一列にキレイに積み上げられている「切込み接ぎ・布積み」と呼ばれる高度な手法で構築されている。

singu-4805枡形虎口内へ。正面には比較的大きな石(鏡石)がいくつか埋め込まれていることが分かる。実質の城の正面入口だったのはここだったのが鏡石の存在から推定される。巨大な石は権力の象徴。

singu-4806鐘の丸枡形虎口を出口(鐘の丸側)から。正保城絵図によると、出口あたりに城門があったようだが、礎石等は確認できず。

singu-4808鐘の丸曲輪。パンフによると、合図の鐘や太鼓を打つ場所だったとのこと。東西42間、南北22間の巨大な曲輪だ。今はこのとおり何もない。側面の石垣を見ようと思ったが落下防止で植木が壁を作っており、見えなかった。

鐘の丸から本丸へ向かう部分は庭園になっている。池に架かる石橋を渡って本丸へ向かう。大手口から本丸へ向かう道中に庭園があるのは変なので、これも近年の改変と思われる。

>> 新宮城 [中編2] へ続く。<<

訪問時期:2014年7月
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