新宮城 [前編] 水の手曲輪への道は石垣残骸とヤブ蚊がいっぱい

新宮城は紀伊半島南端 熊野川の河口山上に築かれた江戸幕府の紀州藩 新宮領統治の拠点となった城で、城自体は関ヶ原合戦後に新宮に入った浅野氏により一旦築かれたが1615年 一国一城令にて一旦廃城。その後 浅野氏が三原に移封となり、代わって入った水野氏により築城再開、完成。度重なる地震や火災により被害を受けるもその都度 大規模な補修を行う。明治の廃城令で建造物は全て取り払われる。城跡は丹鶴城公園として整備された。

新宮城<基本データ>
●名称: 新宮城 (別名 丹鶴城)
●所在: 和歌山県新宮市 (マップ)
●築主: 浅野幸長 / 水野重仲
●築城: 1601年 / 1633年
●遺構: 天守台、石垣、曲輪
●関連: 新宮市HP丹鶴城公園


<訪問記>

新宮城跡はJR新宮駅から北へ徒歩10分ほどの距離にある。城の北側は熊野川に面していて自然の要害。城への登山口は南側になる。山上の城跡一帯は丹鶴城公園として整備されていて、入口は(南側に)西口と東口とがあるようだ。駅は東側にあるので駅から向かうと先に東口に到達するが、駅の観光案内所でもらったパンフによると西口が旧大手口で、なおかつ大手の西隣には旧二ノ丸跡(現保育園)の石垣も残るという。

ということで、ぐるっと回って熊野速玉大社がある西側の入口へと向かおう。

singu-4741
旧二ノ丸の石垣。二ノ丸は保育園になっており、保育園の廻りの壁が全て石垣+土塀。隅石はビシッと揃えられた算木積み、それ以外はほぼ切込み接ぎ(一部加工が粗く打込み接ぎ風になっている)。さすがは紀州徳川家の家老・水野家の所領だ。石垣は低いながらも微妙な反りが確認できる。立派な石垣に沿って東へ。

singu-4745二ノ丸の端っこだろうか、少し奥に行く階段があったのでお邪魔してみよう。

singu-4746二ノ丸側面(と思われる)石垣。少し膨らんでいるのが分かる(「はらみ」と呼ぶ)。あまり膨らんでしまうと中から崩壊してしまうので、ひどくなる前に修復工事が必要。

singu-4747ここが新宮城跡の大手口 入口。それっぽい冠木門が造られている。

singu-4748-1新宮城跡は新宮市内では「丹鶴城公園」として親しまれている。これは大手口にあった案内板。浅野氏〜水野氏による築城の簡単な歴史と、熊野川に面した小山に築城した立地構造についての説明。各曲輪などの詳細を描いた縄張図が嬉しい。江戸時代の図面と見比べながら遺構散策するのも楽しい。江戸時代の図面(正保城絵図)はコチラ(国立公文書館DA)。

singu-4748-2縄張図部分のアップ。山上全体が石垣で囲まれた要塞と化しているようだ。城跡の地下を電車の線路が貫いているのが潔い(壊さずトンネルにしたのはGJ)。

singu-4749冠木門を越えて、階段を上がる。近年造られた階段の先には、大手道時代の古い石段も一部残るという。このあたりは階段ではなく坂道だったのだろうか。右側に広場を発見。

singu-4751大手道右側の広場(曲輪)の周囲には低いながらも石垣で覆われていた。往時はここに大手口から入ってくる侍を見張るための番屋的なものが建っていた場所なのかもしれない、と思ったが、正保城絵図を見るとこの道(城下から松の丸へ通じる道)はそもそも無く、二ノ丸から通じる道へつながっているようだ。今いるこの場所は山になっている。となるとこの石垣は上の鐘の丸の石垣の下部?

singu-4752更に進んでいく。このあたりは近年の整備によるもの。

singu-4753そして、ここが近年の整備部分と、元々あった二ノ丸から続く大手口への接続点。二ノ丸へ続いていた坂道は、二ノ丸が保育園になっていることもあり、ここで封鎖されている。

singu-4755非常に雰囲気のある大手口階段を登っていく。高さ、幅がそれぞれ異なる登りづらい定番の石段。

singu-4757途中で道は折れ曲がり、壁も石垣に変わる。お城の正面に近づいてきたという感じ。

singu-4760そして階段を登り切ると、いよいよ大手門跡へ。枡形虎口(入口の先に石垣/土壁で狭いスペースを作った場所)になっているようだ。

singu-4762枡形虎口の出口側(城側)。正保城絵図によると、この小さな入口付近に小さな門があったようだ。さすが大手口、門や枡形は小さいが、しっかり切り込まれた長方形の石が隙間なく積み上げられている。

singu-4763大手口の枡形を越えて最初の曲輪は「松の丸」。正面に見える次の虎口の向こうは、本丸へと続く「鐘の丸」、そしてもう1つ、写真左側奥には熊野川沿いに広がる「水の手曲輪」への道がある。

singu-4764本丸へ向かう枡形虎口の入口。大手口よりも堅固な印象だ。石垣も切り出された長方形の石が横一列にキレイに積まれた「切込み接ぎ・布積み」と呼ばれる高度な手法。こちらは後で行くとして、まずは「水の手」を散策しよう。

singu-4766松の丸の奥へ。石で囲まれた、右奥へ降りていく坂道が水の手への道。正保城絵図によると、この降り口にも小さな門があったようだ。

singu-4768水の手へ向かう道はこんな感じ。かなり急かつ狭い。7月&この先は水辺ということで、このあたりから急にやぶ蚊が増えた印象。

singu-4770坂道の途中には、以前はしっかり積み上げられていたであろう石垣の残骸のような場所もあった。道が逆S字に折れ曲がっている。

singu-4771そして道はどんどん山麓へ向かう。

singu-4772結構下まで降りてきたが、ここにも石垣と、石垣が崩れた場所があった。特に左側の崩れた部分の石は結構キレイに四角く整えてある。ここにあったものではなく、もっと上(松の丸)にあった石垣なのかもしれない。正保城絵図には、松の丸から水の手へ向かう道はただの山道のように描かれているが、実際はこのとおり水の手(港)から攻めこまれた際にも対応できるよう堅固に守られていたようだ。

singu-4773結構山道が続いたが、この辺りまで来ると少し視界が開けてきた。水の手はもうすぐ。

singu-4774階段の向こうに石垣のような場所が見えてきた。正直この坂でやぶ蚊に刺されまくって折れかけていた心が復活! 先を急ごう。

singu-4777先ほど見えた石垣のようなものは、石垣の石展示場?みたいな場所だった。ここが、水の手の入口にあたるようだ。奥に階段があり、下の熊野川沿いまで降りられる。その手前に看板があるようなので、まずはそれを見てから下へ降りよう。

>> 新宮城 [中編1] へ続く。<<

訪問時期:2014年7月
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