金沢城 [6/6] 菱櫓は中から見ると確かに菱型、柱も菱型。

金沢城金沢城 [5/6] の続きです。

森の様相を呈していた本丸跡を抜けて、鶴の丸の幕末土蔵、休憩所内のパネル展示を見てから、二ノ丸で復元工事中の橋爪門櫓門を上から見学。そしていよいよ金沢城散策も大詰め、二ノ丸の復元櫓群を見学します。


<訪問記>

kanazawa-3497s二ノ丸へ戻る。今は広場になっている、復元櫓群の正面部分だが、ここには当時は千畳敷と呼ばれる広大かつ豪華な御殿が建っていたという。

kanazawa-3498手前の小屋で料金を支払い、いざ復元櫓群の内部へ。入口は一番奥の菱櫓手前あたりからになる。

kanazawa-3504まずは菱櫓へ。名前の由来は建物が「菱型(◇)」になっていることから来ているそうだが、外から見る限りはその菱型っぷりはまったく分からなかった。果たして中からはどうか。ここは菱櫓の最上階。パッと見では分かりづらいので、現地にいた説明員の方に聞いてみると、天井板がある下層階のほうが柱同士の角度が分かるので菱型感が分かりやすいとか。

kanazawa-3503で下に降りてみた。確かに、奥の横に伸びる梁と、手前に伸びる縦の梁との角度が、明らかに90度ではなく鈍角(91度以上)になっていることが分かる。写真だとレンズの歪みなどのせいでそうでなくてもそう見えるときもあるが、現地で見た時は確かに菱型だった。説明によると、櫓の形だけでなく、中で使われている柱すべても菱型をしているそうで、組み立てはとても難しいものだとか。菱櫓は、中でその菱型を感じるべし!

kanazawa-3524a-3506菱櫓からの眺望。目の前に復元河北門が見える。ここからだと河北門を通っている人まで丸見えだ。そして三の丸だけでなく、奥の城下町までバッチリ見える。

kanazawa-3509菱櫓と橋爪門続櫓を繋ぐ、五十間長屋へ。奥が見えないぐらい、まっすぐな廊下がババーンと続く。展示物は控えめで、この建物自体が展示物だ!と言わんばかりの堂々たる雰囲気。

kanazawa-3510菱櫓および五十間長屋の始まり部分の復元模型。1/10のサイズで、大工たちが事前に柱や梁の組み合わせや施工手順を確認するために造られるものだとか。たまに別の城などでは江戸時代に同様に造られた柱模型が残っていて展示されていることもよくある。また、現存する三十間長屋と、この復元された五十間長屋の他にも、金沢城内には四十間長屋、七十間長屋、そして九十間長屋なるものもあったとか。九十間=160m以上!すごい。

kanazawa-3511復元は伝統的工法(木造軸組工法)を用いて行われており、そのうちの1つが梁や柱の組み立ては釘ではなく、継手などと呼ばれる木の棒やほぞ/ほぞ穴を用いたパズルのような組み合わせ手法。釘などより地震や経年劣化に強いと考えられるが、実に手間ヒマがかかったことだろう…!

kanazawa-3527そして金沢城の特徴の1つ、鉛瓦(なまりかわら)。瓦といっても実際の瓦は使われておらず、まず瓦型を模した木の屋根をつくり、その上に薄い鉛の板(薄さ1.8m)を板金工事で貼り付けたもの。鉛瓦が使われている理由は、ひどい積雪に耐えるため(通常の瓦だと割れてしまう。他にも越前丸岡城の石瓦などもある)、軽量にするため(前述の石瓦はかなりの重量級)、見た目を美しくするため(雪が降っていないのに雪が積もっているような、青白い印象)などが挙げられる。よく「鉛瓦は有事には溶かして鉄砲玉にできる」という話も聞くが、どこかのガイド氏の話では、鉛瓦の鉛は不純物が多く鉄砲玉には不向きではとのこと。また鉛板を外してしまうと木がむき出しになり、火矢ですぐ燃やされてしまいそうでもある。

kanazawa-3515五十間長屋の真ん中辺りまで来た。それでもまだまだ廊下は続く。

kanazawa-3520一番奥の橋爪門続櫓に到着。中はシンプルな感じ。バリアフリーでエレベータが設置されていた。

kanazawa-3521橋爪門続櫓からの眺望。真下の橋爪門枡形では工事の真っ最中だった。

kanazawa-3523櫓内にはいくつかの出土品も展示されていた。その中の1つ、鋤始(すきはじめ)鍬始(くわはじめ)の石。宝暦13年は1763年、櫓の工事(鍬鋤なので整地か)が開始した際に記念に掘られて埋められた石が出てきたとのこと。

kanazawa-3530外へ出てみると分厚い雲に覆われていた金沢は、ちょっと晴れ間が見えてきていた。青空と復元櫓群の一枚。やはりお城は青空に限る。

金沢城の散策はここまで。ここからは城内を出て、城の向かいにある兼六園(日本三代庭園の一つ)、関連する神社仏閣、城下町などを散策。一部写真をご紹介。まずは兼六園へ。

kanazawa-3539兼六園入ってすぐにある食堂(2F)から見た百間堀と現存石川門。ここはなかなか眺望が良い、昼ごはんを食べ損ねたらここでぜひ。(何かを注文しないと二階には上がれない)

kanazawa-3554_kenroku1兼六園も、歴代の加賀藩主たちが改修に改修を重ねてきた一大庭園だけあって、見所多数。兼六園だけで1ページ作れるほど。兼六園は「廻遊式」と呼ばれる、庭園内をウロウロ見回りながら色んな風景を楽しめるスタイル(対して御殿などで座って楽しむ座観式というのもある)。池あり、築山あり、御亭あり。写真は、池にせり出した巨大な松の木の枝を柱で支えた場面。木の上からナナメに釣られたものは、雪が積もって枝が折れないようにするための「雪吊り(ゆきづり)」という仕掛け。

kanazawa-3576園内には様々な種類の大木が立ち並ぶ。これは「根上りの松」。高い盛土の上に松を植え、成長とともに徐々に盛土を削っていったことで、このように複雑な根が地面の上に張り出した形になったという。枝を支える柱がコロニーのように松の廻りを一周している。

兼六園の見所はこんなものではないが、金沢城のページなのでここまで。続いて城下にある「尾山神社」(おやまじんじゃ) へ向かう。ここは創建は明治初頭だが祭神が前田利家で、当時 藩の財政が厳しくなった幕末頃から荒廃していた利家を祀る社を、明治になってから元藩士が歴代藩主の屋敷跡(金谷御殿跡)に建てた神社という。

kanazawa-3604as尾山神社の名物といえば、オランダ人が設計したという神門。しかし神社なので当然その前には鳥居が建つ。和風な鳥居と、奥のレンガ造りの洋風な神門、和洋折衷コラボ。

kanazawa-3605鳥居を越えて、オランダ風 神門へ。一層目の石は金沢城の石垣と同じ戸室石、そして三層目の丸い窓にはギヤマンと呼ばれた上質の欧州ガラスが張られていて、当時はその中で御神灯をともしていたとか。更に一番上に立つ避雷針は、日本最古だとか。レンガのアーチに、しめ縄。不思議な空間だ。

kanazawa-3609神門を越えて内側から神門をふたたび。太陽の位置加減で、三層目のギヤマン窓が映える。

kanazawa-3611s尾山神社 拝殿。これは純和風、しかもかなり立派だ。鬼瓦には菊の御紋が光る、旧 別格官幣社(国家に功績のあった人を祀る神社で、(戦前の神社管理時代において) 国がそれを認め、勅命で幣帛を奉献する格式の高い神社が選ばれた)。

kanazawa-3613尾山神社には、前田利家公の銅像がある。利家公は槍の名手で「槍の又左」という異名があり、また背中に大きな布を付け風で膨らんで背中からの流れ矢を防ぐ効果もあった母衣(ほろ)をまとった「赤母衣衆」だったことから、槍と赤母衣の姿を表したものだとのこと。結構古い銅像かと思いきや、大河ドラマ利家とまつの放映記念で造られたものとのこと。

また境内には、利家の正室まつ(お松の方)の座像や、ここ金谷御殿の庭園跡なども残っていた。最も奥にある東神門は金沢城二ノ丸の唐門を移設したものらしいのだが見忘れた。

続いて城下町へ。長町武家屋敷跡と呼ばれる、当時の姿が色濃く残るエリアがある。中級武士たちの屋敷が今も残り、黄色の土塀、石畳の路地、そして堀などを見て楽しむことが出来る。

kanazawa-3636長町武家屋敷跡の土塀と石畳の路地。戦時に真っ直ぐ進まれないよう微妙に折れ曲がる道。

kanazawa-3638s長町の石碑。土塀の前には堀跡も残る。

広大な城域と現存/木造復元の巨大建造物を誇る加賀百万石・金沢城跡。城だけでなく、日本三大庭園 兼六園や、尾山神社に金沢神社(”金沢”の由来とされる金城霊沢がある)、長町武家屋敷跡など街全体が見所で、まさに嬉しい悲鳴。また写真は載せていないが街の中にも外堀跡の石碑があったり利家公の立像があったりと休まるヒマなし。じっくり味わうために1日フルに時間を取ってぐるっと回りたいところ。

訪問時期:2013年11月
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