金沢城 [4/6] 本丸南面の四段石垣は明治まで22mの高石垣だった

金沢城金沢城 [3/6] の続きです。

二ノ丸櫓群を三ノ丸側から見ながら、内堀沿いに北上して裏口門、土橋門、亀甲石、数寄屋などを見て回った。数寄屋から二ノ丸へ入る。Part4では本丸附段から先を散策する。


<訪問記>

kanazawa-3397数寄屋から二ノ丸へ入ったところ。このあたりも紅葉が非常に綺麗なエリア。

kanazawa-3398城域の西側へ抜ける「いもり坂口」へはこの道をまっすぐ行く。こちらへ行ってしまうと、本丸および本丸附段の北側を抜けてしまうので、こちらへは行かない。

kanazawa-3399二ノ丸を進む。正面には、先ほど三の丸側(向こう側)から見た二ノ丸櫓群が見えてきた。石垣の説明板にあったとおり、二ノ丸側から見ると櫓群の石垣は打込み接ぎになっていることが分かる。櫓群の中は見学できるが、それは後ほど。まずは城内を一周してからにしよう。

kanazawa-3401二ノ丸から西にある本丸エリアへ向かうには、二ノ丸と本丸を隔てる深い空堀に架かる木橋を渡る。木札によると「極楽橋」と呼ばれ、名前の由来は金沢城の前身の金沢御堂時代からだと伝わるらしい。この橋の向こうは本丸の北側になる本丸附段と呼ばれる曲輪になり、そこには長屋が現存している。奥に見えるのがそうだ。

kanazawa-3403極楽橋から見下ろした、本丸と二ノ丸の間の空堀。石垣は左側(本丸側)は打込み接ぎ、右側(二ノ丸側)は野面積みのように見える。

kanazawa-3410本丸附段へ。現存櫓を見る前に、附段と本丸の間にある「戌亥櫓跡」を見てみよう。戌亥(いぬい)とは方角で、北西を指す(参考画像)。十二支で北から時計回りに順に子(ね)丑(うし)寅(とら)…と数えると分かりやすい。本丸(天守)のある位置に対し北西にあったから北西櫓という意味で戌亥櫓。金沢城跡には珍しいオールドファッションな櫓台という印象。

kanazawa-3410a-3409石垣散策シリーズその7、戌亥櫓石垣。打込み接ぎだが隙間に平らな石をはめ込み切込み接ぎのように見せた、とあるが、そうは見えない。下のほうは言われてみればそんな感じがしないでもない??

kanazawa-3413戌亥櫓石垣を別角度から。算木積みの隅石も結構角が欠けてしまっていて時代の流れを感じる。

kanazawa-3416さて本丸附段へ戻り、現存長屋を見てみよう。三十間長屋と呼ばれる、横に長い2階建ての長屋だ。長屋自体は幕末の築とのこと。名前は三十間だが、実際測ってみると二十六間半だったらしい。

kanazawa-3418三十間長屋は中に入れないので、廻りをぐるっと回って見てみる。カラフルな土台の切込み接ぎ石垣が珍しい。

kanazawa-3418a-3460石垣散策シリーズその8、三十間長屋石垣。やはりこのカラフルな石垣は見所のようだ。しかも表面加工も変わっているそうで、縁取りはキレイにして、内側を荒いままにしておく「金場取り残し積み」という技なんだとか。

kanazawa-3418b-3461ということで長屋の石垣を近くで見てみた。確かに縁取りはキレイにされていて、中央部分は盛り上がっている。当時の職人の加工技術の高さを示しているのだろう。一番上の平らな石の部分も表面加工は同じものが施されている。

kanazawa-3421では本丸附段から更に北側へ伸びる階段を降りていく。このあたりにも色んな石垣が左右に見られる。左側の石垣台の上面がV字に歪んでいるのが気になる。

kanazawa-3422階段を一番下まで降りると、横に長く伸びる打込み接ぎの石垣が現れる。この道は、先ほど二ノ丸から「いもり坂口」へ伸びるスルーした道になる。この道を写真で向かって右に進めば「いもり坂口」を経て城外周へ出る。

kanazawa-3423このあたりの石垣は「薪の丸東側の石垣」となるようだ。江戸時代前期の作とのこと。

kanazawa-3426いもり坂口を経て、城外周へ出た。外周の石垣を少し見てみよう。外周に出てすぐ目に入ったのは、高い石垣の中に埋もれるナナメの線。向かって右側の石垣が先に積まれ、ナナメの線のところで一旦積み終わっていたが、後の世に左側が増設されたことを表している。どちらも野面積みだが、右側のほうがちょっと荒い気もする。ちょうどナナメの線のところに説明板があるので見てみよう。↓

kanazawa-3426a-3425申酉(さるとり)櫓下の石垣。申酉は方角で言うと西南西。右側の石垣は慶長期、つまり江戸時代前夜〜初期のもので、左側は寛永期の藩政時代のものとのこと。左側には刻印も見られるとのことで、一つ上の写真をよく見てみると確かに左側にはいくつか刻印(◯に何か)が確認できる。

kanazawa-3436城外周沿いには、石垣の出来るまで的な展示スペース(屋外)があった。順に見ていくと、切り出し→加工→積み上げのような感じで楽しめる。写真を載せると大量になるので大幅にカット。こういう感じで見ながら奥(南)へ進んでいく感じ。これは、キゴ山と呼ばれる当時の石切り場に残されていた加工途中の石材とのこと。

なおここで様々な石材を見て感じたのは、石垣の石は(隅石を除いて)特に切込み接ぎだとパッと見で「立方体/直方体の石」がレンガのように積まれているイメージを持つが、実際はそうではなく、キレイに加工されているのは「正面にあたる面」だけで、裏側は丸かったり尖っていたりする。知識では知っていたが、実際に表だけキレイで横や裏がそのままな石材をたくさん見て、結構衝撃的だった。やっぱりこうなのか!と言う感じ。切込み接ぎの石垣の実物大断面模型もあるのでよく分かる。現地訪問時はぜひスルーせずゆっくり石を見て説明を読んでみては。

kanazawa-3443さて外周の石垣へ戻る。南の方まで来ると、雰囲気が一変する石垣の場所があった。土塁はカーブを描き、石は落し積みと呼ばれるナナメに積み上げる方式。なんだここは。

kanazawa-3443a-3442…と思ったら、ここは明治時代に陸軍が作った石垣とのこと。向かいの「いもり堀」を埋め立てる際に城の土塁を削ったので、削った部分から土砂崩れにならないよう石垣でフタをしたらしい。

kanazawa-3444そして外周の南端へ。ここには城内随一の高石垣がある。この4段の石垣!段々に積み上がっている石垣は美濃岩村城などでも見られるが、ここは一段一段がかなり高いのでとても迫力がある。

しかし石垣麓の説明板に衝撃の事実が。

kanazawa-3445本丸南面の高石垣 説明板。なんと元々この石垣は今の上3段分が繋がった高さ22m以上の高石垣だった。しかし明治時代に何故か(堀を埋めるためか)削り取り、今の4段構成に改変してしまったとのこと。壊してしまわず、ちゃんと4段に積みなおしてくれただけでも良かったと思うべきか。

kanazawa-3451本丸南面の4段高石垣の全景。石垣の向こうの深い森の奥が本丸。なお下に石段があるが柵で入れない、仮に柵が無くても1段目までしか上がれず上まで行けるわけではない。上には本丸側から行くことができるそうなので、本丸散策時は高石垣の上にも来てみよう。

>> 金沢城 [5/6] へ続く。<<

訪問時期:2013年11月
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