金沢城 [3/6] 二ノ丸周辺の石垣は見所満載。数寄屋の石垣は刻印満載

金沢城金沢城 [2/6] の続きです。

河北門枡形虎口から新丸方面へ出て、大手門跡などを散策。ふたたび河北門を通って三の丸へ戻り、櫓群が復元された二ノ丸へ向かう。まずは三の丸側から見た櫓群とその石垣へ。
_


<訪問記>

kanazawa-3363内堀沿いに北上。橋と小さな門が見えてきた。ここから橋を渡って二ノ丸へ向かう事ができるようだ。現在はその奥の建造物が復元工事中のため、通行できない。

kanazawa-3364橋爪門 説明板。この橋の先も枡形になっており、枡形の奥(二ノ丸側)の門が河北門と同じく巨大な櫓門だったようだ(それが復元工事中)。枡形を含む門全体が橋爪門、右前に見えている櫓が橋爪櫓(橋爪門続櫓)。

kanazawa-3365橋の前から見た橋爪門一ノ門と橋爪櫓。門の扉は他の門と同じく金属板で強化されているが、河北門のように鉄板(黒)ではなく、銅板(青白く酸化=緑青 ろくしょう)だった。緑青の方が赤い銅のままよりサビが覆ってる分だけ強いそうだが、見た目は赤い方がキレイ。ちなみに赤い銅を貼った門は「銅門(あかがねもん)」と呼ばれることが多い。例:小田原城

そして橋爪櫓は、左から見ると二層櫓だが、正面から見ると三層に見える。中は三階建。

kanazawa-3368そのまま東へ。よく見ると、この2つの櫓を結ぶ長屋は二層になっている。つまり2つの櫓を繋ぐためのただの通路ではなく、武具などを収蔵したり兵を駐屯できる設備というわけだ。東側の櫓は「菱櫓」。建物が菱型(◆)をしているから、ということらしい。

kanazawa-3370石垣散策シリーズその3。菱櫓石垣。三の丸側(今見ている部分)が打込み接ぎ、二ノ丸側(櫓の入口側)が切込み接ぎとのこと。

kanazawa-3373石垣の角まで来た。例によって石垣の下部と上部とで雰囲気が異なる。資料によると平成の修復では全3600個余の石材のうち3100個(約85%)は再利用したとあったので、上部は平成版というわけでもない。恐らく江戸時代を通じて改修補修が行われてきたので、その際に再利用されたりしてきたのだろう。また右のほう(角の方)は布積みと呼ばれる横一列に石が積まれた形状だが、左の方にいくと落し積みと呼ばれるナナメに積んだ形なのも見所か。

菱櫓については、名前の由来になった菱型具合(角が90°ではない)は外からではよく分からない。壁の頂点部分に青い銅板?が貼られているのが目立つ。

kanazawa-3376菱櫓〜五十間長屋〜橋爪門続櫓のワンショット。 なかなかの迫力。

kanazawa-3375a-3371二ノ丸櫓群の説明板。三の丸・新丸からも突出して目立っていた菱櫓は、やはり当時においても物見の役割を担っていたようだ。

kanazawa-3377では菱櫓の東側の堀に沿って北上する。この前に二ノ丸へ入るルートがある。

kanazawa-3379二ノ丸の堀沿いの石垣。打込み接ぎだが、表面がキレイに平らに揃えられていて、とても美しい。適度に苔むした緑色の石垣と、人工的にすら見える青い堀の水との対比。

kanazawa-3379a-3378石垣散策シリーズその4。二ノ丸北面石垣。打込み接ぎの石垣の完成形と言われているとか。

kanazawa-3381内堀を北端まで進むと、二ノ丸の北端へ到達。少し広い場所があり、そこから道がいくつかに別れている。左の道は二ノ丸広場の北端を通り抜けて城域西側にある「いもり坂口」まで進む道。奥の薬医門の先には戦時に築かれた旧軍司令部の建物が残るという。写っていないが右側には北の丸(東照宮跡)へ抜ける道もあるが前述のとおり立入禁止。

kanazawa-3382こちらが二ノ丸を通り抜けて西のいもり坂口へ抜ける門跡。「裏口門跡」という木札だけが建っていて詳細不明だが、右側のキレイに切り揃えられた直方体の石垣を見る限り、なかなかに重要な門だったと推測される。

kanazawa-3386そして北の丸(東照宮跡)へ抜ける門跡。両側の石垣は高さもあり、その上には立派な櫓門が築かれていたという。

kanazawa-3386a-3384土橋門 木札。北の丸と三の丸を結ぶ門は土橋門と言われ、北の丸側には土橋に面していた。(土橋の下は空堀)

kanazawa-3388土橋門 石垣。ここも石垣散策ポイントになっている。見所は正確に切り揃えられた左側の切込み接ぎな石垣と、右側の一見不規則な形で組まれているように見えるが実は正確な六角形の石材をうまく埋め込むためのものだったという点。六角形の石は地面に設置してある説明板のちょうど真上あたりに見られる。通称 亀甲石。

kanazawa-3388a-3385ということで石垣散策シリーズその5、土橋門石垣。防火のまじないとして、水に親しむ亀を表す六角形の石が埋め込まれており、大火でも土橋門が燃えなかったのはこの石のおかげと伝えられるとのこと。

kanazawa-3389土橋門からまっすぐ進むと、簡素な薬医門(四本の柱を持つ門)のある小さな曲輪へ。藩主の側室たちの住居があった数寄屋(すきや)と呼ばれる場所だったとのこと。奥に近代風の建物が垣間見える。

kanazawa-3392この建物は明治31年に建てられた旧第六旅団司令部で、戦後は金沢大学の教育センターとしても使われていたとのこと。明治時代の木造平屋なのだが、残念ながら内部見学不可。それにしてもまるで唐辛子のような真っ赤な紅葉、訪問時は11月でまさに紅葉真っ盛りだった。

kanazawa-3394数寄屋を取り囲む低い石垣を見ると、キレイに直方体に加工された殆どの石材に刻印がされている一種異様な状態だった。どうしてここだけ? ここも見所ポイントとのこと。上の石が1つ落ちそうになっていてちょっと怖い。

kanazawa-3394a-3393石垣散策シリーズその6、数寄屋敷 石垣。先ほど見た刻印がある石垣は築城時のものとのこと。

kanazawa-3395数寄屋から二ノ丸へ戻る石段の横にも、ばっちり刻印がされた石材がずらりと並んでいた。しかも刻印がそれぞれ異なるので、それぞれの石材を加工した担当者(家臣)が異なるということ。加工に時間がかかるので分担したということだろうか…しかし他の切込み接ぎの石垣でもここまで刻印だらけということは無かった。もしかして→藩主側室の住居 がヒント?

kanazawa-3396数寄屋から石段を上がると、二ノ丸へ。奥に復元された五十間長屋が見える。このまま真っ直ぐ進むと二ノ丸櫓群への正面へ出るが、櫓群の見学は後にして、まずは城内を見て回るべく西側の「本丸附段」と呼ばれる本丸北側の曲輪へ向かおう。

>> 金沢城 [4/6] へ続く。<<

訪問時期:2013年7月
– – – – – – – –
城めぐり関連ブログ人気投票参加中. いつも投票アリガトウ!

このブログは果たして何位でしょうか? (=゚ω゚)ノ

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中