甲府城 [2/5] 一部改変されてはいるが存在感のある天守台

甲府城甲府城 [1/5] の続きです。

見所が多いとどうしてもページ数も多くなってしまいます。鍛冶曲輪門から入り、坂下門跡を通って天守曲輪へ。本丸のすごい高石垣を見るも近年改変の跡が気になる。復元鉄門のある大階段を上がっていよいよ本丸、まずは天守台へ。


<訪問記>

koufu-4374天守台へ登ってみよう。まずは1つ目の階段をあがって地階石蔵部分へ。上の階段は近年つけたものだろうと思われる。左に見えている説明板は1ページ目の最後に掲載したもの。

koufu-4375天守台の上から、本丸方面を見下ろす。・・・やはり天を衝く謝恩碑が目立ちすぎる。

koufu-4376天守台の上から、逆方向の稲荷曲輪方面を見下ろす。正面向こうの平らな山は「愛宕山」、その上にあるドーム状の建物は「愛宕山こどもの国」とのこと。さらに愛宕山の向こう側には、武田信玄が川中島合戦の際、合戦場の近くにあった信濃善光寺が戦火で焼失することを恐れ、長野からここ甲斐に移したという「甲斐善光寺」がある。御本尊も移ってきたが、武田家滅亡に伴い、やっぱり信濃がいいということで御本尊のみ信濃善光寺に戻っていったそうな。

koufu-4377天守台の上から、北の方を見る。天守台の上部は凹型になっている。眺望説明板によると、天気がめちゃくちゃ良い日はなんと富士山も見えるそうだ。

天守台上部の北側には石碑が立っているようなので見に行こう。

koufu-4380天守台の上に建つ碑は、明治天皇御登臨之阯、とある。明治天皇がここに登られたということか。側面を見ると、明治13年6月に明治天皇が本縣御巡幸の際に親しく御登臨され御國見遊されし處なり、とあった。

koufu-4382天守台の一番北端から、天守台の様子を撮影。こんな感じ。先程述べた明治の模擬天守の際にもかなり天守台自体が改変されてしまったという話もあった。

koufu-4385天守台からの眺望をもう1枚。目の前の二重櫓は復元された稲荷櫓。後ほど見学しよう。そして、高層マンションの奥に見える横長の緑の部分が、武田家統治時代の本拠地だった躑躅ヶ崎館跡(現 武田神社)。

koufu-4386天守台 南東端から天守台の様子を撮影。

koufu-4392天守台を降りて、二ノ丸へ。先程は本丸南の鉄門から入ったが、今回は本丸北にある銅門跡(こちらは復元されていない)から二ノ丸の北側へ出てみよう。本丸の高い石垣に沿って石段が続く。

koufu-4393見返すと・・・やはり謝恩碑が目立つ。

koufu-4395階段の中腹あたりから、本丸の石垣。このあたりはかなりの高さが有る。そして詰石も比較的少なくビッチリ積まれている印象。

koufu-4397更に降りる。

koufu-4398最も降りた所には、二ノ丸から更に下の屋形曲輪へ出るための門が復元されていた。内側の控柱の上に小さな屋根が垂直に乗る「高麗門」という種類の門だ。

koufu-4400内松陰門 説明板。明治の初めまでは残っていたという。建物は土地活用のため破壊されるのはやむなしとも思うが、門ぐらいは残しておけばよかったものを。

koufu-4401内松陰門 を外から見る。この門も、鉄板で補強されたいわゆる鉄門だ。脇戸は無いが、扉に小さな入口が付いているのが分かる。

koufu-4403内松陰門 全体像。ここから外側は屋形曲輪と呼ばれていたが、今は都市化により遺構は無し。それにしても石垣の上部と下部とでかなり色(汚れ具合?)が異なるのは、修復工事によるものだろうか。

koufu-4406内松陰門から出て、石垣沿いに歩道を歩きながら、南の現存内堀まで行ってみよう。ちなみに甲府城を取り巻く白壁は平成の復元とのこと。ところどころ、割れている石があるのが気になる。

koufu-4408二ノ丸 武道館あたりの下の石垣。荒く叩き割った石材を、荒々しく積み上げた印象。このあたりの石垣はパンフによると現存のものとのこと。

koufu-4411二ノ丸下の現存石垣をナナメから。実は二ノ丸は途中で膨らむ構造になっていたが、道路敷設の際に膨らみ部分を破壊してまっすぐに直している。恐らく、この先の樋(とい)があるあたりから急に石垣の雰囲気が変わっているので、そのあたりが「破壊されてそれっぽく積み直された部分」だろうか。

koufu-4412このあたりの土塀付きの低い石垣の部分は恐らく鍛冶曲輪に伴う当時の石垣。

koufu-4415b-4567そして南の追手門跡の交差点をぐるっと回って現存内堀の方まで来た。堀は城跡公園の南側にしか残っていないが、当時は左奥の茶色のビル(楽屋曲輪)の手前へと折れ曲がって続いていた。折れ曲がる部分から先を埋め立てた模様。

koufu-4415c-4573現存内堀の東側。これも道路で埋め立てられているが、本来は石垣に沿ってずっと続いていた。堀の手前(外側)が河原のようになっているのが印象的。

koufu-4415d-4574そしてもう1つ、堀を渡る橋が新設された。江戸時代は堀を渡る橋はここにはなかった。

koufu-4415e-4575堀の南東側から、内堀、橋、石垣を見る。

koufu-4415a-4572橋の手前には「舞鶴城公園」の看板あり。ここが城跡としての正門のようだ。

甲府城跡の西半分は見て回ったので、改めて橋から入り直し、東半分と復元櫓の内部などを見ていこう。

>> 甲府城 [3/5] へ続く。<<

訪問時期:2014年7月
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