新府城 [後編] 本丸跡に比べて三の丸跡・大手門跡は整備進まず

新府城新府城 [中編] の続きです。

勝頼公霊社にお参りし、本丸をじっくり見て回った後は、西側の虎口から出て二ノ丸〜三ノ丸〜大手門の遺構を見に行こう。

 


<訪問記>

shinpu-4118本丸西虎口を出る。道がカーブしていて、その左右には高い土塁が未だ健在。

shinpu-4119しばらく進むと、二ノ丸の入口が見えてくる。最初にみた縄張図によると、屋敷などが描かれている二ノ丸の手前にもう1つ曲輪があるようだ。なお往時は二ノ丸を通過しないと下ノ段へ行けなかったようだが、今は左側に二ノ丸を迂回する道ができている。

shinpu-4122二ノ丸へ向かってみる。二ノ丸の手前の曲輪と、二ノ丸とを隔てる土塁。虎口の部分には簡易な門が建っていたようだ。

shinpu-4124二ノ丸手前の曲輪。

shinpu-4126二ノ丸。結構広い。説明板の想定復元図がどこまで正しいか分からないが、奥半分に屋敷が建っていたように描かれていた。そして左側には下ノ段の馬出しへ抜ける虎口。二ノ丸の奥は七里岩、つまり断崖絶壁だ。

shinpu-4130二ノ丸南側の虎口跡。ここを抜けると下ノ段の馬出しへ抜ける模様。

shinpu-4138馬出しへ行く前に二ノ丸の奥を覗いてみる。七里岩の断崖絶壁なのだが、木が生い茂っていて真下に見えるはずの釜無川などはよく見えなかった。すごい斜面であることは確か。

shinpu-4142二ノ丸南虎口から馬出しを抜けて、三ノ丸へ通じる通路へ。

shinpu-4147矢印の方向がわかりにくいが、この看板の後ろ側、草がぼうぼうに生えている盛り上がったエリア一帯が「西三ノ丸」のようだ。今はとても入れない状況。

shinpu-4151西三ノ丸に沿って道はカーブし、大手門へと続く。

shinpu-4154恐らく、向こうに見える大きな土塁が大手門のあった枡形虎口の入口と思われる。土塁の向こう側まで行ってみたが、草ぼうぼうでこちらはまだ整備がなされていない状況だった。工事車両がひっきりなしに出入りしていたので、これから徐々に整備されていくのだろう。

shinpu-4165大手門の説明看板は、大手門跡より少し道を進んだ先(本丸側から降りてきたので、大手口側から上がってきた場合は手前)にあった。説明によるとこのあたりは大手門の前に築かれていた大手馬出しにあたる模様。が伐採された丸太等が置かれていて全体像がよく分からなかった。今後の整備に期待。

shinpu-4166大手門前から斜面を降りていく。大手門は通り抜けてはいないので、この道は往時の道ではなく、城の中から斜面を伝って城の外に出る新たに造られた道だろう。

shinpu-4168斜面おわり。大手門側から本丸へ本来のルートで登城するにはここから入るのだが、参道の大階段下に比べて石碑等もなく、分かりづらい。

shinpu-4169城跡碑かと思いきや、新府城趾周遊道路完成記念碑、だった。

shinpu-4171道(恐らく堀跡)を隔てて向こう側一帯も、縄張図によると、当時は巨大な水堀の一部だった。堀の奥には旧甲州街道。道の向こうを見てみると堀は埋め立てられているようなので、入れそうなところから見てみよう。

shinpu-4175堀の中を進む。草ぼうぼうではあるが、堀を隔てていた畝(うね)の跡と思われる土塁状の盛り上がりも確認できる。

shinpu-4180堀跡の向こう側の道へ。堀跡は埋め立てられているが、今でも大きな凹みとともに湿地帯になっているようだ。

shinpu-4181おまけ:このあたりは桃の栽培が盛んのようで、非常にいい香りが漂っていた。

武田勝頼の頼みの綱だった新府城跡は甲州武田流築城術の集大成とも言われる巨大な山城だが、残念ながら歴史の波に飲まれその成果を発揮しないまま勝頼はここを捨て逃亡、しかし逃亡先が信長に降伏したため退路進路ともに塞がれ自刃、武田家は終焉を迎えた。全ての建物は撤去され今は神社になっているが、未だ残る巨大な土塁跡から武田家の最後の意地を見た、そんな気がする城跡です。

訪問時期:2014年7月
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