本能寺後の後継者を決定する「清洲会議」にて対立した秀吉と柴田勝家は、ついに琵琶湖北の余呉湖付近で対峙した。俗に賤ヶ岳の合戦と呼ばれるこの戦いは、双方ともに一帯に大量の砦(陣地)を築いた長期戦だった。賤ヶ岳砦は秀吉方の築いた主要砦の1つで、ここを巡る戦い(佐久間盛政・柴田勝政 vs 秀吉本隊)が合戦全体の勝敗を決定づけた。有名な賤ヶ岳七本槍は、この賤ヶ岳砦を巡る戦いで著しい武功を挙げたと言われる。
<基本データ>
●名称: 賤ヶ岳砦 (賤ヶ岳古戦場)
●所在: 滋賀県長浜市 (マップ)
●築主: 羽柴秀吉
●築城: 1583年 (天正11年)
●遺構: 曲輪、空堀、土塁
●関連: 近江路観光ガイド、滋賀県観光情報
<訪問記>
賤ヶ岳砦(山頂)まではリフト(スキー場にある一人乗りのやつ)と登山道がある。登山道はリフトの下を七曲りで上がっていく感じで、途中には特に遺構などもないので登山自体が好きでないとつまらないかも。と言うことでリフトを選択。リフト乗り場へは、駐車場の横にある舗装された細い坂道を上がっていく。
駐車場にあった看板その1。すし慶という木之本の寿司屋に展示されているという賤ヶ岳合戦絵図の写し。柴田方・佐久間盛政が秀吉方の中川清秀を破った大岩山砦の戦いとのこと。この後、敗報を聞いた秀吉が賤ヶ岳へ救援、敵陣に深く侵入していた佐久間軍が崩れて戦況は柴田方の敗戦へと向かう。
駐車場にあった看板その2。賤ヶ岳の七本槍に関する昔の小学生用の教科書から文面の一部が書かれている。尋常小学とは、明治〜戦前の小学校の名称。
坂道を上がる。途中に「賤ヶ岳名称の起源」看板を発見。賎(せん=身分の低い者)の住む處(ところ)、という意味が元になっているようだ。弘法大師に比べて、という解釈でいいかと。
しばらく道をあがると「賤ヶ岳登山道」という大きな看板が出てきた。矢印があるが、道はここじゃなくもっと上のロープウェイの入口奥。山頂まで1550mに驚く。
リフト乗り場。まずはチケットを買おう。登山道は右側の道を右へ曲がって山の中へ入っていく。
リフト料金所。往復780円。結構高い。往復券を買ったら降りるときに半券が要るので失くさないようにしよう。
リフト乗り場。おっちゃんに誘導されながらリフトへ乗り込む。約7分の一人空の旅。
リフト。下がそんなに距離が無いので、それほど怖さはない。途中何度も登山道と交差する。まっすぐ登ったらそれほどの距離でもないと思うが、かなり迂回するようだ。
リフト降り場。賤ヶ岳山頂へは右奥へと進む。途中 木の杖があるので必要なら借りていこう。
こちらが賤ヶ岳山頂へ向かう登山道。ゆっくり登って約10分ほどで山頂だ。登山道の左の方に道標が立っているので見ておこう「右 賤ヶ岳」。
登山道から時折見える琵琶湖の北端。賤ヶ岳は琵琶湖北の余呉湖の湖畔にあるが、余呉湖は北側なので、山頂の向こう側にあたる。
登山道はゆるやかに奥へ向かう。途中右側に祠のようなものが見えてくる。
賤ヶ嶽合戦戦歿者霊地。お参りしていこう。
賤ヶ嶽合戦の戦没者を弔う石佛が野山に点在していたが、昭和57年にここに合祀して移転したという。4月の山開き祭の際に供養をしているそうだ。
登山道はまだまだ続く。戦没者廟あたりまでは木々が伐採されていて琵琶湖の眺望もよく見えたが、この先は高い木々が視線を遮る。
林の中へ。途中 堀切のような登山道を遮るような凸凹があったが、往時の仕掛けかどうかは分からない。
林の出口へ。山頂展望台まで100m。あと少しだ。
人工的に斜面の一部を削って道にした「切通し」な雰囲気がしてくる。いかにも山頂に築いた砦という匂いがしてきた。
今までは道の左側、琵琶湖側しか見えなかったが、ここにきて右側、木之本市街地への眺望がひらけてきた。中央奥にうっすら見える山が小谷城跡、少し離れて右側にある独立丘陵が虎御前山(信長が小谷城を攻めた際に陣を敷いた場所)。たぶん。
賤ヶ嶽を上がっていく。この辺りの構造は合戦時に構築されたものだろうか。敵の襲来に備え、こうした道沿いには門や矢倉などがあったのだろう。
回りこんで土塁の上へ。賤ヶ嶽七本槍のノボリが立っている。賤ヶ嶽七本槍とは、賤ヶ嶽合戦で活躍した秀吉配下武将のことで、七人というのは日本人が好きな数字で後日の漫談的に七人にされたという話もあるが、戦後の論功行賞で数千石を得たのはこの七人に加えもう二三人だったというから、彼らが活躍したのは間違いないようだ。特に有名なのは「福島正則(後の広島城主)」「加藤清正(後の熊本城主)」だが、他にも「脇坂安治(後の洲本〜龍野城主)」「加藤嘉明(後の伊予松山城主)」なども有名。秀吉の評価は福島正則が五千石で一番高く、他の加藤清正以下は三千石だったという。他に石田三成や大谷吉継なども賤ヶ嶽で「先懸之衆」として最前線で武功を挙げたとされる文書もあるそうだ。
いよいよ山頂へ。色々石碑などが建てられているようだ。この石段の上が山頂広場。順に見ていこう。
>> 賤ヶ岳古戦場 [後編] へ続く。<<
訪問時期:2014年6月
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