水口城 [前編] 家光が建てた城館跡には内堀と石垣の一部が残る

水口城は、3代将軍 家光公が自らの上洛時の宿として東海道の宿場町だった水口(みなくち)に築城した。しかし将軍の宿として使われたのは1回のみで、その後は水口藩の居城として城下町が発展。明治維新で廃城となり、出丸および乾櫓の石垣を除き建物を含め全て処分された。石垣の石材は近江鉄道の敷石に再利用されたという。平成3年に隅櫓が再建された。ちなみに甲賀市は、こうし ではなく こうし と読む。

水口城<基本データ>
●名称: 水口城 (別名 碧水城)
●所在: 滋賀県甲賀市 (マップ)
●築主: 徳川家光 (奉行 小堀遠州)
●築城: 1634年 (寛永11年)
●遺構: 石垣、堀、曲輪、再建櫓
●関連: 甲賀市観光ガイドHP


<訪問記>

水口城跡は、JR草津線 貴生川駅から近江鉄道に乗って1駅の水口城南駅前にある。しかしこの近江鉄道はほぼ1時間に1本(多いときでも30分に1本)というダイヤなので、貴生川駅前からレンタサイクルで城めぐりをすることにした。自転車だと近くの水口岡山城にも行ける!

minakuchi-0984レンタサイクルで貴生川駅から約20分。水口城下町へやってきた。「御本丸町」というそのままズバリの町名が記された石碑を発見。横は公園になっており、その木々の奥に石垣らしきものが見える!

minakuchi-0984a-0991水口城跡 出丸部分のすぐ南にあるミニ公園。ちょうどここから水口城の復元櫓がよく見えるようだ。

minakuchi-0985公園内に立っていた水口城跡 説明板。方形の本丸内には二条城を模した御殿群が建ち、北側には二ノ丸があったという。今は建物は無くなっているが(櫓は平成の復元)、石垣は出丸および北西(戌亥)端にのみ残るという。

minakuchi-0986公園(南側)から見る、水口城 出丸にある復元櫓の姿。詳細は分からないが、古写真に残る姿を元に外観復元をしたという、隅櫓。内堀は川などと繋がっていないため、風がないと一切動かない。このとおりまさに鏡のよう。

minakuchi-0988正面から見るよりも、少し斜めから見たほうが奥行きも分かって好きなのだが、木が生い茂っていて見える角度が限られていた。

minakuchi-0989公園の奥へ。石垣は以前は本丸全周を覆っていたのだろうが、今はほとんど撤去され、土塁がむき出しになっていた。というか、濠の周囲ほとんどが土塁。

minakuchi-0990土塁と出丸周辺に残る石垣のツーショット。本丸の四隅には以前は櫓が建っていたとのことなので、この角にも辰巳櫓が建っていたはず。

minakuchi-0992公園を出て、出丸へ向かう。立派な木橋が架かっている。

minakuchi-0993城跡全体像と周辺地図が分かりやすい駐車場の看板。右が北。出丸部分を見た後は、一旦外に出て駐車場の方へ向かえば、散策路を通って濠の周囲を一周できるようだ。ちなみに水口城跡(本丸跡)はグラウンドになっている。

minakuchi-0995橋を横目に出丸石垣と櫓を見る。この角度がもっともカッコイイ水口城の姿かと。

minakuchi-0995a-0994上の撮影ポイントあたりに立っている、水口城跡の説明板。将軍上洛時の専用の宿としての城館のため、天守は建っておらず、四角い本丸の四隅に櫓と、本丸内には二条城を模した本丸御殿が建っていたようだ。古地図を見る限り、現在建っている櫓の位置には当時は小さな番所が建っており、石垣の上に乗っかる形での櫓ではなかったようだ。そういう意味では復元ではなく、模擬櫓というべきか。北側の枡形虎口(北御門)も是非残してもらいたかった。

minakuchi-0996では水口城跡の入口へ。ここは出丸の門で、大手門は出丸の向こう側になる。

minakuchi-0998橋の上から出丸門を見る。門自体は閉まっているが、横の小さな勝手口が開いている。

minakuchi-0999橋の上から出丸内側の石垣を見る。キレイに切り揃えられた同じ大きさの石がキレイに積上げられている。切込み接ぎといってもよさそうだ。石垣の上には土塀が載ってたと思うが、木が生えている。土塀は少し内側に復元されたようだ。元々こういう作りだったのか、木を残して内側に作ったのか、は不明。

minakuchi-1001出丸門前へ。土塀には鉄砲狭間が開けられている。勝手口の横に何か白い紙が貼ってある。特に気にせず入ったが、後で見返してみて衝撃的な事実が…。

minakuchi-1002とりあえず勝手口を通って中へ。扉や柱が筋金で防護された、控柱の上に2つの小さな屋根を持つ「高麗門」形式だ。軒丸瓦の紋は三つ巴だったが、鬼側は三つ葉葵。

minakuchi-1003高麗門と土塀を斜めから。土塀には、丸や四角の鉄砲狭間の他に、長方形の矢狭間もあった。どこまで精密に復元したのだろうか、知りたい。

minakuchi-1004そして再建された模擬櫓。当時はこの場所には番所が建っていた。なぜここに二層櫓を模擬として建てたのかは不明。

minakuchi-1005向こうは大手門。出丸の周囲は土塁が築かれ、その上に土塀が囲っている。大手門は閉まっていて向こうには抜けられないようだ。

minakuchi-1006土塀の前には鬼瓦が展示されていた。説明板等はなかったので詳細不明だが、恐らく当時の瓦か。丸い造形は桃だろうか。(桃は古来からの伝承で鬼を退治する言い伝えがあるため鬼瓦等でたまに見かける)。

minakuchi-1007模擬櫓の中へ。中は木造で歴史博物館になっていた。が、何と本日休館日…。勝手口しか開いてなかった、大手門が閉まっていたのはそういうことだったか。社会科見学で近所の学生の訪問予定があるらしく、準備のため勝手口を開けていたとか。水口城は珍しく「木金」が休館日とのこと。

ということで周辺マップのみ頂いて退散。勝手口の横の白紙は、休館日のお知らせでした。

続いて、濠周囲の散策および城下町に残る水口藩の名残を見に行く。

>> 水口城 [後編] へ続く。<<

訪問時期:2014年4月
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