伊勢亀山城 [後編] 埋門跡に土塀が復元された二之丸帯曲輪跡へ

伊勢亀山城伊勢亀山城 [中編] の続きです。中編では旧東海道 亀山宿にある遍照寺に移築された旧 二の丸御殿を拝観。その後 天守台の石垣とその上に乗る多聞櫓を(外から)見学。天守台石垣の内側には、明治天皇行在所や神官屋敷棟門など歴史的な建物が移築保存されていた。後編では続いて発掘復元された二ノ丸帯曲輪や埋門跡などを見に行く。


<訪問記>

isekame-3366亀山公園内にある児童公園の入口に「三重櫓跡 二之丸帯曲輪 埋門跡 →」という城ファンホイホイな案内板が立っていた。城ファンでないとこの看板が何を意味しているのかイマイチ分からないかもしれない。公園内の大きな地図看板の右側の細い道へと進む。

isekame-3372細い道をどんどん進んでいくと、少し開けた場所に出た。このあたりは二之丸の一番端っこ(北)で「二之丸広場」と名付けられていた。二之丸の中心部(写真でいう右側)は今は小学校の敷地になっている。ちなみに中編で見に行った遍照寺の二之丸御殿はちょうど小学校の運動場あたりに建っていたとお寺の方は仰っていた。なお写真で瓦片が積上げられている細長い場所は、古絵図に「築山」と書かれている場所を再現したものらしい。そして恐らくこの瓦片は、発掘調査で地中から出てきた旧二之丸御殿の瓦だろう。

isekame-3372a-3371二之丸北端に立っていた説明板。小学校の敷地と外濠との間に残ったエリアは、旧二之丸および帯曲輪だったことから、往時の姿に整備を行ったとのことだ。地図によると、埋門、帯曲輪、土塀などが復元されているようだ。

isekame-3373もう1枚 説明板があった。亀山城 二之丸跡。遍照寺に移築されたのは、二之丸御殿のうち、式台(玄関の一段高くなった部分)と大書院部分とのことだ。

isekame-3376二之丸広場の奥へと進むと、一段低い場所にあった帯曲輪(二之丸の北側を防衛するための細長い曲輪)へ降りるための埋門(うずみもん)跡があった。

isekame-3376a-3388埋門跡を下から見上げる。草に埋もれてしまっているが、当時の石積みや石段の様子は分かる。当然この石垣の上は櫓が塞いでいた。埋門とは、石垣に穴を開けて地下に降りていくような形状の門の一般名称で、姫路城などあちこちの城で見られる。

isekame-3377埋門 説明板。このまま残っていたのではなく、破城の際に埋められてしまったとのことで、平成15年に掘り返して調査したところ、写真のような生々しい石垣の残骸が出てきたそうだ。それをそのまま保存しているらしい。とても分かりやすく写真も鮮明で、良い説明板だ。できれば草は刈って、写真のような状態に戻して欲しい。

isekame-3380埋門を通って帯曲輪へ。土塀は復元。土塀の向こう側は下り坂になっていて、その下は濠だった。土塀に濠に向かってくる敵を攻撃するための狭間(◯や△の穴)が無いのが気になる。

isekame-3381土塀の前に立っていた、土塀 説明板。錆びて剥げて反射して特に前半は殆ど読めず、実に悪い説明板の見本のような状態。さっき見た埋門説明板との違いが痛々しい。前半は読む気がしないので後半だけ読むと、軒丸瓦は亀山城主 石川家の「蛇の目」紋(太い一重丸線)、そして先ほど疑問だった土塀に狭間が無いのは、古写真にも狭間の無い土塀が写っていることから忠実にそれを再現したとのこと。

isekame-3382帯曲輪の反対側。側溝跡などが分かる。

isekame-3383帯曲輪 説明板。土塀説明板と同じもののようだがこちらは剥げていないのでまだ多少判読できる。発掘調査で見つかった石積みの側溝跡は埋め戻したため、今見られる側溝跡は同じ場所の上に同じような感じで復元したものとのこと。

isekame-3385一部 石積み跡も残されていた。今は草ぼうぼうの土塁だが、往時は埋門の周囲は石垣がびしっと巻かれていたのかもしれない。

isekame-3391a-3378帯曲輪を上がると、埋門の横に大きな石が置いてあり、その横には「二の丸御殿の礎石」と説明板が立てられていた。大きな石の左側に見られる凹みが柱を据えた跡で、その廻りに落ちている黒石は玄関に敷き詰められていた玉石だろうとのこと。小学校の工事前の発掘調査で出てきた。

isekame-3392二之丸広場付近から見下ろした、二の丸北側の斜面とその向こうに一部残る 外濠跡。あとで降りてみよう。

isekame-3393二之丸広場の手前には、亀山城三重櫓跡と書かれた柱が立っていた。どこ?と思いきや、その奥の石段の上の高台が、三重櫓が建っていた場所のようだ。完全に公園風に改造されてしまっていて、櫓台だった雰囲気は皆無。なお柱の反対側には短い説明文が書いてあり、それによると三重櫓は天守取り壊し後に城主の本多俊次が天守の代わりとして1641年に築いたもので、城内唯一の三層の櫓だったとのことだ。

isekame-3394三重櫓跡を反対側から。こちらも完全に公園のオブジェ。一応登ってみたが何もなかった。

isekame-3398三重櫓跡の横に、二之丸北の濠へ降りられる石段があったので、降りてみよう。

isekame-3399緑の静かな湖面が美しい外濠跡。今は公園池となってしまったようだ。

isekame-3401濠縁まで降りてきた。この写真の後ろ側には菖蒲園があり、梅雨前の季節に来れば一面の菖蒲が楽しめる、とのことだった。訪問時は6月後半だったため既に時遅し、だった。

伊勢亀山城は現存多聞櫓と天守台高石垣が有名だが、それ以外は都市化によりほぼ消滅しているのが残念。それでも市の文化財保護活動により埋門や帯曲輪が復元されているのは有り難い。訪問するなら、多聞櫓や長屋門を拝観できる土日祝がオススメ。また、亀山城ジオラマや古写真などが楽しめる亀山市歴史博物館もぜひ(今回のように臨時休業があるので事前にHPを要チェック)。

訪問時期:2014年6月
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