田丸城 [後編] 二の丸虎口附近の高石垣も見どころ

田丸城田丸城 [中編] の続きです。

本丸石垣を周囲でじっくり眺めてから、本丸内へ入る。奥に残る天守台の石段は非常に珍しい扇型。天守台の石垣は意外と低い。
そして南側の二の丸へ向かう。


<訪問記>

tamaru-3516本丸と二の丸の間の土橋。本丸と二の丸の間には深い空堀が掘られている。

tamaru-3518土橋の上から西側を見る。本丸は石垣が構築されているが、二の丸は土塁だった。空堀(地面が平らな箱堀)というよりも帯曲輪といったほうが良いかもしれないほどの幅。

tamaru-3519土橋の上から東側を見る。奥は三の丸(現 中学校運動場)。こちらは三の丸に面していることもあり、二の丸の周囲も石垣が構築されていた。

tamaru-3520二の丸内部。忠魂碑が立てられている他は、特に何もなかった。

tamaru-3523二の丸南東部にある富士見台。往時は櫓が建っていたのだろうか。名前から、ここから往時は富士山!が見えるほどの眺望が楽しめたということだろう。ここは三重県、富士まで数百キロはあるが、実際はどうだったのだろうか。今は樹木が生い茂り、眺望どころではない。

tamaru-3524富士見台の上から、二の丸の下を見下ろす。こちらは搦手道になっているようだ。

tamaru-3528富士見台の北側には、二の丸から直接三の丸へ降りる二の丸虎口があった。こちらもしっかり石垣で囲まれた堅固な門だったようだ。城域入口のところで見た富士見門は、ここにあったものとのこと。

tamaru-3530二の丸虎口から三の丸へ降りてみよう。結構高い石垣に囲まれた虎口だ。

tamaru-3531二の丸虎口あたりから見下ろした三の丸。三の丸の御殿や武家屋敷などは城内から丸見えだったことがよくわかる。

tamaru-3532二の丸横の石垣。石垣に生える草の除去などの遺構整備がきちんと行われている証拠に、整備がされていない手前の方は草がえらいことになっている。明治の廃城後、整備が始まる前は、全体的にこんな感じだったのだろう。

tamaru-3535三の丸側の石垣。角も揃えてきっちりと積上げられている。

tamaru-3536二の丸虎口附近の石垣修復工事に関する説明板。工事のために石垣を外したところ、栗石の奥から更に前の時代の石垣が見つかったとのことで、元々の石垣の上に更に石垣を積んだことが分かったそうだ。下図の通り、と絵が描いてあるが、いまいちこの絵の見方が分からない。

tamaru-3540二の丸虎口を外(三の丸側)から見る。こうしてみると、このあたりの二の丸の高石垣はなかなかのもの。地面の草やある程度の木々伐採を行うと、もう少しスッキリと見やすい城跡になるような気がする。

tamaru-3541三の丸の内側(学校運動場の手前あたり)から、二の丸石垣を見る。こちらもかなり草木に覆われている。

tamaru-3542運動場の手前には、金明水・銀明水と書かれた石碑が立っていた。井戸の跡とのことだが、どこが井戸の跡なのかは分からず。三の丸に井戸があったよ、でも運動場にしたので痕跡は無くなったよ、ということだろうか。

tamaru-3544二の丸虎口から出て学校の前を通りながら元のルートへ戻る途中、本丸の石垣手前にある土塁附近でカモの親子を発見。城跡にお住まいの現在の城主一家のようだ。ご挨拶に伺おうとすると…↓

tamaru-3548ダダダッとすごい勢いで土塁を駆け上がっていく!!

tamaru-3549a-3563石垣の前を爆走するカモ御一家。よく見ると後ろのほうに1羽だけ金髪が居る。もしかして不良息子…いや傾奇者か。などと考えていると、後の石垣にいくつか巨石が埋め込まれていることに気づく。これを見せたいがために私をここまで導いてくれたのだろうか。

tamaru-3556カモ御一家を追いかけて土塁の上まであがってしまった。降りる最中、北の丸の一角に何やら虎口のような場所を発見。こんなところに入口が、と思って奥へ行ってみたが、左側は土塁で行き止まりだった。何の場所だろうか。

tamaru-3557突き当たりにあった石垣。現代技術による野面積み工法で新規に構築した石垣、とのこと。では元々はどういう構成だったのだろうか。あとで古絵図と見比べてみよう。

tamaru-3558こちらが北の丸 謎の虎口の平成野面積み石垣。表面が叩かれすぎて野面積みというより打込み接ぎに見えるが、苔むし具合もあって平成作とは思えない出来栄え。

tamaru-3566a-3551複雑な形をした北の丸石垣の一部。

tamaru-3569城域を出て、田丸城のある小山の周囲へ。今は埋もれてしまっているが、古絵図によると当時はこのあたりは外濠だったようだ。また学校の裏側には二の門、大手門跡および外濠の一部が現存するようだ。今回は未訪問なのが残念。

tamaru-3573田丸神社。城の真ん前にある。創建は江戸時代で、明治の神社合併令で附近の十一社が合祀されたといい、鳥居や燈籠などはその合祀されたあちこちの神社から集められてきたものという。

tamaru-3576田丸城跡を遠景で。山の一部の木が伐られ、石垣が露出していることがよく分かる。遠景もオススメ。

織田軍の伊勢攻略で信長の次男 信雄の手により近世城郭へと生まれ変わった田丸城。地元の方々の保存活動により、今も非常に良好な遺構が残る。三重県内(伊賀・伊勢)には他に有名な城跡がいくつもあり(津城跡伊賀上野城跡松坂城跡 など)、田丸城跡はその影に隠れ余り有名ではないが、特に石垣好きにはぜひ来て頂きたい城跡と言える。

訪問時期:2014年6月
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田丸城 [後編] 二の丸虎口附近の高石垣も見どころ” への7件のフィードバック

  1. こんにちは。

    平成の石垣、知見不足で現代なりの方法を使わざるを得なかったと言いつつも、この出来栄えなら周囲の石垣との違和感を感じることも殆どなさそうですね。史跡保存の方向としては良い判断と施工だと思いました。

    1. こんにちは。いつもありがとうございます。
      そうですね、私も近づいて看板を見るまで全く違和感を感じませんでした。言われると、違いを探してしまいますが(^^;
      他の城跡でも石垣や建物は江戸時代のままというわけでもなく、バラして積み直したりもされています。であれば、失われた石垣についても、穴太積みの技術を伝承する企業さんにお願いするなどして、古絵図に示される場所のとおりに石垣を積み直すというのもアリかもしれませんね。

  2. お城初心者です。ふる里の熊野市紀和町所在の赤木城址を知ってから関心を持つようになりました。
    家から近いし、今度、玉城町の田丸城址に行ってきます。赤木城もお願いしますね

  3. みの吉さん
    コメントありがとうございます。熊野の赤木城趾もかなりの迫力だそうですね。地元の整備のたまものだと思います。大阪からだと車でも電車でも結構大変な場所にあるのでまだ行けていませんが、近々かならず訪れたい城跡の1つにリストアップされています。田丸城趾もなかなかのものですのでぜひお楽しみください〜。

  4. この中学校の卒業生です。現在も付近に在住していますが、登ったことがないんですよ、
    最近。写真を拝見する限りは以前よりも随分整備もされて綺麗になっていて嬉しかったです。
    大手門側は内堀も石垣も綺麗です。鴨さんたちはその内堀からのご出張ですね。
    史跡としては城内にあたる部分にJRの線路がある、中学校がある。役場がある。以前は小学校までありましたので、指定が受け辛いとのこと。中学校は今度の立て直しがある場合は他所に移転の方針だそうです。是非今度は内堀と大手門をご覧ください。桜の季節は良いですよ。

    1. yuZuさん
      コメントありがとうございます!!
      歴史的にお城の場所に公共施設が多いのは仕方ないですが、最近は建て替えの際に仰るとおり移設するパターンが多いようですね。忠臣蔵で有名な赤穂城も本丸が思いっきり学校でしたが移設して今は完全に城跡として復元整備が進んでいます。田丸城のこれからに期待、ですね。
      次回はおっしゃるとおりぜひ大手門側にも行ってみたいと思います。m(. .)m

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