田丸城 [中編] 整然とした石垣に感動。天守台には扇型の階段

田丸城田丸城 [前編] の続きです。

三の丸跡に建つ中学校の車道に沿って小山を登る。本丸虎口を越えて城内へ入り、まずは北の丸へ。曲輪を囲む土塁がしっかり残っていた。
そしていよいよ本丸へ。


<訪問記>

tamaru-3462北の丸方面から見た本丸石垣。まるで最近積んだかのようなまっすぐな石の壁が大規模に現存。これはすごい。感動。手前の石垣の上にもう1段見える石垣は天守台。このまま真っ直ぐ進むと本丸に入れるが、石垣の手前を右に進むと本丸下の帯曲輪的なスペースに回りこむことが出来るようだ。そちらへ行ってみよう。

tamaru-3464本丸北側の石垣。自然石をそのまま積み上げた野面積みだが、何だかすごく整然とした雰囲気がする。

tamaru-3472回りこんで西側へ。本丸は四角ではなく、時々出っ張ったところがある。櫓が建っていのか、あるいは横矢掛け用の出っ張りか。横矢掛けとは、石垣に張り付いた敵を上からではなく横から射る/撃つことが出来るよう、石垣を時折曲げたり出っ張ったりさせる構成のこと。往時は石垣の上には土塀や櫓などがあるので、その鉄砲狭間などから真下(の石垣に張り付いた敵)を狙うのは難しい。

tamaru-3474本丸西側の石垣アップ。層がいっぱい積み重なって出来たような石が特徴的。徳島城跡の石垣にも見られた「片岩(結晶片岩)」という種類の石だろうか? やはり角が尖った割りっぱなしの石が荒々しい印象。肉食系石垣。

tamaru-3477本丸の出っ張り部分の奥へ。分かりづらいところに、石垣に関する説明板があった。隅石は、長短辺を交互に積み上げた算木積みの初期状態のような形。

tamaru-3479石垣の説明板。ほとんど消えかかっていて現地では読む気が起きなかったので、撮影して写真で解読。田丸城の石垣の説明ではなく、一般的な石垣の種類を説明しているもので、ちょっとガッカリ。「野面積みは一見粗野であるが排水性に優れ意外に頑丈で年暦を経ると雅趣がある」とべた褒め。

tamaru-3480ゴツゴツした石の力強さを最大限 引き出してみたカット。

tamaru-3483本丸西側の飛び出し部分の石垣は上記の通りゴツゴツしていたが、飛び出していない部分の石垣はこのとおり少し丸い感じ。ここは北西端。積み上げられた時代が違うのかもしれない。隅石の上から4つ目に転用石と思われる丸い穴の開いた石が埋め込まれている。

tamaru-3484こちらは本丸北側の石垣アップ。5枚上の写真と見比べてみると、石の種類は同じ(層がある)に見えるが、こちらは丸いものが多く柔らかい印象。草食系石垣。

tamaru-3489そんな石垣の違いを感じながら、本丸の入口へ。本丸虎口前の石垣は大きくてちゃんと切りだされている感じで、また異なる雰囲気だ。さすがは城の顔、本丸虎口。

tamaru-3490本丸虎口と門 説明板。自然石で位置を示しているのが18世紀以降の遺構、切石なのがそれより古い遺構とのこと。1枚上の写真で門の前にある礎石は切石なので、古い遺構か。

tamaru-3492虎口を進む。虎口の本丸直前あたりにはこのように「自然石」での礎石跡が埋められていた。これは江戸後期の遺構のようだ。

tamaru-3493本丸跡へ。かなり広い曲輪で、一番奥に天守台が残っている。曲輪の周囲には植樹による柵があるが、これは落下防止のため近年造られたもの。風情のない鉄柵よりかは良い。

tamaru-3495天守台を正面に見る。この上に、織田信雄は3層の天守を建てたという。

tamaru-3498天守台の正面へ。ぱっと見で気づくのは、天守に登る石段が扇状になっていること。日本の城跡ではかなり珍しいのでは? そして右手前に小天守台のような場所があるが、ちょっと狭すぎるので恐らく踊り場的な場所か。天守台に登ってみよう。

tamaru-3500石段の上あたりから天守台内部を見る。地下一階というには少し低い石垣。石垣の上に登る石段は同じ石材のようなので、恐らく当時からあったものか。と思うが不明。天守台の中の石段は後年の観光地化の際に設置されたケースも多いので要注意(例:津山城 天守台)。

tamaru-3501天守台の内部。どんな天守が建っていたのだろうか。信雄はどういうルートで天守の上に登っていったのだろうか。ここに立って想像するのも楽しい。

tamaru-3503天守台の石垣に登ってみる。東側の本丸虎口を見下ろした図。小山の上の更に3層天守なので、望楼から見ると文字通り街を一望、まさに天下人(自分は息子だけど)の気分だっただろう。恐らく往時は伊勢神宮も見えたと思う(田丸城の東に外宮、東南に内宮)。

tamaru-3504反対側の本丸西側の様子。

tamaru-3506天守台の入口附近にも、小さな階段があった。石垣部分がすごく狭くなっているが、こんな狭くて上に3層もの天守をしっかり支えられたのだろうか、と心配になってしまった。

tamaru-3507天守台 踊り場の部分から本丸を見下ろす。本丸御殿などが建っていたのだろうか。

tamaru-3510天守台の南東端。斜めに石を積み上げる「落し積み」という方式で、ここだけまた雰囲気が異なる。天守が焼失して数百年このまま放置されていたようなので、地震等で石垣が崩れて直したりしていたのかもしれない。(ただし城を直すには当時は幕府の許可が必要だったので、もしそうなら申請書類が残っているはずなのだが)

tamaru-3513本丸の南西端、天守台と反対側には「角櫓跡」と看板があがっていた。低い石垣の台座がある。

tamaru-3514では本丸を出て、南側の二の丸へ向かおう。

>> 田丸城 [後編] へ続く。<<

訪問時期:2014年6月
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