江戸城 [4/6] 中雀門跡に残る三代目天守台の石は業火の跡が痛々しい

江戸城 [3/6]江戸城 の続きです。

本丸北側(北桔橋門側)から本丸へ入り、まずは天守台へ。日本最大の天守台は地階部分が埋められてしまい展望台と化していたのがちょっと残念。地階のまま残して高松城天守台のように展望用の台を設置する方法でも良いのでは? 気を取り直して本丸内を散策する。


<訪問記>

さて本丸 天守台を見終えて、本丸中央部へ・・・と思ったが、本丸中央部は先ほど天守台の上から見たとおり、一面大芝生で何もないことがずいぶん手前からも分かる状態。どうしようかと思って廻りを見ると、本丸西側に植樹に囲まれた小道があるようだ。そちらへ向かう。

edo-2697本丸西側の小道へ。右側に竹が沢山生えている一角を発見。看板によると、天皇陛下の御提案により平成8年に、吹上御所からここへ竹が移されたとのこと。13種類の竹が植えられているとか。ちゃんと絵付きでどれが何竹かがきちんと説明してあった。

edo-2699竹林を越えてしばらく進むと、こちらも正確な切り石で囲まれた倉庫のような場所へ到達。江戸時代というよりも戦時中の基地みたいだが、これも立派な江戸城遺構。

edo-2700「石室」説明板。大奥用の調度品を非常時にしまった場所とのこと。火が回っても、石で囲われているため中には燃え移らないということだろう。ちなみに中には入れない。

edo-2701中には入れないのでカメラをつきだして写真だけ。ちょっと怖い感じ。かなり石の加工がキレイなため、江戸時代といっても幕末に近い頃に設置されたのかもしれない。

edo-2702石室を越えて南へ。案内板には「富士見多聞」と書かれている。

edo-2703右奥に櫓らしき建物の頭が見える。あそこに行くには、この坂道を上がっていく必要がある。

edo-2704富士見多聞 説明板。今はちょっとだけ残っているが、以前は本丸の廻りをぐるりと囲んでいたはず。ここだけ何故残ったのかは謎。ここだけが多聞櫓で、ほかは土塀だったのかもしれない。ちなみに「多聞」(多聞櫓) とは、石垣の上に建てられた長屋風の平櫓で、大阪の「多聞山城」という城で初めて開発/実用化されたことから、この手の櫓を多聞櫓と呼ぶ、ということらしい。ちなみにその多聞山城跡は今は中学校の敷地になっていて立ち入りが厳しい状況なので訪問予定なし。

edo-2705これが富士見多聞。残念ながら、柵で覆われて近寄れないのと、草木が多くて近づかないとよく見えないというコンボで、全体像がよく分からない。恐らく外側から見たほうが全体イメージがよく分かるのだろうが、残念ながら濠の向こうは皇居で一般立入禁止。年に数度行われる一般公開の際はこの富士見多聞の向こう側を通るようなので、その際に見るしか無い。

edo-2706富士見多聞を出て更に南へ進む。道の左側は蓮池のようになっていた。(池ではないと思うが)

edo-2707と、そこへ突如「松の大廊下跡」の看板が出現。あの忠臣蔵で有名な松の廊下だ。当時ここに松の大廊下があったそうだ。松の大廊下は、御殿大広間と、将軍との対面所とを結ぶ、全長50mにも渡る巨大な廊下だったとか。ふすまに松並木が描かれていたため当時から「松之大廊下」と呼ばれていたそう。

本能寺の変における明智光秀の考えた「謀反を決意した理由」と、元禄赤穂事件における浅野内匠頭の考えた「刃傷事件を起こした理由」は、当人が事変後すぐに亡くなっていることもあり、恐らく決定的な記録は今後も出てこないであろう、日本近世史の二大謎。

edo-2709説明板の横には、松之大廊下跡 という石碑が建っていた。ここにあの巨大な廊下があったのだなあと思わせるような遺構は特に無し。

edo-2710松の廊下跡を越えて南へ進む。本丸南西端には「富士見櫓」と呼ばれる三重櫓が現存する(残念ながら立ち入りどころか近寄りすら禁止)。天守が焼失して以降200年、この富士見櫓が江戸城天守の代わりとして使われてきたとか。ちなみに看板に掲載されている「反対側から見ると」の写真は立入禁止区域からの撮影のため、通常は実際に見ることが出来ないが、皇居は申しこめば平日なら一部立ち入ることが出来る制度があり、それを利用すれば恐らく富士見櫓の外側からの姿は見ることが出来るはず。

edo-2710a-2712今回は申し込みなどしていないので、東御苑の一般エリアから見るに留める。このように柵がされており、これ以上進めない。

edo-2711柵ギリギリのところから撮影。内側なので、石落としも無く、窓も少なく、また破風なども無いシンプルな姿をしている。

edo-2714富士見櫓の横には中朱雀門という二の丸へ続く門があるので、そこから二の丸へ戻る。その前に、本丸東側にある休憩所に寄ってみよう。こちらが休憩所。16時半まで。

edo-2716入るとやはり色々と展示物があるようだ。まず入口すぐのところにあった、大嘗宮(だいじょうきゅう)という大嘗祭(だいじょうさい)を行うために造営される御殿についての説明板。説明板によると、皇位継承の際に挙行される大嘗祭のため、そのためだけに特別に造営される御殿群とのこと。実際に平成2年にも昭和天皇から今上天皇へ継承に伴う大嘗祭が実施され、この御殿が造られたとのこと。

edo-2719で、その平成2年の大嘗宮の1/75モデルがこれ。結構な広さが必要なのだが、皇居内(西ノ丸)に造られたのだろうか? ちゃんと小屋の中に人もいる作り込みよう。

edo-2720もう1つ目を引いたのは、壁に掛けてあった江戸城天守の絵。右上に「江戸城御本丸御天守閣建方之図」と書かれている。天守閣! 天守閣と言う言葉は明治以降に岐阜城や大坂城の天守が再建された際に使われ始めたものと考えていたが、江戸時代から使われていたようだ。ちなみにこの絵は寛永度(3代目)の天守のものではないかとのこと (御天守5層6階、石垣7間の記載から)。原本はこれ (東京都立図書館デジタルライブラリー)。

edo-2721休憩所を出ると、展望台こちら、といった看板があったので、指し示す方向に進んでみる。この坂の上が展望台のようだ。

edo-2722展望台。白鳥堀の南端沿いに位置するこの場所は、古絵図(江戸城配置図 内郭)によると、台所前三重櫓 という櫓が建っていた場所のようだ。

edo-2724台所前三重櫓台の上から二の丸および白鳥堀を見下ろす。奥の坂道は今回は登らなかった「汐見坂」。

edo-2725本丸はだいたいこれで見終えたので、二の丸へ戻ることにしよう。富士見櫓の横にある「中雀門」から二の丸へ抜ける。なんだか石垣が大変なことになっているようだ。

edo-2726中雀門の石垣。でこぼこで痛々しい感じ。それもそのはず、調べてみると、この黒い石は元々 家光公が造営した三代目天守台の石(伊豆石)を、天守炎上後さすがにボロボロになったのでバラして中雀門の石垣に再利用したとか。今の四代目天守台の石(御影石)とは全然色が違う。そしてこの中雀門も、幕末の大火で燃えてしまい、この伊豆石は二度の大火に見舞われたことになる。そりゃボロボロにもなる。。。

edo-2727門の反対側。柱の形だろうか、丸い形の割れ目が入っている。柱が付いていたところと、そうでないところの違いか、あるいは別の理由か、角が熱で割れてしまっている石と、角まできっちり残っている石とがある。どれほどの業火だったか想像すると恐ろしい。

edo-2728中雀門を出る。ちなみに中雀門(ちゅうじゃくもん)は、鍮石(ちゅうじゃく=真鍮のこと)の門という意味で、当時はかなり高級だった真鍮を扉に貼り付けた黄金の扉だった…という話を聞いたことがある。当時の写真も残るものの、白黒なのでよくわからない。

edo-2729二の丸 中ノ門と、本丸 中雀門との間の坂道。お城らしく、直線ではなく180度曲がって本丸へ入るような道筋となる。

>> 江戸城 [5/6] へ続く。<<

訪問時期:2014年6月
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