江戸城 [3/6] 高さ13m、御影石で出来た日本最大の天守台。

江戸城江戸城 [2/6] の続きです。

中ノ門前から二の丸雑木林 方面へ。諏訪の茶屋などを見学し、本丸北東のヘアライン加工がされた石材で構成された高石垣に驚き、城域北東部の平川門へ。このあたりは二の丸〜三の丸間の濠の一部が残る。


<訪問記>

平川門の櫓門を越えて、枡形虎口へ。

edo-2655枡形内。門の外を守るべく、廻りの土塀には雁木(土塀にあがるための石段)が設置してある。

edo-2656振り返って平川門(櫓門)を枡形内側から見る。この門が閉まっているとそうそうカンタンには突破できなさそうだ。櫓門の二階には小さな銃眼(鉄砲狭間)も見える。右奥の小さな門は、濠の中に斜めに進む帯曲輪への出口門になる。

edo-2657枡形の外側へ。高麗門を外側から見る。扉や柱は鉄板で補強してある。

edo-2658平川門の外の大手堀に架かる大きな木橋。橋の向こうはメトロ東西線「竹橋駅」の真上に当たる。

edo-2667再度 城内へ戻る。下梅林門を外から見た図。門を越えて道が左へ曲がると、正面には先ほど見た汐見太鼓櫓跡の高石垣がある。そこを左に見ながら直進。

edo-2668このあたりは少しゆるやかな坂になっている。附近の看板によると、この道の左右には多数の梅の木が植えられているという。

edo-2669梅林坂 説明板。なんと初代 江戸城を構築した太田道灌が梅を植えたので、梅林坂と呼ばれるという。550年モノ。今の梅の木はいつごろ植えられたものが脈々と息づいているのかは不明。元々は本丸への道ではなく、祀った天神社への参道だったのだろうか。

edo-2670梅林坂を登ったところに、少し梅の木に埋もれてしまってはいるが、上梅林門がある。これを越えると本丸だ。

edo-2671本丸へ。往時は大奥や御殿など建物がズラリと並んでいたが、今はこの通り、巨大な天守台が鎮座するのみ。天守台を見たい気を抑えて、まずは本丸北側にある北桔橋門(きた はねばし もん)へ。

edo-2672s北桔橋門を内側から見る。橋の向こうは北の丸、近代美術館や日本武道館、西側には千鳥ヶ淵があるエリアだ。北の丸のさらに北側は靖国神社。ちなみに「桔橋(はねばし)」とはその名の通り、橋板の部分が上に跳ね上がる機能を持った形状の門だ。常時上にあげていて、緊急時のみ下げて通行していたとのこと。本丸から直接外に通じる門のため、石垣はかなり高く堅固に積上げられているらしいが、後ろ側にある天守台が早く見たくて、見損ねた。

edo-2674そして北桔橋門あたりから見た天守台。ちょっと離れているがこの存在感。

edo-2675天守台のそばへ。江戸城天守は家康時代(慶長天守)、2代 秀忠時代(元和天守)、3代 家光時代(寛永天守)の3代の天守があったが、この石垣は更にその後の時代のものとのこと。家光時代の天守はその後 1657年に江戸の町の大火で消失し、すぐに4代目天守が計画され天守台が新たに構築されたものの、町の復興を優先すべしとして天守建造は中止。その後 天守再建はされず、天守台だけがこうして残ることになった。江戸城に天守がそびえていたのは徳川幕府の最初の60年弱ほどだけで、残りの200年は天守無しの城だったのだ。その幻の4代目天守の図面等は残っていて、それによると銅板を瓦に貼った「オレンジ色に輝く天守」だったとか。

edo-2676天守台の北東端。さすがのキッチリとした切り石っぷり。天守台の高さ13m、上面(天守1階)は35mx40mほどの大きさがあるという。そしてこの上に建っていた寛永度天守は5重6階、高さは45m。すさまじい建物だ。「御影石」と呼ばれる高級な花崗岩。

edo-2677天守台の正面へ向かう。途中、変わった建物があった。看板によると「桃華楽堂(とうかがくどう)」で、昭和41年に建てられた音楽堂という。皇后の還暦を祝ったものだとか。石垣に櫓門に天守台という日本城郭の敷地内に建つこの西洋風?建造物は、実に違和感たっぷり。

edo-2679気を取り直して天守台へ。天守台の南東部は石が一部欠けて変色している場所があったが、どうやら幕末の火事あるいは戦時の爆撃による炎の跡だとか。

edo-2680そして正面へ。天守台の手前に小天守台のような部分があるが、小天守台ではなく踊り場的な場所だとのこと。このあたりは石が異なるようで、ここだけ黒い石材が多用されている。

edo-2683いざ天守台の上へ。天守台の上へは観光化のためかコンクリートで坂道となっている。バリアフリー仕様。元々は大坂城のように石段だったはず。

edo-2684坂道の途中にあった 天守台 説明板。日本語の文面よりも、「天守台」の英訳が「Donjon Base」に驚く。Donjon。初めて見た単語だが調べてみると「天守」と出た。英語で天守という意味の言葉があるのに驚くが、もう少し調べてみると中世ヨーロッパの城の望楼を指す単語だとか。ドンジョンではなくダンジャン。

edo-2685踊り場から天守台上を見る。坂道が天守台の上まで続いているが、天守には地階が計画されていたとあったので、元々の道は天守台石垣の手前までで、そこから石垣の内部、天守の地階へ続いていたはず。

edo-2688踊り場に設置されていた説明板。ここから本丸御殿のあった場所がよく見えるので図解してある。図を見てもパッと理解できないぐらい、ビッチリと建物が建ち並んでいる!全部木造なので、1軒燃えたら全焼やむ無し。

edo-2689そして現在の本丸御殿跡の姿。ただの広い公園と化しているが、往時は先程の説明板のとおり、向こうまでビッシリと木造の御殿等が建ち並んでいたのだ。

edo-2690天守台の上へ。展望台となっている。天守台周囲の石垣部分の上には柵があり辿りつけない。

edo-2691天守台の上から、天守台への入口を見返す。一部土が盛られておらず天守台の内側の石垣が露出している場所がある。本来は他の城の天守台でもよく見られるとおり、周囲全体がこうなっていたはず。

edo-2693天守台の端っこから、天守台上の全体像を見る。奥の東京駅周辺の摩天楼と、手前の江戸城跡の緑とのコントラストが実に東京っぽい。そして手前の音楽堂はやっぱり異様。

edo-2694天守台を降りる。踊り場の手前には、排水口のような穴が設置されていた。そして石材はヘアライン仕上げという力の入れよう。かなり手間のかかる作業だ。城郭用語では「はつり」と呼ぶが、分かりづらいので、現代風にヘアライン加工と(個人的に)呼んでいる。

edo-2696天守台正面のすこし引いた場所から全景を見る。天守台の高さが13m、その上の天守の高さが45m(寛永度)だったので、天守台の高さの3.5倍ほどの高さが更に上に載っていたということだ。なんという迫力。寛永時には下総(千葉県北部)あたりからもこの天守が見えたとか。

 >> 江戸城 [4/6] へ続く。<<

訪問時期:2014年6月
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