佐和山城 [5/5] 大手口跡は荒れ放題。現存する移築大手門は必見

佐和山城 [4/5]sawayama_cover の続きです。

山上の本丸周辺遺構の散策を終え、搦手道とも言われる”かもう坂通り往還”を通って佐和山の東側へ抜けた。往時はこちら側は大手口だったという。こちらもわずかに残る大手門跡の遺構および、周辺寺院に伝わる佐和山城遺構を見て回ろう。


<訪問記>

sawayama-2515佐和山の東側には、小さな川というか溝に沿って舗装された道が走る。往時はこの道沿いには多くの店などが立ち並ぶ佐和山城下町メインストリートだったとか。ここに「佐和山城下町内堀跡」の柱が立っていた。川が内堀跡だと思うのだが、少し細すぎる気もするので、川と舗装された道の幅あわせて内堀だったのかもしれない。と、ここに立てられた柱を見て思った次第。

sawayama-2516しばらく南へ進むと、田んぼの真ん中に池があり、説明板も立っていた。この池も佐和山城時代の遺構のようだ。

sawayama-2517佐和山城下町の井戸跡 説明板。今の地図(左)と、古絵図(右)の描かれ方が結構違うが、今いる場所(左の地図の赤丸地点)は、右図で言うところの、右側に縦に伸びる「かもう坂」と、人工的に築かれた内堀が曲がるところの間の狭い部分、だろうか。あと誇張もあるだろうが、道幅に比べて内堀はかなり広い。

sawayama-2518井戸を覗く。水がかなり溜まっているが、看板にあるとおり、しっかりとした石積み井戸のようで、今も水が湧き出ているようだ。(訪問時の前日は雨だったので雨水が溜まっているだけかもしれない)

sawayama-2519更にしばらく南へ進む。いよいよ佐和山城跡の大手口跡に着いたようだ。草ぼうぼうでそれっぽい雰囲気はあまり無い。まずは説明板を確認。

sawayama-2520佐和山城跡 大手口跡 説明板。かつてここには大手門が築かれ、門の左右は高土塁が遮っていたという。大手門は宗安寺の赤門として現存する、と伝わる。後ほど行ってみよう。土塁は比較的良好に残り、土井の前を流れる川はかつての内濠だった、とある。やはり往時は並行する道路近くまで広がっていたようだ。ではこの地図や情報を元に、現場を見てみよう。

sawayama-2521説明板附近から見る、大手口 経由 佐和山城跡 方面。草ぼうぼう。目の前にある小さな橋が、現在の内濠跡(に架かる橋)。その向こうに大手門および土塁があったようだ。少し前に進んでみる。

sawayama-2522現在に残る佐和山城 内堀跡。かなり細い川になってしまっているが、往時は右に見える田んぼが全部堀だったぐらいの幅があったはず。そしてその左側、鉄塔があるあたりに見える盛り上がりが、よく残ると書かれた土塁跡。うーん。正直草ぼうぼうで分からない。これはすごい! と思わせる巨大な大手口遺構を期待しただけに、肩透かし。

sawayama-2524大手門あたりから佐和山城跡を見上げる。往時は中央を大手道が通り、左右には武家屋敷が建ち並び、佐和山城の大手を飾る堂々たる姿だったはずだが、今は見る影もない。資料によると、大手道自体も埋もれてしまって、ここからの登城は現在はタイヘン困難とのこと。ポジティブに考えて、発掘調査をすると色々出てくるかもしれない可能性を感じる場所だとも言える。

大手口跡はそのくらいにして、ここから市内に残る佐和山城の遺構を見て行きたいと思う。対象は2つ。1つ目は大手正面に並行して通っていた旧 東山道沿いに建つ「専宗寺」。ここにある太鼓門の天井は、佐和山城の門扉の再利用と伝わるとのこと。2つ目は彦根城前の夢京橋キャッスルロード沿いに建つ「宗安寺」。ここの赤門は、先ほど見た大手口に建っていた巨大な大手門が移築現存されている(と伝わる)。かなりここから離れているようにも思えるが、気にせず順番に見ていこう。

sawayama-2530彦根道と中山道とが交わる交差点には、古い「道しるべ」が立つ。T字路になっていて、右側に見える正面の道からやってきた。手前左右に旧 中山道が通っている。中山道を右(北)へ進む。

sawayama-2533しばらく進むと専宗寺の立派な山門が見えてきた。山門および本堂は18世紀頃築のようだが、目的はこちらではなく、佐和山城の城門の門扉を使ったと言われる太鼓門である。山門の右隣にある、と案内板に書いてある。

sawayama-2535太鼓門を見る前に専宗寺 境内へ。立派な本堂。目指す太鼓門は、山門入って右側、ではなく、山門の手前を右側、である。再度 山門をくぐって外に出る。

sawayama-2536山門の右側。太鼓門、というから、四脚門あるいは櫓門的なものをイメージしていたが、なんとこの家みたいな建物が太鼓門のようだ。門の名の通り、中が通り抜けられるようになっている。この門の中の天井部分が、佐和山城の城門の門扉だと伝承される。

sawayama-2538専宗寺 太鼓門 天井板。確かに普通の天井ではなく、金具跡などが残る「明らかに門扉を天井に据え付けました」的なイメージだ。平たく加工された門扉が天井板にちょうど良かったのだろう。門扉時代は観音開き(金具はカンヌキ固定具跡か)だったのだろうが、これだけ見るとガラガラガラと左右に開きそうな印象。ちなみに太鼓門の二階には上がることは出来ず、写真右側の少し天井板が壊れた部分から二階内部を覗いてみたところ特に何もなさそうな感じだった。

専宗寺の拝観を終えて、旧 中山道を南下。Googleマップを見ると佐和山のすぐ南を東西に走り抜ける国道8号線沿いに進めばすぐに彦根城下にたどり着きそうだが、たぶん歩きでは通行不可っぽい。仕方なく旧 中山道を更に南下し、佐和山の南側にあるカントリークラブのある山を迂回するルートを取る。しかし何と1時間半もかかったのだった…(写真のタイムスタンプによると、専宗寺 12:34発→宗安寺 13:58着)。 まあ、途中、見どころが無いわけでもない。

sawayama-2525a-2542旧中山道は城下町っぽい雰囲気の間は徒歩でも問題ないが、家がなくなるあたりから道が細くなり車道然となってくる。結構 交通量も多く歩きづらいので、新幹線の高架下に移動して南下。しばらく進むと、新幹線の乗客向けに立てられたと思われる「佐和山城跡」の立派な看板が見えた。新幹線の線路と山の間は田んぼだったので、あぜ道を通って看板の近くまで行って撮影。この手の看板は徒歩の登山客からも見える位置にも立ててもらいたいなぁと思う今日この頃。ちなみにこの看板は新幹線の中からは見たことがない。

その他、小野小町が生まれたと伝承される場所の小町塚などもあった(車道沿いにポツーンとある印象)。そしてカントリークラブの山を越え、東西に走る街道(中濠東西通り)に沿って西行。

sawayama-2543a-25541時間半後。観光客あふれる夢京橋キャッスルロードにようやく到着。近江牛やソフトクリームなどの店が立ち並ぶ中、巨大な赤門が存在感を持って建っている。こちらが宗安寺。前の説明板によると、関ヶ原後に当地に入った井伊直政公が1600年頃に建立し、彦根城下町の建築に合わせこの地に移築されたとのこと。目の前に立つ巨大な赤門は旧 佐和山城大手門と伝わり、奥の本殿は旧 長浜城御殿と伝わる、城ファンにはたまらないお寺だ。

sawayama-2544宗安寺 赤門、旧 佐和山城大手門 を正面からもう1枚。よく見ると門の右側に「伝 佐和山城門」の石碑が立つ。また説明板によると、馬に乗ってそのまま駆け込めるよう、敷居の無い構造になっているという。

sawayama-2546赤門の柱の前には、もう1つの礎石があった。横の看板によると、元々この位置に門が立っていたが、平成8年の道路拡張に伴い1mほど後ろに門を移したため、元々使用していた礎石を元の場所に残したという。390年に渡り鎮座した佐和山城門の赤い柱の跡がまざまざと残る。

sawayama-2547門をくぐって境内へ。まずは門の内側。前に2本、後に2本の柱の計4本で支える門を「薬医門」と呼ぶ。屋根が4本の柱の中央にあるのではなく、かなり前寄りに設置されているという特徴があり、前から見ると屋根がせり出してすごい迫力に見えるところがポイント。2枚上の写真(前からの写真)と屋根の乗りっぷりを見比べて頂きたい。

sawayama-2548そして宗安寺 境内へ。1600年頃に井伊直政公により建てられた宗安寺 創建時の建物は江戸時代に大火で焼失(赤門だけ奇跡的に残ったという!)、今の本堂はその後 長浜城の御殿を移築したと伝わる。かなり立派。

sawayama-2550その立派な御殿の左側に、軒唐破風を持つ小さなお堂があった。左側のススキが生える一角は、あの大坂の役で豊臣方武将として後藤又兵衛と共に奮闘ぶりが伝わる若武者 木村重成公(享年23) の首級を、井伊家家臣が彦根まで運んだ際に包んでいたススキが自生したものという。詳しい経緯は御堂前の看板を参照。そして、その首級はここ宗安寺に埋葬され、首塚が残るという。墓地への入口はこのお堂の右側の勝手口。木村重成公首塚→ という看板が出ているので、一礼して中へ。

sawayama-2553中に入ると結構広い墓地だったが、入ってすぐ右に進むと墓地の一角に公の首塚があった。木邨長門守重成首塚、と石碑が立つ。立派な五輪塔だ。首級をここまで持ち運び供養した井伊家家臣 安藤某の墓も横に並ぶ。

sawayama-2557彦根駅帰還。駅ホームから佐和山城跡を見ながら、デジカメのタイムスタンプを確認。朝の彦根駅着が9:20。龍潭寺→佐和山城跡→大手門跡→宗安寺→駅帰着で 14:50。昼ごはん休憩ナシで、約5時間半 歩きっぱなしの強行軍であった。後半はレンタサイクルがあれば素早く移動できるが、その場合 龍潭寺側から登って大手口側に降りるという技は使えない点に注意。おつかれさまでした。


[追記] 2015年6月に佐和山城へ再登城しました。この時 (2014.6) に見られなかった「二ノ丸方面」および「本丸南斜面の現存石垣群」「大手口」を訪問。その部分のみを改めて書き起こしました。↓

>> 佐和山城 [再訪] 藪の二ノ丸、本丸南斜面の石垣、発掘中の大手口へ。 <<


訪問時期:2014年6月
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