佐和山城 [3/5] 本丸周囲に僅かに残る天守台石垣の残骸。

佐和山城 [2/5]sawayama_cover の続きです。

山道を登りきり、いよいよ本丸へ。建物の類はおろか、石垣すらごくごく一部を覗いて残っていない有り様。一部 本丸の周囲を覆う木々が伐採されている場所があるので、そこから外界の眺望を楽しんで、本丸の奥に広がる城域を散策しよう。


<訪問記>

sawayama-2430本丸からの眺望その1。東側(北東方面)。中央にそびえる高い塔はガイド氏曰くエレベータの実験棟だとか。かつての大手口があった方面だが、今は田畑が広がる田舎という感じだ。右奥の厚い雲がかかっている場所あたりに伊吹山があるのだが、今日は見えない。

sawayama-2431本丸からの眺望その2。琵琶湖および竹生島が見える、北西方面。JRが通っていることもあり、先ほどの北東側と比べてかなり都市化されている。

sawayama-2433本丸からの眺望その3。南東方面。左端の高いビルが並んでいる場所あたりが彦根駅、右側の山の上に彦根城 現存天守が写っているのだが、掲載している写真では小さくて判別が困難。場所は、右上のもみじの枝がぴょーんと伸びている場所のちょうど下あたり。

sawayama-2435本丸跡 説明板。佐和山は標高230m強とのことだが、琵琶湖の水面がすでに海抜100m弱あるので、比高は130mほどか。かつて天守台は約4.5m四方、5重の天守が載っていたと伝わる。破城が凄まじかったせいか、どこが天守台かなどがサッパリ分からないようだ。しかしこの古絵図も破城され結構経った後に描かれたものなので、三成公が大改修を行った頃の最強の佐和山城時代がどうだったのかは今となっては発掘調査研究の進展を待つか、あるいは新たな古絵図の発見でもない限り、分からない。

sawayama-2436本丸に立つ 佐和山城趾 の石碑。破城により無残な姿となった佐和山城だが、石碑の廻りだけはツツジが咲き乱れ華やかな印象を与える。

sawayama-2438本丸の南西側には一部 虎口の跡も見られる、とあったので探してみる。恐らく、ここ。おもいっきり壊された結果だろう。虎口の向こう側、たぶん往時は枡形内部だったところあたりに行ってみよう。

sawayama-2438a-2481虎口奥、枡形内部(推定)あたりから本丸を見る。見る影もないとはまさにこのこと。草を刈って整備したら多少の形は分かるようになる、かも。

sawayama-2438b-2483枡形内部から更に外側を見る。もはや大手道がどれだかすら分からない荒れっぷり。草木の少ない冬場に来るとまた違う印象だろうが、ここは北近江、冬場は雪に埋もれるのでそれも難しいか。

sawayama-2440本丸を南へ進んでみる。お約束の三等三角点。三角点の三の字の真ん中の棒が消えていて二角点に見え、思わず二度見してしまう。このあたりが最も高い場所のようで、ここが天守台だったのかもしれない。

sawayama-2441a-2484更に本丸奥へ進む。南口降り口 の看板がある。

sawayama-2441b-2485そのまま奥へ進むと、本丸の端に到達し、大きな石の横に降り道が見える。往時もここが道だったのかどうかは不明。

sawayama-2442大きな石。ガイド氏はこれも佐和山城の石垣に使われていた石だろうとのこと。ここにあったのか、上から落ちてきたのかは不明。それにしても大きい。変な角度かつ単発なので、恐らく転がって落ちてきてここでたまたま止まったのだろう。左側の面が整えられたかのように平らなので、元々はそっちが上だった? などと妄想。

sawayama-2442a-2486大きな石の坂道を降りる。本丸の周囲を進んだ先に巨石が二個重なった天守の石垣と考えられる場所が残るという。「石垣 →」と断言している案内板も建っている。行ってみよう。

sawayama-2443こちらがその「石垣」。写真で見ると結構大きな石のように見えるが、現物は結構ちいさく、斜面に生える草木の中に埋もれている印象。しかし四方がちゃんと切り揃えられた切石で、2個しか無いが算木積みと思われる積まれ方から、元々 往時もここにあった恐らく天守台の一部(先端)と思われる。この角度からして、破城の際に石垣や建材だけでなく、土塁も徹底的に壊されたことが伺える。

sawayama-2445天守台と思われる土塁の下には他にもこんな感じの四角く切られたっぽい巨石が落ちていた。これも石垣の一部だろう(壊されて落ちた)。

sawayama-2448天守台を見上げる。巨木が覆っているが、結構な盛土だ。これら本丸周囲の木々を伐採すれば、埋もれて見えなかった他の石垣の残骸なども出てくるかもしれない。(実際手元の資料には本丸周囲に「複数の」石垣跡が見られる、とある)

sawayama-2449本丸南東に立つ説明板。先ほど見た2段の石積みと、その反対側にある千貫井の説明をまとめてしてある。説明を読むと、本丸跡の外周を調査するとほぼ同じ高さに7箇所の基底部と思われる石垣跡が見つかったとのこと。残り6つは藪の中、というわけか。では千貫井を見に行ってみよう。

sawayama-2450a-2455千貫井は道の奥の奥にあるが、あちこちに看板が立っているので迷うことはないだろう。この倒れた石碑の奥が千貫井。

sawayama-2451この右側の窪みが千貫井か。奥にほこらが見える。

sawayama-2451a-2463窪みの中。井戸なのか水たまりなのかが分かりづらい。巨石がゴロゴロしているのは、例によって上から落ちてきたであろう元 石垣の構成員たち(と思う)。

sawayama-2452千貫井戸 説明板とほこら。往時は城内の飲水の供給源としてまさに1000貫にも値する貴重な場所だったということが命名の由来。

sawayama-2453ほこらの中を拝見。石佛とともに、石田一族之霊位 と書かれた木札が祀られていた。しばし合掌。

sawayama-2454千貫井戸前から見下ろす彦根駅方面。よく見ると左側の山麓に何やら櫓のようなものが見える。ガイド氏によると個人が造った古い佐和山城模擬天守とのこと。そういえばネットで見たことがあるような・・・(参考:Google画像検索

>> 佐和山城 [4/5] へ続く。<<

訪問時期:2014年6月
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