佐和山城 [2/5] 龍潭寺山門は由緒ある五本線入り。西ノ丸は竹林

佐和山城 [1/5]sawayama_cover の続きです。

JR彦根駅 東口を出て、要所要所に建つ方向板を頼りに北東方面へ進む。石田三成公 屋敷跡(石碑だけ)、伝 島左近 屋敷跡(清凉寺) を越えて、龍潭寺の横にある三成公 座像を見たら、山道からいよいよ佐和山城跡へと向かう。


<訪問記>

sawayama-2402山道(参道?)の突き当たりにある、立派な山門。龍潭寺の山門だ。四脚門。「龍潭寺」という名が示すとおり、屋根の上には龍が横たわる姿が施されている。横の開いている脇戸から奥へ。

sawayama-2403脇戸の横の城壁を見る。五本線が入っている。「定規筋」と言う水平線が描かれているこの壁は「筋塀」と呼ばれ、皇室に由来する格式を持つ場所を示すものとのこと。五本が一番格式が高い。その奥の壁は土のミルフィーユの中に瓦を埋め込んだ、戦いのための壁。火矢で燃えたり、鉄砲で撃ちぬかれたりすることを防ぐためとも言われる。

sawayama-2404筋壁を堪能した後は山門をくぐって奥へ。山門の柱には手描きの地図が貼られていた。分かりやすい!というかこれが無いと山門を入った先の庭園で迷うこと必至か。ありがたや。突き当たりを右へ進めば良いようだ。

sawayama-2406庭園を越え、佐和山城跡への登山道へ入ると、そこは墓地だった。檀家の墓や無縁仏も多いようだが、一部歴史上有名な方の墓所もあった。ここは、安政の大獄からの〜桜田門外ノ変 で有名な幕末の大老 井伊直弼 の生母の墓。看板によると、かなりの美貌だったが若くして亡くなったとのこと。

sawayama-2407墓地に挟まれた登山道を進んでいく。途中こんな看板あり。野猿の”群れ”は結構怖い。まさに 衆寡敵せず。今回は野猿軍と遭遇はしなかったが、遠くに大きな野猿が歩いているところは確認した。万一対峙しても目を合わさないようにしよう。こっちも怖いが、向こうも怖い(はず)。

sawayama-2408墓地エリアを過ぎると、いよいよ本格的な登山道(坂道)へ。この道にはトイレはありません!

sawayama-2409登山道は結構急だが、草が刈られ階段が設置されるなどキレイに整備がしてあり、比較的 登り易い。ところどころ このように方向板もあり安心。

sawayama-2410竪堀っぽい窪みの跡。ここも草を刈って降り積もった土や枯葉を除けば、結構立派な竪堀跡が出てくる気がする。

sawayama-2412しばらく進むと四ツ辻へ。左へ進むと大洞弁天を経由して下山。右へ進むと佐和山城跡。真っ直ぐ進むと佐和山を越えて大手口の方へ出るようだ。まずは右の佐和山城跡へ向かい、城跡散策の後、ここまで戻ってきて大手口の方へ抜けるルートを取ろう。

sawayama-2415右へ。斜面に沿って山道が造られている。

sawayama-2416最初に現れるのが西之丸、通称「塩硝櫓跡」とも呼ばれる曲輪。調査中のためか訪問時にはこのように大きなビニールが掛かっていて全然分からないが、もともと巨大な穴が開いていたようだ。同行のガイド氏によると、ここは「塩硝櫓(=焔硝、火薬を保管する場所)」ではなく「塩櫓(塩を保管する場所)」だったのではという研究結果もあるそうだ。

sawayama-2418曲輪の四方には防衛のための土塁跡もよく残る…とのことだが、ビニールと土嚢が邪魔をしてよくわからない。

sawayama3-7469b-7477手前を見ると、確かに「塩硝櫓跡」への入口部分にはかなりの土塁で囲ってあるのが分かった。当時はもっと高い土塁だったのだろう。

sawayama3-7469a-7472足元を見ると瓦片が散乱。しっかりした瓦葺きの建物が建っていたことが伺える。

sawayama-2418a-2490西之丸 説明板。看板には「塩櫓」と書かれている。三段に連なる曲輪群の最初にあたるようだ。実物はビニールが覆っていて見られなかった大穴の写真が掲載されている。上で見たとおり瓦片が散乱していることから、瓦葺きの建物が建ち、穴の中に何か(たぶん塩)を保管していたのだろうとのことだ。

sawayama-2419塩櫓跡を越える。地図にあった3つの曲輪のうち真ん中の曲輪は竹林となっていて、整備のため伐られた竹が積上げられていた。整備おつかれさまです。

sawayama-2420曲輪の右側には大きな竪堀跡。どこの山城でも曲輪や土塁は比較的 整備されていることも多いが、竪堀はあまり整備されず放置されていることが多い。山の斜面に突如現れるV字谷、結構見応えがあると思うのだが。山城管理者の皆さん御一考をお願い致します。

sawayama-2421更に奥に進むと一番上の曲輪へ。こちらも竹林。奥には大きな土塁も見える。

sawayama-2422西之丸跡 説明板。井伊家に伝わる佐和山城絵図によると、西之丸3段曲輪には、一番上(ここ)が「焔硝櫓」、一番下が「塩櫓」と書かれているとか。やはりガイド氏の言うとおり一番下は塩櫓で、塩硝櫓という説明板は名前の混乱から来た間違いのようだ。

sawayama3-7471a-7481西ノ丸の前あたりにある竪堀。竪堀の前には「西ノ丸北西曲輪」の方向板もあった。竪堀を降りて行くと北西曲輪があるようだが、上から見る限りまったく未整備かつ結構な坂で、降りるのは断念。

sawayama-2424西之丸を越えるとまた結構な山道に入る。安心の方向板も設置。

sawayama-2427細い山道をどんどん上がっていく。

sawayama-2429突如、視界が開けるエリアに到達する。ここが本丸跡のようだ。

sawayama-2429a-2480本丸全景。まだ奥の方にも曲輪が広がり、結構広大だ。説明板や石碑などが立ち並ぶ。本丸周囲には一部木が伐採されて眺望(外界)が見下ろせる場所も存在する。いろいろ見ていこう。

sawayama-2429b-2432まずは説明板。手書きの古いものと、西之丸にもあった新しいものとがあった。こちらは古い方。左下の龍潭寺から赤い線を辿って中央の本丸跡までやってきた。本丸の奥には千貫井、太鼓丸跡などがあるようだ。帰りは上に抜け大手門跡の方へ行きたい。

>> 佐和山城 [3/5] へ続く。<<

訪問時期:2014年6月
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