佐和山城 [1/5] 石田三成公座像がある龍潭寺横から城跡へ。

佐和山城は、鎌倉幕府の近江国守護 佐々木氏の一族により佐和山附近に館が建てられたことに始まると伝わる。その後 六角氏の所領を経て戦国時代には信長〜秀吉配下の武将が入れ替わり城主となる。最も有名なのは1590年頃に城主となった石田三成で、天守や城下町の造成など大規模な工事を行い今に残る遺構の元となる山城を完成させた。しかし関ヶ原合戦で敗れた後に徳川軍に攻められ落城、その後入城した井伊直政/直継は新たな居城として佐和山の西方に彦根城を築き、その際に佐和山城は石垣や建物などの資材が彦根に持ちだされ、破城となった。

<基本データ>
●名称: 佐和山城 (Wikipedia)
●所在: 滋賀県彦根市 (マップ)
●築主: 佐保時綱(佐々木氏一族) / 石田三成
●築城: 鎌倉時代 / 文禄元年(1592)
●遺構: 石垣の極一部、曲輪、堀切、井戸


<訪問記>

佐和山城跡は、JR彦根駅のすぐ北東に位置する。JR彦根駅へ向かおう。

sawayama-2368a-2556彦根駅の改札を出たとこ。今や彦根いや日本を代表するゆるキャラ ひこにゃん先生 の巨大看板(たぶん実物大)が出迎えてくれる。左へ向かえば彦根城まで徒歩10分。右へ進めば佐和山城跡まで徒歩20分。彦根城と佐和山城が同等に扱われている! 彦根城の訪問記はコチラ(2013/10)。ほとんどの観光客が左へと曲がる中、堂々と右へ進む。

sawayama-2369少し右へ進む。 窓がこんな感じに額縁状になっていて、大一大万大吉の旗印と、城跡のある風景 の文字。分かる人には分かる嬉しいギミックだが、城跡ファンでもない限り、ここから覗いても、え?どれが佐和山城の天守閣? とかになってしまいそうな気がする。415年ほど前までここからちょうど目の前に見えてました。

sawayama-2371額縁の窓から覗いた佐和山。特に説明はないが、恐らく正面の一番高い山が佐和山だろう。

sawayama-2372駅に掲げてあった「石田三成と佐和山城」説明板。「井伊直政と彦根城」は見当たらなかった。彦根駅は石田三成推しか! しかし駅を一歩 西へ出ると(改札を左折ルート)駅前にはカッコイイ井伊直政公の騎馬像がお目見え。西側は完全に井伊氏推し。東側は悲運の豊臣恩顧派 石田三成推し。ちなみに左側の古絵図は北が左で、彦根駅は左下にあたる。つまり絵で上に描かれた佐和山城大手口とは反対側にいることになる。

sawayama-2373駅を出る。しばらく道を進んでいくと、佐和山城跡への方向板を発見した。登り口まで1.3kmとある。結構遠い。写真左端に写る高架下のほうへ進んでいく。

sawayama-2374高架下を進むと、単線の近江鉄道の線路の手前に先ほどと同じ方向版を発見。まだ100mしか進んでいないようだ。直進し踏切を渡る、とある。分かりやすい!

sawayama-2375踏切を渡る。渡った先どうするのかよく分からなかったが、駅から見た山が右前方に見えたので、恐らく線路沿いのこの道を進むのだろうと推測してコチラを進む。正解。

sawayama-2376しばらく線路沿いを進むと線路は佐和山の中へトンネルとなって突き抜けていった。そして佐和山城跡を指し示す恒例の方向板出現。残り870m。細かい。住宅街の中を進んでいく。ちょっとした坂になる。

sawayama-2377坂を上がっていると、道の左手に「石田三成屋敷(跡)」と彫られた石柱があった。しかし一面の竹やぶ。住宅街は、この竹やぶを避けるように建っている。

sawayama-2378石田三成屋敷跡の正面には、お寺の境内と思われる立派な石垣の手前に、城跡への方向板があった。登り口まであと470m。

sawayama-2379結構坂になってきた。道の左側がふいに開け、そちらを見ると、向こうの山の上に天守が見える。彦根城だ。もちろん佐和山城があった頃はあそこにまだ城は無かった。下は公園。

sawayama-2380山の斜面を削って作ったような道を進んでいく。細い道だが、時折車が通っていた。危ない。

sawayama-2383竹やぶを越えると、まるで松坂城の城下町のようにキレイに植木を加工された道へ出た。

sawayama-2385道の右側に、かなり立派な山門と拝殿等を持つ神社があった。少し立ち寄り。方向板にも記載があった「清凉寺」のようだ。

sawayama-2389清凉寺の境内へ。超立派な御殿?本殿? 軒唐破風を支える柱の太いこと太いこと。因みにこの場所は「伝 島左近 屋敷跡」と後ほど聞いた。しかし現地にそれらしい説明板等は一切なし。

sawayama-2390清凉寺を出てしばらく進むと、佐和山城跡への登り口がある「龍潭寺(りょうたんじ)」の山門へ到達。その向かい側、駐車場のところにボランティアガイドの詰め所があった。土日祝は無料で山頂までのガイドをやっている(予約不要)とのことだったので、同行をお願いした。模型はガイド詰め所に設置されていた、佐和山城跡 縄張図の模型。復元模型ではなく現在の姿が模型化されている。

sawayama-2392ガイド詰め所の横にたっていた佐和山城跡に関する説明板。やはりこちら側(佐和山の西側)は裏側で、城があった当時の大手口は反対側の東側(当時の街道である東山道に面する方向)だったようだ。城跡を見た後は可能なら反対側に下山して大手口跡等も見てみたい。

sawayama-2395他にもいろいろ説明看板があったが字が小さいので割愛。こちらは龍潭寺山門。龍潭寺内には庭園等があり、拝観は有料となっている。佐和山城跡へ向かうにはこちらの(有料)山門ルートではなく、この右側の細い道を進む。

sawayama-2395a-2391佐和山城跡へこちらの道を進もう。

sawayama-2396道を進み始めてすぐ左にあるのが、石田三成群霊供養塔。当時建てられたものではなく、近代になって建てられたものとのこと。

sawayama3-7543更にその奥には、袴姿で座する石田三成公像があった。ガイド氏の話によるとこちらも近年ファンの方が設置されたとのこと。三成公像は他にも長浜駅前など近江国内 数カ所に存在する。

sawayama-2397三成公像 アップ。関ヶ原時点の41歳にしては、かなりの貫禄だ。

sawayama3-7546後ろ姿。銅像は絵画(肖像画)と違って360度楽しめる、楽しもう。

sawayama3-7545土台裏にはめられた説明パネル。三成公顕彰会によるものなので、かなり褒めちぎられている。三成公は武士というより超優秀な文官だったのだが、ここでは「武士の鑑」として讃えられている。

sawayama-2399三成公像を越えて進んでいく。奥の山門の向こうが佐和山城跡への登山口のようだ。

>> 佐和山城 [2/5] へ続く。<<

訪問時期:2014年6月
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