霧山城 [後編] 山頂の本丸は土塁や虎口跡が残る広大な曲輪

kiriyama_cover霧山城 [中編] の続きです。

1.3kmの山道を延々と登るだけのカンタンなお仕事です。と思いきやこれが結構大変。途中見どころがあるかと言えば特に何も無い。ただ真っ直ぐに生える杉木、杉木、杉木…。そしていよいよ南曲輪まであと150mのところまでやってきた。


<訪問記>

kiriyama-1524 南曲輪まであと150m。しかし目の前には延々と続くように思われる坂道と木の階段が。とか考えずにただひたすら登る。

kiriyama-1526階段を上がり切ると、看板が出てきた。鐘突堂跡が恐らく先ほどの「南曲輪」に当たる。奥の地図入り看板を見てみよう。

kiriyama-1527鐘突堂前の案内板。この先すぐが鐘突堂跡、その奥(北)に、本丸など3つの曲輪が連続してあるようだ。鐘突堂は最後に行くとして、鐘突堂の脇の道を通って奥の本丸を先に攻める。

kiriyama-1528左の坂の上が鐘突堂跡。杉林のすごい斜面ギリギリの細い道を奥に進む。

kiriyama-1529斜面の横を渡り切ると、落ち着いた雰囲気の道になる。本丸は、もうすぐ!

kiriyama-1531北畠神社まで1340mの看板発見。あと10m!

kiriyama-1532到着!ここは本丸北隣の矢倉跡。周囲になだらかな土塁が残っているようにも見える。

kiriyama-1532a-1545矢倉跡と書かれた看板が無残にも崩壊していたので、せめて看板だけでも立て掛けて写真撮影。(上の写真では木の奥に倒れているのが見える)

kiriyama-1532b-1548矢倉跡の曲輪の北端には大きな堀切があり、敵の侵入を塞いでいる。往時はもっと深いV字谷だったのだろう。

kiriyama-1533そして矢倉跡の曲輪の南側にある小山へ。この上が、地図によると本丸にあたるようだ。

kiriyama-1534なんとなーく見える道らしき部分を登って、小山の上へ。

kiriyama-1535小山の上は本丸最頂部にあたるようで、霧山城址という古い石碑が建っていた。

kiriyama-1538石碑の立つ最頂部より、本丸を見下ろす。石碑やら看板やら案内板などが建っているようだ。そして本丸もやはり周囲が盛り上がった防壁土塁が形成されていたようだ。

kiriyama-1541本丸に立つ「史蹟 霧山城阯」。白いカビのようなものがマダラに生えた不思議な石碑だ。因みに じょうし には、城址・城趾・城阯 の3パターンの漢字表記があり、更に「城跡」と書かれている場合もあり、ややこしい。

kiriyama-1542こちらは 史跡 霧山城跡 の石碑。史跡と史蹟の違いは、戦後の制定(史跡)か戦前の制定(史蹟)かで判定できる。霧山城の歴史が刻まれているが、この石も白い斑点がいっぱいついていて、刻字に塗られた白色も落ちてしまっていて、実に読みづらい。歴史を感じられていい雰囲気ではあるが、読めないと本末転倒なので、読めるようにして頂きたい(文字を塗り直すか、書いてある文字をそのまま横に別の看板で印字する等)。

kiriyama-1543a-1552霧山城跡 本丸は標高570m。周囲は山だらけだ。一応こんな方向板でどれが何山かが分かるように書いてある。しかし山の名前にも詳しくないと結局どれが何山かは分からない。

kiriyama-1546本丸から見た眺望。見渡す限り、山山山。

kiriyama-1553本丸の南隣にある「米倉跡」の曲輪。発掘調査で穀類でも出てきたのだろう。ここには周囲を囲む土塁は無いようだ。

kiriyama-1554a-1543本丸の東側には、下に降りる部分に左右が土塁で囲まれた、曲がりくねった道がある。虎口跡だ。

kiriyama-1574そして、先ほどスルーした、本丸の南にある南曲輪、通称「鐘突堂跡」へ向かおう。本丸側からもこの坂道を上がれば辿り着ける。

kiriyama-1574a-1582鐘突堂跡。石碑と看板しか無かったが、ここから敵を見張り、何かあったら鐘を突いて本丸に知らせたのだろう。動揺の役割を持つ場所にありがちな「太鼓櫓」ではなく「鐘突堂」なのは、何か文書なり出土品なりでここにあったのが太鼓ではなく鐘だった証拠があるからだろうか。

kiriyama-1581カラフルな手書き看板。霧山562m(標高)。本丸より8mほど低いようだ。

kiriyama-1582a-1575鐘突堂跡からは、谷をまたいで、本丸跡がよく見える(中央部分の少し木がハゲているところが本丸)。往時は木が伐採されていただろうから、丸見えだっただろう。

kiriyama-1587下山。行きはしんどくて見どころが無いなんて言ってたが、帰りは余裕でいろいろ周囲を細かくみていると、伐採された切株の上にこんな細い命が宿っていたり、なかなかおもしろかった。

伊勢北畠氏の居城 霧山城跡。織豊時代以降に見られる石垣など派手な遺構はないが、中世山城ファン・武家庭園ファンはぜひ訪れて頂きたい「土の城」だ。

訪問時期:2014年4月
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