津城 [後編] 天守台はぜひ本丸の外側から間近に見たい!

津城津城 [中編] の続きです。

高虎公の普請した内濠の本丸石垣の上を歩いて、北東の丑寅櫓跡から北西の戌亥櫓跡まで見る。続いて再度 下に降りて、公園中心部にある高虎公の騎馬像と、伝 天守台を見に行こう。


<訪問記>

tsu-1320a-1413公園の中心部はコンクリートパネルが敷き詰められ噴水が設置された、まさに市民憩いの場。噴水は時々自動的に水があがったり停まったりする仕掛け。天気の良い土日などはここで市民イベントとかやってそうなスペースだ。噴水の左奥に、立派な騎馬像が見えるので、そこへいってみる。

tsu-1325じゃーん。近代城郭 津城を構築した男、藤堂高虎公。これはとてもかっこいい騎馬像。切込み接ぎの非常にフクザツに組み合わせられた石垣の台にも注目(たぶんこれは石垣風のパネルだろう)。

tsu-1327高虎公 騎馬像をアップで。結構高い位置にあるので、これ以上 上の角度では難しい。堂々と立つ立派な騎馬の上で、トレードマークのウサ耳兜を付けて何やら指示を出す。津城普請中の姿か。

tsu-1328騎馬像のそばに立つ説明板。藤堂高虎公は近江国出身(なんとこれが城郭検定2級の問題に出た)。有名なエピソードとして、生涯に主君を何度も変えた話がある。浮気者というわけではなく、生き抜くため御家を守るために、戦国武将として最善の策を確実に実施していったと捉えよう。主なところでは浅井長政→(浪人)→豊臣秀長→(出家)→家康。また築城の名手としても有名で、手がけた城は自身の居城として宇和島城今治城、津城、伊賀上野城。天下普請としては膳所城伏見城、江戸城、篠山城丹波亀山城大坂城二条城と堂々たるラインナップ。

tsu-1329高虎公像をもう1枚、今度は裏側から。立体像である銅像は色んな角度から見ることでいろんな表情が楽しめるので好きだ。

tsu-1331高虎公騎馬像の奥へ進むと、埋門跡および天守台跡が残る。正面の石垣の切れ目が埋門跡、右側のちょっと大きな石垣が天守台跡(の左端)だ。

tsu-1334天守台跡。津城天守については高虎以降の藤堂家では建てていない。その前の織田信包時代に5層の天守があった記録があるが、関ヶ原前哨戦で毛利秀元らに攻められ焼失。その後は建てられなかったとも、藤堂家が入る前の富田家時代に3層天守と2層小天守があったとも、言われている。確かに大天守と小天守が並んでいたと言われても納得のL字型の天守台になっているようだ。

tsu-1335a-1393天守台の恐らく正面と思われる方へ。変わった形をしているが、詳細な図面等が無いので何がどうなっていたのかはっきりと分からないらしい。上の方は切込み接ぎの布積み、下の方は明らかに野面積みだ。下の斜めになっているところが石段?で、そこから上の切れ目のところに門があって、天守内に入るような感じか。

tsu-1342もう少し天守台に近寄ってみる。斜めになっているところは意外と細く、石段だったような感じでは無かった。石垣が一枚はがれたような、不思議な構造だ。

tsu-1344定番の隅石ショット。下部の野面積みの力強さが際立つ。石の色合いも大きく異なる。

tsu-1345更に奥の面を見てみる。正面とは異なり、切込み接ぎ布積みな積み方はしていない。入口に相当する部分だけキレイに整えたということだろうか。最上段には細長い石が横一列に並んでいる。ガイド氏の話によると、往時は恐らく細長い石の部分が前に飛び出ていて、石垣を登ってくる敵兵がこれ以上 上に行けなくなるという、いわゆる武者返しな石垣になっていたのではと考えられるとか。廃城後かいつかの時点で、落ちたら危ない等の関係で、引っ込められてしまったのだろう。現存するものとしては人吉城の「はねだし石垣」などが有名。ちなみに欧州の城ではよく見られる仕掛けだとか。

tsu-1346a-1396天守台の裏側へ回ってみよう。先ほどの埋門跡から一旦お城公園の外に出て、石垣沿いに左側に進んで行けば、細い路地から天守台の石垣を見上げることが出来るようだ。

tsu-1350天守台の外側の真下へ。本丸内から見るより一段低くなるため、天守台の高さが一段と高く見える。

tsu-1352真下に立って、真上を見上げる。少し最上部が反っているのは、天守台だからか、築城後数百年でズレて(はらんで)きたからか。

tsu-1360天守台の南西端。よく見ると左側の小天守台と思われる部分は少し外にはみ出て造られていた。L字型ではなく、四角が2つくっついた形か。

tsu-1361a-1354この迫力! 津城に来たらここから天守台の石垣をぜひ見て欲しい。

tsu-1362天守台の周囲を奥にどんどん進んでいくと、本丸石垣(正面の低い石垣の上が本丸)に沿って左に進む細い道がある。

tsu-1364本丸石垣の横の細い路地を抜けると、高山神社の境内に繋がる。

tsu-1366高山神社。石碑横に彫られた由来によると、藩祖高虎公を祭神とし、社名はその諡(おくりな)に由来する。明治10年創始、津城本丸内を経て、戦後にここに祀られたとのことだ。

tsu-1369高山神社 拝殿。新しめな社殿だ。賽銭箱横に「高虎」と書かれた樽酒が置いてある。

以下おまけ。
津城跡を出て津観音の方へ向かう途中、伊勢街道沿いに高虎公のミニ騎馬像を発見したので掲載。

tsu-omake-1232歩道に突如現れる、高虎公のミニ騎馬像。本丸の騎馬像と比べ躍動感あふれる動きだ。右手にハスみたいなものを持っている。変な形になっているが「采配」だろう(采配=戦場で指揮をとるために大将などが持つ、棒の先に紙がついたもの。うちわ型になると武田信玄で有名な「軍配」になる)。

tsu-omake-1234高虎公ミニ騎馬像 説明板。今に続く津の町作りを行った「町の祖」として市民から敬愛されているという。

tsu-omake-1235ミニ高虎公像を正面からアップ。いい感じ。やはり右手に持っている采配はハスに見える。数多くの戦場を経験し満身創痍だった公なので、刀を振りかざしている姿が良かったのでは。

tsu-omake-1236ミニ高虎公像の横には、高虎公が初めて大名(1万石)になった紀州粉河(こかわ)より、蛇紋岩を移設したとか。おさわり下さい運が開けます。とある。

tsu-omake-1237こちらがその紀州粉河から運ばれてきたという蛇紋岩。

tsu-omake-1238このあたりは丸之内地区のようで、歩道に建っていたブロック塀にも細かくこんな模様が彫られていた。こういうのを見ながら街を歩くのも楽しい。

tsu-omake-1240a-1213おまけ その2。津観音。浅草・大須と並んで日本三大観音と言われるらしいが最近は人気薄らしい。創始は奈良時代とも言われ、江戸時代までは城主・藩主の庇護を受けて発展し、明治以降は市民の帰依の中心だったが、例によって昭和20年の米軍の無差別爆撃により焼失。今の建物はすべて戦後の再建とのこと。津城跡から歩いて10分ほどの場所にあるので、津城跡を訪れた後はコチラにもゼヒ。

訪問時期:2014年4月
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