津城 [前編] 築城の名手 藤堂高虎が建てた平時の居城

津城は江戸時代に築城の名手 藤堂高虎が建てた平城として有名。戦国時代に織田信包(信長の弟)や豊臣家臣の富田氏による小規模な城があったが、関ヶ原の前哨戦で焼失。戦後 伊予今治城より転封となった藤堂高虎が輪郭式の近代城郭に大改修し、明治まで藤堂家の居城となった。天守は信包時代に5層、その後 3層天守が記載されている古絵図が残るも、藤堂時代に再建された記録は無い。同じ藤堂家の伊賀上野城は大坂城(豊臣家)に備えた戦いのための城に対し、津城は平時の居城として築城された。

tsu_cover<基本データ>
●名称: 津城 (別名 安濃津城)
●所在: 三重県津市(マップ
●築主: 織田信包 / 藤堂高虎
●築城: 天正年間 / 1611年(慶長16年)
●遺構: 石垣、内濠
●関連: 津市観光協会HP津市HP


<訪問記>

津城跡は内濠の一部と本丸曲輪が残るお城公園として整備されている。電車(近鉄 津新町駅)で行くと西側からの入城となるが、今回は伊勢街道の走る東側から公園へ向かった。

tsu-1240伊勢街道からお城公園へ向かう。駐車場の向こうに三層の櫓が見える。今いる場所は恐らく内濠に浮かぶ東之丸あたり。

tsu-1243屋根の端っこの反りがすごいが、何だかこじんまりしててバランスが悪い感じ。それもそのはず、津城跡唯一の建造物であるこの建物は、残念ながら模擬城郭(史実に基づかないお城風の建物)だった。

tsu-1244a-1247お城公園 入口。

tsu-1246一応 模擬櫓を見上げる。1層目に、出窓があるが、その下に通常付いている石落としは無かった。昭和33年造とのことで模擬は致し方ないが、古写真も古絵図も残っているので、昨今の木造復元ブームにのって復元していただきたい。ちなみに櫓の場所も史実と異なる(右奥の櫓台の上が正解)。津市のホームページに非常に分かりやすい縄張り画像が載っていた。PDFはこちら

tsu-1251模擬櫓の横の入口から公園内を見る。説明板が立っている。公園の中心部は洋風庭園(噴水があったりする)になっていて余り見どころはなさそうなので、見学メインは一部現存する内濠とその周囲の石垣としよう。まずは説明板を確認。

tsu-1252津城跡 説明板。内濠と外濠が回の字を描く、典型的な輪郭式城郭。外濠はすべて埋められ、内濠も北面と西面しか残っていないという。また本丸内には古写真にあるような5つの櫓(うち写真の2つが三重櫓)が建っていたが、すべて破壊され、今は櫓台のみが残る。また、本丸に隣接して内濠内にあった西ノ丸は現在 日本庭園になっている(往時は番所など)という。

津城縄張図縄張図 部分をアップで。右が北なのに注意。黒線が当時(江戸時代末期)の状況、黒塗りが当時の水濠の位置、赤線が現在の状況。外濠は全滅(埋め立て)、内濠は北のごく一部と、西ノ丸の周囲のみが現存で、他は埋め立てられている。

tsu-1253現在いる公園の入口は元々枡形虎口を形成していた東鉄門(櫓門)だったとのこと。枡形を形成していた石垣は破壊されて、今は模擬櫓が建っている北側の辺の部分しか残っていないようだ。

tsu-1253a-1403公園を少し入ると「史跡 津城跡」の史跡碑が建っていた。あまり目立たない場所に立っている。公園の入口に外向きに立てれば良いのに。。。ちなみに奥の大木のあたりには向かいの模擬櫓の石垣と同じ規模の石垣があり、その上には二重櫓(太鼓櫓)が建っていた。石垣も壊され、今は面影なし。

tsu-1253b-1404史跡碑の正面あたりには、古い説明石碑があった。墨が落ちているわけではないが、読みづらい。第二次大戦で米軍の無差別爆撃により津市内が被害を受けたので、高山神社を南西に遷座し、復興祈念して公園としたという。「ゆい緒」「すみやぐら」「いたで」など、所々不可解な平仮名表記が混じっていて読みづらい。

tsu-1250公園内部は後にして、まずは公園外周の石垣と内濠を見て回ろう。模擬櫓の北側へ。この角の大きな石垣台が、丑寅三重櫓の跡。この上に、古写真にも残る層塔型で破風の無い三重櫓が建っていた。建物を復元するなら、ここ。

tsu-1254丑寅三重櫓の石垣を見上げる。恐らく、藤堂高虎による普請。石垣の反りが無いのが高虎流。

tsu-1258城跡の北側へ。広い内濠が水を湛えて現存する。結構広い内濠だが、縄張図を見ると往時はこの3倍ぐらいの幅があったようだ。内濠の北面にあるこの長い石垣の上には多聞櫓が建っていて、その東西の端に建っていた三重櫓同士をつないでいたという。

tsu-1259その多聞櫓の説明碑があった。津城は土塀ではなく、多聞櫓が本丸周囲を全周かこっていたという。

tsu-1262北側の内濠と、北多聞櫓石垣。西側を見る。多聞櫓があったところは今はすっかり山林状態。

tsu-1265東側を見る。石垣の一番奥が丑寅三重櫓 跡。その正面あたりから内濠が埋め立てられてしまっている。本来は本丸の周囲すべて内濠が囲んでいた。

tsu-1268本丸北西の戌亥三重櫓跡へ。この石垣台の上にも、三重櫓が建っていた。

tsu-1270本丸の西側には、西ノ丸が土橋で繋がっていたという。今は日本庭園化されているとのことだが、往時は西ノ丸には番所や倉庫などが立ち並んでいたとか。

tsu-1272更に西へ進み、西ノ丸の一番北西端へ。このあたりも水堀が現存している。西ノ丸の中は背の高い木が生えまくりの森と化している。

tsu-1274北西端の遊歩道沿いに、津城跡北堀 の石碑が建っていた。水濠に沿って歩くのは、気持ちいい。ちなみにこのあたりは往時は二ノ丸にあたり、今は完全に都市化している(写真の右側には道を隔てて市役所が建っている)。

tsu-1279北西端から内濠沿いに南下。このあたりが南西端にあたる。内濠に架かる土橋を通って西ノ丸へ入るルートが見える。ここからお城公園へ入ろう。土橋は縄張図にあるとおりだが、その石垣はキレイな谷積みすぎるので、石垣は公園化の際の積み直しかもしれない。

tsu-1281土橋を渡ってお城公園内部(旧 西ノ丸)へ向かう。

tsu-1283土橋の上から土橋の東側の内濠を見る。この左側は現在は陸地になっているが、このあたりはすべて内濠だった。つまりかなり広い内濠の、西ノ丸沿いの一部のみを残したという形だ。濠の中で何か植えられている。

tsu-1284西ノ丸へ入る虎口へ。縄張図によると、向かって左側の石垣の上には二重の玉櫓が建っていたようだ。

>> 津城 [中編] へ続く。<<

訪問時期:2014年4月
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