竹中半兵衛の墓 : 平井山麓と栄運寺の墓所へ参拝

お墓を訪ねてシリーズ。

秀吉の名参謀 竹中半兵衛は、1579年(天正七年) 三木合戦の陣中に於いて僅か36歳の若さで病没した。その墓所は、秀吉本陣跡が残る平井山山麓と、山の反対側にある栄運寺の裏山に伝わる。ともに訪ねてみよう。なお竹中氏の菩提寺である美濃 禅幢寺にも半兵衛の墓が、父 重門・弟 久作の墓とともにある (訪問記)。

場所は、ここ(本陣跡山麓)と、ここ(栄運寺裏山)。


<訪問記>

名参謀 竹中半兵衛の墓は、三木合戦の最中だったということで、三木城跡の近くにある。とはいえ、歩いて行くと三木城跡最寄り駅である三木上の丸駅から北東へ約3km、40分はかかる。頑張って歩こう。

hanbei_grave-9415a513号線を北上していると、「竹中半兵衛の墓 →」と書かれた看板を発見。これは分かりやすい。逆にこの看板がないと、行き過ぎてしまうこと必至。ここを右折。

hanbei_grave-9416a-9428しばらく進むと、道なりに左へ折れ曲がるが、その手前に右へ入る小道が出てくる。

hanbei_grave-9417桜の木の下に、竹中半兵衛の墓 と書かれた案内板が立っていた。金網に囲まれた細い路地を入って行く。

hanbei_grave-9418a-9426路地の一番奥に土塀に囲まれたスペースがある。そこが、竹中半兵衛の墓所。立派な廟所という感じだ。いろいろ説明板も建っている。

hanbei_grave-9420まずは参拝を。近年造られたであろう立派な墓石が建っている。その裏には塚があり、大木が植わっている。元々は、こっちが墓だったのかもしれない。

hanbei_grave-9420a-9423墓石。竹中半兵衛重治墓、と書いてある。手前の墓石は色合いが新しいが、奥の墓石は古そうだ(字体も古い)。調べてみると江戸時代に竹中家が建てたものだという情報が出てきた。そして、よく見ると塚の手前には石積みもある。訪問時、墓前にはきれいな花が捧げられていた。地元の方の世話が行き届いているのだろう。

hanbei_grave-9420b-9424墓所内に3つも立っている説明板を1つずつ見ていこう。まずは近年つくられたっぽい「竹中半兵衛の墓」。すべての漢字にルビが振ってあり、地元の小学生でも理解できるようになっている。

hanbei_grave-9421そして昭和54年に立てられた古い看板。こちらは四百年忌記念の墓詩とある。漢詩だ。よく読むと、土を盛り上げた一つの塚が平井山の緑の中に包まれる、とある。やはり元々の墓は墓石の裏の塚だったようだ。なんとこの漢詩は天保年間(1830年頃)に詠まれたものだとか。

hanbei_grave-9422そして3つ目の看板は昭和48年の古いもので、かすれてしまって読みづらいが、半兵衛の半生とその功績が謳われている。この墓の維持のため、その昔から竹中山と称する山林1ヘクタールが村の山として残され、命日の6/13には村の老若男女が仕事を休んで供養を続けている、とのことだ。

hanbei_grave-9429墓所を出て振りかえると、ぶどう畑の奥にキレイに白漆喰が塗り込められた土塀で囲まれている墓所が見えた。特別な場所、という感じがする。なお、このまま左へ進むと、秀吉本陣跡の平井山付城へ。平井山付城 訪問記へ行く

hanbei_grave-9430a-9411さて、三木には竹中半兵衛の墓としてもう1つ伝わる場所がある。栄運寺というお寺の裏山にあるという。平井山の墓所から直線距離ではそれほど遠くない(山の反対側)なのだが、山麓に沿ってぐるっと廻ることができず(道がない)、山の少し南を流れる志染川を渡ってから山の反対側へ向かいまた川を渡り直して行かないといけないため、非常に時間がかかった。Googleルート検索でこんな感じ。のどかな田園風景の中を、延々と歩く。

hanbei_grave-9392約1時間後、ようやく栄運寺の手前に到着。歩きの場合、スマホでGoogleマップを見ながらでないと到着は不可能かと思われる。左前方の山麓に見える白い屋根の建物が、栄運寺。

hanbei_grave-9393道なりに右に進むのではなく、小山の間を通る細い路地へ入る。

hanbei_grave-9394道を登り切ると栄運寺の境内のようだ。道の右側に墓地が見えてくる。資料には「栄運寺の裏山に伝 竹中半兵衛の墓あり」としか書いていない。さてどこから裏山へ行くのか、というかどれが裏山なのか。

hanbei_grave-9394a-9407栄運寺。この奥に見える山が、かの「裏山」かとも思われたが、実は。↓

hanbei_grave-9395栄運寺境内に向かう登道の途中、右側に山に入る小道があり、そこに親切にも地元の方が手書きで「竹中半兵衛の墓」という看板を立ててくれていた!これがないとこの道を見つけるのは不可能だった。実にありがたい。

hanbei_grave-9396ボランティア友の会 作 竹中半兵衛の墓 案内板。栄運寺に行くまでの車道沿い(墓地が始まる手前あたり)にある。

hanbei_grave-9397しばらく、斜面を削った山道(切り通し)が続く。コンクリートの舗装道から、いきなりの山道。頑張って登ろう。

hanbei_grave-9398しばらく道沿いに進むと、分かりづらいが、写真左側に写る「→ 竹中半兵衛の墓」という看板を発見。この奥にあるようだ。墓所は山頂かと思いきや、意外と山麓の方だった。

hanbei_grave-9399奥へ進むと平坦に均された場所へ到着。どうやらここがもう1つの竹中半兵衛の墓所のようだ。

hanbei_grave-9400a-9406宝塔のような墓石。恐らく最上段(屋根)が落ちてしまったものと思われる。かなり古い感じだ。こちらにもキレイな花が供えられていた。

hanbei_grave-9401墓石に立て掛けられていた卒塔婆。左右に小さく日付と俗名が書かれている。

hanbei_grave-9402墓石の裏側には、天正七年六月十三日の日付と、卒塔婆と同じ戒名が刻まれている。

hanbei_grave-9403a-9400地元ではないが、死した場所でも住民たちに400年に渡り愛されている竹中半兵衛。なお半兵衛の居城は関ヶ原の北東、岐阜県垂井町の美濃菩提山にある。その山麓には竹中陣屋 (江戸時代の竹中氏の居館)跡、そして竹中氏の菩提寺 禅幢寺もある (訪問記)。そちらも必見。

訪問時期:2014年4月
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