鬼ノ城 [中編2] 崖ギリギリに建つ壮大な復元西門を間近で見る

鬼ノ城 [中編]kinojo_cover の続きです。

ビジターセンターを出てまずは西門を眺望できる学習広場(展望デッキ)へ。巨石の上に建つデッキから鬼ノ城の顔とも言うべき復元西門を見る。これが1300年も前に建てられていたのかと思って衝撃を受ける。では鬼ノ城跡へ向かおう。


<訪問記>

kinojo-9829a-9950展望デッキを出て、遊歩道を通り抜けて鬼ノ城 城内へ。入口は角楼と名付けられた展望台(左前)のところからとなる。

kinojo-9831角楼は展望台になっていたが、まずは奥に目立つ西門を目指す。ビジターセンターで見た「版築土塁」の高い壁の横を通る。確かにミルフィーユ状に突き固められた土の層が見える。

kinojo-9833復元西門の前へ。すごい迫力!ミルフィーユ土塁の一部が繰り抜かれていてそこが門になっているようだ。その上に二階と、更にその上に突き出た三階。カラフルな盾が威風堂々と飾ってあるが、これはビジターセンターで見たとおり、盾の柄を見せるために外側に貼り付けただけで、本来は内側に置くもの(盾なので)。

kinojo-9842土塁の外側は2mほどの土台が置かれていて、そのさらに外側には細い通路がある。通路の外は結構な断崖。言わば、標高400mの山の斜面の最上段に、巨大なミルフィーユ土塁と、更にその上に2階建ての巨大な門が建っているというわけだ。そのギリギリ感というか鉄壁の守り感を写真に写したいが普通に撮るとさっきの写真のように門だけしか写らないので、魚眼レンズで無理やり全景を撮影。土塁の手前には敷石がされている。門の入口が2mほど通路より上にある。

kinojo-9843a-9832敷石の先は1−2m程の幅の通路があるだけで、その先は結構急な斜面。そして奥にはこの眺望。

kinojo-9845西門の中を通って裏側へ。西門の上から眺望を…と思ったら、立入禁止になっていた。人が入るように設計していないため、法律上立ち入れられないとのこと。致し方なし、か。よく見ると土台のミルフィーユ土塁の内側は石垣になっていた。外側が土塁で内側が石垣というのは何だか変な感じ(戦国時代の感覚では逆)。

kinojo-9846西門跡 説明板。西門復元前の写真は土塁の一部のみが露出した形になっている。先ほど前から見たように、城門の入口が通路より高くなっている構造を「懸門 (かけもん)」と呼ぶそうだ。

kinojo-9847西門。内側の側面から少なくとも2階部分に入れそうな気もしたが、柵で封鎖されていた。

kinojo-9849もう少し俯瞰で西門を見る。角楼の上から。西門の上からは、まさに備中平野を一望だ。戦国時代、なぜ毛利氏などはこの鬼ノ城跡に城を造らなかったのか、当時はすでに木々に埋もれていただろうから、ここの存在が余り知られていなかったこと(歴史書にも載っていないので人々の記憶からも忘却されていたことだろう)、また400mはちょっと高すぎたことが原因か。ちなみに同じく備中松山城は標高430mあまりでここ鬼ノ城とほぼ同じ高さにある。

kinojo-9850西門から東へ向かう。このルートで城跡を一周しようと思う。西門の東側には、城壁に沿ってずっと敷石が敷き詰められていた。

kinojo-9853敷石の説明板。通路のためというよりも、雨水等が城壁を壊すのを防ぐためのものだとか。敷石は古代山城では鬼ノ城にしかないとか。歴史書にも載っていない(=歴史から抹消された)ことを考えると、他の古代山城とは違う部族により築城され、そして大和朝廷?に攻められ滅亡したのかもしれない。

kinojo-9856少し下に降りられる場所があったので、そのあたりから西門を見上げる。ミルフィーユ土塁の一部に石垣化されている場所が見える。戦国時代においても、信長の安土城まで3mを越える高石垣は実現しなかったというのに、その遥か昔に高石垣が構築されていたとは(恐らく復元したものだろうが)。ビジターセンターで売っていた、鬼ノ城跡に関する詳しい調査冊子?を買ってくればよかった。

kinojo-9857東へ進む。版築土塁による立派な城壁は姿を消し、このあたりは時折石積みが見られる程度の城壁となっている。通路は非常に細い。このあたりの下の斜面からは登ってくるのが不可能な感じなので、城壁もあまり堅固にはしていないということだろうか。

kinojo-9861 ここは第一水門と第二水門の間の土塁。水門自体は石垣の上に水を流す口があいた程度のものだったが、その間の石垣はずーっと続いていた。

kinojo-9860細い道にそってずっと続く石積み。石も野面積みというよりも、ある程度切り揃えられた石のように見える。

kinojo-9863もう少し進むと展望エリアのような場所へ。この崖の下は石積みになっておりパンフでは「高石垣」と書かれていた。恐らく往時はここに監視棟のような建物が建ち、敵の襲来を見張っていたのだろう。

kinojo-9869更に進むと、立派な石積みと敷石、そして木の柱で復元されたエリアに到達。ここは第2の門、南門跡だ。

kinojo-9870南門跡 説明板。規模・構造ともに先ほど見た復元された西門とほぼ同じといい、どちらが往時の正門だったのか、といったところらしい。

kinojo-9872南門の正面へ。門の外側には西門のように通路は整備されておらず、門跡のみの整備だった。向こう側からの写真を撮らなかったのが悔やまれる。

kinojo-9874南門からさらに東へ進むと、またも高石垣に守られた監視スペースがあった。門と監視棟が交互に設置されていたということだろう。

kinojo-9876一部、発掘されたときの状態のままであろうと思われる、通路に設置された敷石の残骸もあった。

kinojo-9877敷石が残るエリアを下から見上げる。この敷石の通路の先が、先ほどの監視エリアとなる。監視塔へ繋がる道に石が敷かれていたのだろうか。

城跡がかなり広く、また遺構も多く残る鬼ノ城。訪問記は当初4ページ構成を予定していたが、載せたい写真がたくさんあったので5ページに分けることとした。もう少しお付き合い願いたい。鬼ノ城、熱い!

>> 鬼ノ城 [中編3] へ続く。<<

訪問時期:2014年4月
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