備中高松城 [後編] 城主の首塚、胴塚、自刃地、家臣殉死地…

備中高松城 [前編] の続きです。蛙ヶ鼻築堤跡〜城址公園へ。水没かつ平城のためか殆ど城の遺構らしい遺構は残っていないが、数多く造られている水攻め時の高松城主 清水宗治公を偲ぶ遺跡を見て回ろう。

<訪問記>

b-takamatsu-9715城址公園内にある蔵風の建物は、資料館。入場無料、土足禁。

b-takamatsu-9719中は2階建て。1Fにある水攻め立体模型。近所の中学生たちが自由研究で作成したとのこと(現地スタッフ談)。水の深さによって青色を変えているところが芸が細かい。なかなかにわかりやすく迫力のある模型。なお大鳥居があるが昭和47年製なので往時はもちろんナシ。位置関係が(現地の人にとって)分かりやすくなるため設置したとのこと。

b-takamatsu-9721資料館2階にある、清水宗治公銅像。

b-takamatsu-9722a-9713資料館を出る。出たところに「水攻め音頭」なる歌詞が飾ってあった。メロディは「今様」。誰さま?と思ったら「いまよう」という平安時代からある歌曲の形式だとか(参考)。歌詞が5・7・5・7・5・7・5・7になっているのが特徴だとか。確かに。

b-takamatsu-9725a-9748資料館があるところから、蓮池に架かる小橋をわたって向こうの曲輪へ。橋の手前には「宗治蓮」の看板があった。昭和57年にここを史跡公園化するにあたって、沼を復元した。古来から本丸と二ノ丸の間には蓮池があったとされ、沼を復元したところ自然に蓮がまた生えてきたとのこと。歴史のロマンですなあ。ということで宗治蓮と命名したようだ。ということは、この先が本丸跡で、資料館があった手前の曲輪が二ノ丸跡か。

b-takamatsu-9726橋をわたるとすぐに灯籠と植木に囲まれた五輪塔があった。こちらは城主 清水宗治公の「首塚」。元々は首実検をした黒田官兵衛陣の近く、山の上にあったそうなのだが、ここへ移設したとのこと。

b-takamatsu-9727本丸内公園に立つ高松城水攻之図。いかにも史跡公園にありそうな絵馬堂の絵柄っぽい図にニヤリ。巨大堤防に囲まれ水没し、本丸だけがぽっかり浮かぶ高松城と、それを山上から見下ろす秀吉軍、といったところか。そして城からは小舟がやってきて、そこには清水宗治公の名が。まさに開城直前の様子というわけか。

b-takamatsu-9728a-9746その横には、清水宗治公 辞世の句を刻んだ石碑があった。「浮世をば 今こそ渡れ 武士(もののふ)の 名を高松の 苔に残して」。

b-takamatsu-9729a-9744本丸跡はこのように少し盛り上がる形になっていた。平城で水没して400年が経過しているので、どこまでが本丸だったかなどはもう誰にもわからないだろう。

b-takamatsu-9733本丸跡から少し北へ進むと、住宅街の中に「胴塚→」という看板を発見。トラクターなんかが停めてある住宅地の中を指さしている。

b-takamatsu-9734看板の指す方向へ進む。右手前に「胴塚→」という看板が見える。指差す方向は、明らかに地元の方の庭だが。。。?

b-takamatsu-9736史蹟 胴塚の由来。かなりリアルに書いてある。船上で自決した清水宗治公の胴体(首は刎ねられて首実検のため秀吉方へ)は、本丸に戻ってくる。家臣たちの手によりその胴はここ池下丸に葬られた。その際、船上で城主の介錯を行った家臣が墓穴の上で自刃し城主に殉じたという。眞情躍如か。実に壮絶だ。

b-takamatsu-9737胴塚。今は地元の方の庭先にあるようだ。合掌。

b-takamatsu-9752付近にはもう一箇所、史蹟 清水宗治公自刃之跡 がある。この石碑を頼りに、道を曲がる。

b-takamatsu-9755しばらく進むと、自刃の地の前に「ごうやぶ遺跡」という看板が立っていた。どうやら矢印が指す先にある大きな木が、ごうやぶ遺跡のようだ。

b-takamatsu-9756ごうやぶ遺跡。田んぼの真中に柵で囲ってある。

b-takamatsu-9758古い感じの史跡ごうやぶ説明板。このあたりは三ノ丸にあたり、城主 清水宗治公が自刃のために船出すると、僕たちが舟で後を追い、一足お先と言って刺し違えたという。壮絶。

b-takamatsu-9760そして ごうやぶ遺跡の少し奥の、高い樹木に覆われた一角に、清水宗治公自刃之跡 が残る。立派な五輪塔が立っていた。合掌。

b-takamatsu-9761a-9714おまけ:高松城址公園から西の方を見ると、遠くの山に一部白くハゲたような部分が遠いながらもハッキリと見える。現地の方によると、あれは謎の古代山城「鬼ノ城」(きのじょう) とのこと。鬼ノ城とは、遺構から6−7世紀頃に築かれたと考えられるのだが、古事記や日本書紀などの当時の文献に一切その名が出てこない(=歴史から抹消された)という、まさに謎に包まれた古代山城だ。日本100名城に選定されて有名になった。高松城跡を見学したあと、自転車でこのまま鬼ノ城へ向かうことにした。(山麓の公園までは問題なかったが、そこからの登山が大変だった…)

訪問時期:2014年4月
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