岡山城 [1/4] 大手側と搦手側で表情が全く異なる大天守へ。

岡山城は、戦国時代に当地を奪取した梟雄 宇喜多直家 の息子・宇喜多秀家 が豊臣政権化で大大名となり、1597年にこの地に6層天守を持つ近世城郭を築いたのが始まり。政権が豊臣から徳川に代わるに従い、岡山城主も宇喜多氏から小早川氏、池田氏へと変わっていき、都度 城も拡張されていった。維新後、内濠以外の濠は埋められ二ノ丸・三ノ丸は都市化により消滅したが、内濠の一部と本丸はほぼ残っていた。また建物類も本丸内には天守や幾つかの櫓・城門がそのまま残っていたものの、昭和20年に米軍の無差別爆撃でほぼ焼失。本丸内には櫓1棟のみが現存。昭和41年、鉄筋コンクリート製で外観復元の天守や城門等が再建された。

<基本データ>
●名称: 岡山城 (金烏城) (Wikipedia)
●所在: 岡山県岡山市 (マップ)
●築主: 宇喜多秀家
●築城: 1597年 (慶長2年)
●遺構: 月見櫓、石垣、曲輪、内濠
●関連: 岡山城HP岡山城のすべて

岡山城 訪問記 各ページヘのリンク:


<訪問記>

岡山城へは、南側の大手門から入るルートと、北の後楽園(岡山藩主が造った庭園、日本三大庭園の1つ)経由で搦手門(廊下門)から入るルートとがある。今回は後楽園を抜けて旭川を渡る搦手ルートで登城する。

okayama-8728特別名勝 岡山後楽園(こうらくえん)。水戸の偕楽園(かいらくえん)、金沢の兼六園(けんろくえん)とともに、日本三大庭園の1つ。岡山城と後楽園のセット券は通常560円だが、春と秋は城内で特別展をやるため共通券は販売していないとのこと。訪問時(2014.3)はちょうど春季特別展「黒田官兵衛の生きた時代」という “大河のっかり企画展” をやってた。特別展の期間中は天守だけで800円也。ちと、高い。

okayama-8732気を取り直して後楽園の中へ。天気は悪いが、そこそこお客さんが居る。さすがは日本三大庭園。後楽園の広大な土地の向こうに、岡山城の黒い天守が見える。

okayama-8735後楽園の見学は後回しにして、どんどん岡山城へ向かう。

okayama-8736後楽園の南門出口。ここから後楽園を出る(再入場可)と目の前は自然の水濠、旭川。川にそって右へ進むと月見橋がある。

okayama-8740月見橋の上から対岸の岡山城天守を見る。大天守は昭和20年まで現存していたが、ここも米軍の無差別爆撃で終戦2ヶ月前に焼失。昭和41年にコンクリート再建(外観復元)された。鯱は宇喜多時代に倣って金色にしたという。城内には櫓1棟が現存。あわせて幾つかの城門や土塀なども外観復元されている。

okayama-8742旭川を渡って、いよいよ岡山城城内へ。ここからが先がすべて本丸で、本丸の中が3つの段(天守のある上段、御書院のあった中段、今いる下段)に分かれているとのことだ。右前に見えるのは搦手門にあたる廊下門。ここから入ろう。

okayama-8744まずは廊下門。今は単独の櫓門となっているが、説明板によると往時はこの上の中段(表書院)と上段とを渡した廊下になっていたことから、廊下橋と呼ばれるとのことだ。天守再建と同時期、昭和41年に鉄筋コンクリート造で再建。

okayama-8745a-8798廊下門 説明板。城内にはカラー写真入りのこの説明板と、写真の無い古いタイプの説明板が併設されている。新しい説明板の写真を掲載する。廊下門の二階の廊下は城主専用だったとか。

okayama-8747廊下門の向かって右側の石垣。いかにも叩いて表面を整えましたという感じの石が、乱雑に積上げられている。打込み接ぎという方式だ。

okayama-8746小納戸櫓下の石垣 説明板。この上には小納戸櫓があるようだ。宇喜多時代のものではなく、江戸時代の池田氏時代に中段を増設した際のもの。刻印があると書いてあるが、見つけられなかった。

okayama-8751廊下門を越えて中段「表書院」へ。案内板の図面を見ると、中段エリアほとんどが建物だったようだ。今は表書院が現存していないので、だだっぴろい広場と化している。

okayama-8752a-8816中段から見上げる上段の天守。中段の地面にはどこに何の部屋があったかなどが記されている。かなりすごい御殿だったようだ。

okayama-8753a-8826中段には非現存の表書院の他に、周囲にいくつか櫓や門が建っていて、現存しているものもあるようだ。まずは本段の天守を見て、それから再度中段へ降りてきて中段の見学をしよう。上段へは一番奥から上がるので、まずは中段を横断。途中で見かけた3段の階段は、表書院の正門跡とのこと。

okayama-8759a-8829中段の一番奥にはまた大きな櫓門がある。ここから上段へ上がる。ただし説明板によると往時はここは常に閉まっている「開かずの門(不明門)」だったようだ。これも昭和41年のコンクリート再建。門左横の巨石に書いてあるのは「岡山中学の阯」。

okayama-8759b-8832不明門を渡って上段から見下ろす。出窓の左下は大きなヒビ割れが入っているのかと思いきや、よく見ると石垣から生えていた枯れ枝だった。よかった。

okayama-8760もう少し離れて上段から見下ろす。上の櫓が下の門に比べてかなり大きい! こんなに立派な門なのに普段は使われない不明門とは。

okayama-8760a-8756不明門前に立つ「岡山城の沿革」解説板。岡山城というかこの場所に城(砦)があったのはかなり昔からになるようだが、今見られる場所に天守を建てたのは、戦国時代に備中で勢力を誇った中国地方三大謀将の一人 宇喜多直家の実子 秀家が秀吉政権下で周辺国含め57万石(!)の大大名になってからのこと。その後 宇喜多秀家は関ヶ原で西軍に付いたため流罪、代わって関ヶ原東軍勝利のきっかけとなった小早川秀秋が入城するも2年で急死断絶、姫路城主 池田輝政の子 池田忠継が岡山城主となり、城を拡張していったという。

okayama-8761上段手前の方から見る岡山城天守。団体客が天守前に居たので植樹で隠して1枚。2層の大きな櫓の上に、3層にも4層にも見える望楼を乗せた、望楼型天守。と思いきや、パンフによると2層の櫓3つを上に載せた「3層6階」の天守とのこと。そう言われればそうにも見える。団体客が中に入ったようなので、もっと前に行って見てみよう。

okayama-8762a-8786天守真正面より。屋根の向きを見ると、2層の横長の櫓の上に、また2層櫓を載せて、さらに上に望楼を載せた構造を理解。鬼瓦と鯱瓦が金色をしているのでとてもメリハリが付いた色合いをしている。裏側(旭川沿い)から見る姿とはかなり印象が異なるのは、天守台の形に起因するものだろう。向こう側は尖っている(五角形)。

okayama-8763a-8788岡山城天守は正面から見るよりも、少し斜めから見たほうがカッコイイ。よく見ると、各屋根についている軒丸瓦が、上3層は金箔塗りだが、下3層は黒のままだ。窓の格子も下4層は白漆喰だが、上2層は黒いまま。上と下で全然違う印象を与えている。

okayama-8763b-8789更にもう少し斜めから。ちょっと斜めに傾きすぎ、手前の塩蔵が大きくなりすぎた。しかし立体感を感じる。正面から見ると断面がまっすぐすぎて立体感を余り感じない構成になっているのが、違和感の正体か。

天守は外観復元なので、中はコンクリート造り。歴史博物館的な中身になっているので、展示物は実際に入ったときに見て頂くとして(ケース内展示物は写真NG、他はOK)、眺望をメインにPart2で紹介する。

>> 岡山城 [2/4] へ続く。<<

訪問時期:2014年3月
撮影機器:SONY NEX-C3
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