姫路城 [2014/5 本丸封鎖中] 3/5

himeji-1_cover姫路城 [2014/5 本丸封鎖中] 2/5 の続きです。

三国堀から穴門「るの門」を越えて、本丸高石垣(扇の勾配)を見上げながら上山里曲輪へ。お菊井戸と、リの渡櫓とチの櫓で開催中の官兵衛の歴史館を見る。


2014/5 訪問。平成の大修理見学施設「天空の白鷺」の営業が1月に終わり、天守を覆っていた素屋根の解体が開始、ちょうど大天守最上階が現れた頃の城内訪問記。姫路城トップメニューへ戻る


<訪問記>

himeji-1694官兵衛の歴史館 つづき。有名な官兵衛の兜 銀白檀塗合子形兜(の複製)。銀箔の上に透き漆(透明度の高いウルシ)を塗っており、透き漆に混ぜられた朱が赤く見えるためこのような色合いになっているという。本物は、官兵衛が臨終の直前に重臣 栗山善助に譲り、その子が盛岡藩南部家に預りになった際に持参し、そのまま盛岡に伝わるという。その本物がGWまで姫路で開催していた大河ドラマ特別展に出品されていて、酸化が激しく黒ずんでいるがすごい存在感だった。

himeji-1695a-1700昭和の大修理の際に大天守の下から出土した軒平瓦と、上山里曲輪から出土した”天正二年”(=1574年)と彫られた瓦片。前者は秀吉築城の姫路城、後者はその前に建っていた官兵衛居城時代の建物に由来する瓦と思われるとのこと。

himeji-1698官兵衛時代の石垣パネル。現姫路城は秀吉築城の旧姫路城の上に建てられたが、秀吉時代の姫路城の石垣も幾つか再利用されており、それらが見られるスポット一覧が示されている。今いる上山里曲輪の石垣(下に降りてから見る)、二ノ丸北エリアの石垣が主に官兵衛時代の構築のようだ。(図中オレンジがそう)。ちなみにパネルでは官兵衛を英語表記で Kanbee と書いているが、これだと外国人はカンビーと発音してしまわないか心配。

himeji-1701櫓を出る。この角度から見る本丸石垣および天守群もなかなかの迫力。(今は見えないけど)

himeji-1702a-1651櫓の横には、姫路城大天守の歴代シャチホコが勢揃いしていた。見比べると、パッと見でも段々力強いデザインに変わっていっていることが分かる。

himeji-1702b-1647大天守の鯱 説明板。左端の江戸時代の鯱は3代目とのことで、幕末に近い1803年製造。明治の鯱は、昭和の大修理(昭和31〜39年)の際に入れ替えられたもので、1910年(明治43年)製造。そして右端の昭和の鯱は昭和の大修理の時に新たに造られたもの、とのこと。4代目も5代目も同じく昭和の大修理で載せられた(で今回降ろされた)もののようだが、左右で明治製と昭和製で違ってたということだろうか? ちなみに現存しないとされた2代目の鯱は昭和の大修理の際の解体で大天守3階の屋根裏から見つかったという。これも展示してほしかった。兵庫県立歴史博物館(姫路城の北)のロビーに展示されている3つの鯱の1つがそうかもしれない。

himeji-1712上山里曲輪を出て、ぬの門をくぐり、再度 三国堀の北側へ。左の石垣が本丸高石垣。右側に打込ハギの新しい石垣がある。

himeji-1713本丸北西の乾曲輪の石垣。弧を描くような形に積まれている。手前にちょっとだけ積まれている石垣はパンフによると江戸時代初期の補強石垣とのこと。リの櫓で見た案内板によると、補強石垣のあたりから向こうの石垣は羽柴時代に積まれたものとのことだ。そう言われると向こう側は比較的石が小さく、手前(池田時代)は大きい。

himeji-1714角度を変えて。一番高い部分が本丸、左側の一段低くなっているところは乾曲輪。

himeji-1715官兵衛時代の奥の石垣。上に土塀が残っていて、土塀に石落しが付いている珍しい構成になっている。

himeji-1726三国堀の北側にある「ろの門」。ここから乾櫓へ向かうことができる。この辺りの石垣は、明治以降に修復されたものとのことだ。

himeji-1728ろの門から乾曲輪へ行く前に、その向かいにある「いの門」を見ておこう。脇戸のついた小さな高麗門で、ここを出ると三国堀の北西端、菱の門の正面に出る。門は小さいけれど、菱の門から先を守る重要な門。

himeji-1731いの門 正面へ。柱や扉に鉄板が付けられた堅固な扉のイメージ。左右の石垣は明治以降に修復されたようだが、しっかり切り揃えられた巨石が積上げられている。

himeji-1732いの門 の軒丸瓦。池田氏家紋の揚羽蝶が揃っている。江戸時代初期からずっと付けられている瓦のようだ。軒丸瓦の間に付いている逆三角形の瓦は雨が軒の内側などに染み込まずまっすぐ下に落ちるように、下の部分が切られている工夫がなされている。

himeji-1734三国堀の北側にある井戸。城内には33の井戸が掘られていたが現在13が残っており、この井戸は深さ8.4m、水深2mの中型の井戸とのこと。深さ30mの巨大な井戸も残るという。

himeji-1735さて「ろの門」を越えて、乾曲輪へ。ろの門も石垣に挟まれた脇戸付きの小さな高麗門。

himeji-1736ろの門の正面には石垣の壁があり、まっすぐには進めない。パンフによると写真正面の石垣の一番左上の四角い石は石棺の転用石らしいが、芝生養生で立入出来ないので確認できず。

himeji-1737ろの門からヘアピンカーブを描くように坂道を上がった先に「はの門」がある。坂道と土塀と石垣と、その向こうに顔を出す天守。写真スポットだ。ひっきりなしに観光客が通るため、人がいなくなるまでかなり待った。

himeji-1753坂道をあがって「はの門」へ。狭い道の先にいきなり現れる2階建ての巨大な櫓門。また狭い通路を利用し、有事の際はここに土砂を埋めて封鎖してしまうという手段も考えられていたとか。

himeji-1754はの門の門柱礎石は灯籠の台石を転用して使っているようで、説明板があった。四角く切られていて、ちょうど良かったのだろう。

himeji-1757はの門を越えて乾曲輪の中央へ。だいぶ天守が近くに見えてくるようになった。しかし今回は工事のためここまでしか入れない。パンフだとこの先の「にの門」まで行けるような感じで書いてあったのだが残念。左側に見える石垣は秀吉時代の古い石積みとのこと。上の櫓は「にの門」の櫓部分で、つまりこの先の道は突き当たりを左に曲がってずっとまた上まで続いているということだ。

himeji-1758立入禁止エリアのぎりぎりまで前に進んで大天守を撮影。パンフはこの先の「にの門」のもう1つ向こうにある西北腰曲輪までが入城可能エリアとして描かれているので、工事が進捗すればいずれそこまで開放されるかもしれない。

乾曲輪にはもう1つ見所がある。それを見て、西ノ丸へ向かおう。

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訪問時期:2014年5月
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