津山城 [中編2] 本丸北西の搦手道は複雑な構成の石垣

津山城 [中編] の続きです。二ノ丸から本丸へ上がり、木造復元された備中櫓へ。本丸御殿のような総畳敷の備中櫓を見た後、櫓の奥から天守台のある天守曲輪へ向かう。

<訪問記>

tsuyama-8958天守曲輪の中央には立派な天守台がある。写真は南西端から。入口はちょうどこの反対側の北東端にあるようだ。当時は、五重の”破風なし”層塔型天守だったとのこと(こんな感じ)。津山城は備中櫓に続き、石垣の復元工事や発掘調査などが随時行われているので、いずれこの天守も再建されるかもしれない。

tsuyama-8959天守曲輪には「多門櫓」の説明板が建っている。古絵図によると、天守曲輪の外側(本丸に隣接する東側以外の三辺)には多聞櫓が設置されていたようだ。上の写真で、地面が舗装されている部分が多門櫓跡とのこと。

tsuyama-8961北へ移動して、北西端から見た天守台。

tsuyama-8962天守曲輪の北西端には七番門と呼ばれる天守曲輪への入口があった。発掘調査により当時の姿がビシッと整備再現されている。

tsuyama-8963七番門と虎口 説明板。七番門から二ノ丸へ降りる道は途中で何と3mの石垣をはしごで降りるという形になっていたそうで、敵が攻めてきたら文字通り「はしごを外す」ことで侵入を防ぐ構造になっていたという。それにしても津山城跡、あちこちで発掘調査をしてその結果を露出展示やこうして詳細な説明板を設置してくれており、とても素晴らしい取り組みをされている。

tsuyama-8964北西端から東へ向かい、天守曲輪の北東端へ。天守台への石段が見えてきた。よく見ると、天守台の石垣は打込ハギ(石を叩いて表面を整えているが形はマチマチ)だが、石段左横の石垣は切込ハギ(石を四角くキレイに切って形を整えている)。つまり石段は天守台が出来た頃にはここにはなく、後でこのルートが整備されたことを示している。と思う。

tsuyama-8965石段を上り、天守台の内部へ。天守はいわゆる地階があったようだ。

tsuyama-8966天守台内部から天守台上を見る。天守が建っていた頃は天守内の木の階段を使って上層に上がっていたようで、この「天守台に設置された石段」は後日 公園化された際に設置されたものとのこと。

tsuyama-8971天守台の上から見下ろす備中櫓と五番門南土塀。津山観光協会HPによると、築条当初は備中櫓方面から天守へ直接向かう道があったらしく、今備中櫓の前にある石垣には4mほどの通路が開いていたとか。その後 防御性を高めるため?か、ぐるっと回りこまないと辿りつけないルートに変更され、この石垣の通路も埋められてしまったという。よーく見るとこの石垣には通路跡と思われる算木積みの部分があるらしいが、現地では気づかず。これから訪問される方は是非確認していただきたい。

tsuyama-8972天守台 説明板。明治7年頃まで建っていた天守の古写真が満載だ。と思ったら、右側中央列の写真には破風が一杯付いている。これは昭和11年に建てられた観光用の「はりぼて天守」の写真で、戦時中に爆撃目標にされることを懸念して終戦直前に壊されたとか。

tsuyama-8974天守台の上から天守台内部を見下ろす。

tsuyama-8989さて天守台を降りて、東に隣接する本丸へ移動。本丸北側〜東側を散策しよう。本丸中央は緑が植えられ庭風になっているが、当時は本丸御殿などが建ち並んでいた。奥の石垣は太鼓櫓跡。

tsuyama-8991腰巻櫓跡。本丸中央付近から二ノ丸の北側へ抜けるルートを守る櫓跡だが、他の修復され美しく再生された石垣に比べると、当時のままの石積み感が出ている。津山観光HPによると時期未定だがここも修復対象に入っているようだ。

tsuyama-8992腰巻櫓跡の横には二ノ丸北側へ抜ける道がある。本丸へ入ってきた表鉄門ルートが大手道だったので、こちらは搦手道だ。石段を通って二ノ丸へ降りてみよう。ちなみに説明板はなかったがこの石段の手前にも裏切手門という門があったようだ。

tsuyama-8993石段途中にあった裏鉄門 説明板。幅8m、奥行き4mの大きな櫓門だったそうだ。

tsuyama-8995石段を降りて裏鉄門跡へ。地面に埋められている四角い石が門の礎石(位置を示すプレート?)だろうか。石段の向こう側に本丸との中間ぐらいの高さの石垣台があるが、これは少しでも本丸を広くするために後で追加されたスペースとのことで、本丸からははしごで移動していたとのこと。

tsuyama-8996裏鉄門跡下から見た、腰巻櫓跡。奥の高い方の石垣が七間廊下の櫓台で、手前の少し低い方が腰巻櫓台。なぜこうなっているかというと、この手前の腰巻櫓台の石垣は明治23年に崩落していて、手前の低い部分のみ積み直したためこのように別れてしまったとのこと。古写真を見ると元々は腰巻櫓の石垣のほうが高かったとか。(参考

tsuyama-8997裏鉄門跡から更に石段を降りて二ノ丸へ向かう。一段上は先ほど居た場所(本丸と二ノ丸の間の帯曲輪的な場所)、一番上の石垣が本丸。結構降りてきた。下から見上げるとこのように複雑に入り組んだ構成の石垣になる。緑に苔むした石垣感もイイ。

tsuyama-8998二ノ丸へ降りてきた。ここは裏中門跡となる。

>> 津山城 [後編] へ続く。<<

訪問時期:2014年3月
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