松江城 [後編] 水ノ手門跡の巨大”食違い”石垣は必見

松江城 [中編] の続きです。天守内をじっくり見て回り、天守を降りてきた。次は本丸の石垣を見るべく三ノ門跡から本丸の高石垣に沿ってぐるっと回ってみよう。

<訪問記>

本丸から降りて、三ノ門跡前へ。

matsue-8672左の高石垣は本丸 武具櫓跡。雨で濡れていることもあるが、黒くてゴツゴツした力強い野面積み。この上には、2階建てで天守以外で城内最大の櫓が建っていたという。三ノ門、二ノ門、一ノ門に一番近いことからまさに防衛の要の位置にある。

matsue-8673 石垣に沿って北へ進んでいくと石垣が折れ曲がっている。横矢掛けといって、石垣をよじ登ろうとする不届き者敵兵を横から射るための構造。この膨らんだところの上には、祈祷櫓/荒神櫓/東之出し櫓(呼ばれ方が文献により色々あるようだ)と呼ばれる2重櫓があったそうで、門を通らずこの石垣をよじ登って直接天守へ来る敵から守るための設備だったとか。この櫓には面白い伝説があって、ある城主が入国して初めてこの櫓に登った時に美女の亡霊が現れ「この城は私のものだ」と言ったとか。そこで城主はとっさに「コノシロが欲しいのなら漁師に獲らせよう」とボケると、亡霊はすっと消えたという。(「この城(=松江城)」と、魚の「コノシロ」をかけたボケ)それ以来この櫓にはコノシロ(鮗)を供えていたとか。

matsue-8674 本丸の北側には一段低くなった通称「腰曲輪」が付いている。腰曲輪の石垣は隅石もあまり加工されておらず少し時代が古い感じがする。

matsue-8675しばらく進むと道の右側(二之丸下ノ段側)に大きな「馬洗池」が見えてくる。

matsue-8676馬洗池の正面(西側)にある大きな石垣が、松江城 搦手道(からめてみち=裏道)にあたる「水ノ手門跡」。復元石垣とのことだが、門跡にしてはかなり立派すぎる高石垣に驚かされる。この水ノ手門はかなり厳重に出来ていて、道も右・左と2回曲がらないと上の腰曲輪まで辿りつけないようになっている。古絵図によると時代によってこの水ノ手門の構造が違っていて、正保城絵図の頃(17世紀中旬)はまだただの一直線の門だったのが、100年後の18世紀に描かれた絵図を見ると今のように食い違い虎口になっている。つまり江戸時代の途中で大幅に作り替えているのだが、それを示す証拠の1つとして、石垣の積み増し跡が見られるという。写真の右のほう、一番の高石垣の中段ぐらいに角石のような四角く整形された石が積み上がっている縦のラインが見える。

matsue-8678水ノ手門跡をアップで見る。この角度から見ても、奥の腰曲輪の様子が分からない食い違いっぷりが見て取れる。また手前の高い石垣は横矢掛けのためのもので、敵が城内に弓や鉄砲を撃つ際に左半身になったところを、ここから正面攻撃できる。このように、いわゆる「城内から見て右側に折れ曲がる」虎口を「順の食違」と呼んで高い防御性を誇ると軍学では言われるらしい。なお門自体は2回曲がった後の一番奥にあったようだ。

matsue-8680水ノ手門へ進んでみる。確かにここから正面の敵を射ようと弓を構えると右側の石垣の上から狙い放題だ。

matsue-8681水ノ手門を越えて本丸北の腰曲輪へ。ここも縄張り図によると周囲を塀で囲まれた結構広い曲輪だったようだが、今は整備された道以外は草木が生え放題だ。

matsue-8683腰曲輪から見る天守。いいところに高い木が生えていて、うまく見えない。古絵図を見るとちょうどこの天守の北側(後ろ側)にあたる部分には石垣の上に土塀が巡らされていたようだ。

matsue-8685腰曲輪から本丸へは、腰曲輪一番奥にあるこの北ノ門から入る。今は簡易な冠木門だが、当時は搦手を守る立派な門が建っていたようだ。

matsue-8688北ノ門から本丸へ入るとすぐ右側に大きな櫓台跡が残る。本丸の北西端にあたるので、その名も「乾隅櫓」(いぬいすみやぐら)。

matsue-8687乾隅櫓方面から見上げる松江城 天守。正面からの姿とは、千鳥破風(中央にある三角の屋根)の位置が微妙に異なるが、ほぼ同じ雰囲気の顔だ。天守によって、どの面から見ても同じような顔のものもあれば、東西と南北で全然違う場合もある。

matsue-8691真横から見上げる。天守台石垣の上部と下部とで石の色合いが異なるのは、解体修理を行ったときに石垣も積み直したためだろうか?

matsue-8692南西方向から見る。ここまで来ると木やボンボリがあるのでちょっと見づらくなるが、姿としてはやはり前の附櫓が入ったほうが美しい。

matsue-8705最後にもう1度、正面から超広角で。電線は地面に埋めてください! (切実)

matsue-8708a-8712さて本丸を出て、南隣にある二之丸へ向かう。二之丸は内部に政治を行う建物群(御廣間、御書院など)があり、周囲には土塀および櫓が囲っていた。これらの建物は全て明治維新後に破壊されたが、近年 3つの櫓が古写真等を参考に復元された。それらの復元櫓を見ていこう。

matsue-8709奥から。まずは南櫓。一番南の隅にあった二重櫓だ。装飾があまりなく無骨な印象を受ける。

matsue-8710南櫓 説明板。櫓の用途は判明していないそうだが、南東方向監視のための櫓だったのではとのこと。威圧感を与える無骨な外装も頷ける。

matsue-8711続いて「中櫓」。こちらは平屋(一重)だ。説明板によると「御具足蔵」とも呼ばれ、恐らく武具などをしまっておく蔵だったのではとのこと。

matsue-8713一番北側にあるのが「太鼓櫓」。その名の通り、太鼓を打って時を知らせる建物だ。登城の時刻および非常呼集の際にも用いられたという。3つの復元櫓のうち、太鼓櫓だけ扉が開いていて中を見る事ができた。

matsue-8714太鼓櫓の中。三つ巴の紋が入った太鼓が置いてある。表面がピカピカなことからも分かるとおり、この太鼓も櫓同様 “復元品” で、江戸時代に使われていた現物は廃城の際に市内の阿羅波比(あらわい)神社に寄贈され、現在は天守内に展示されている。建物の内装もしっかり造ってあった。

matsue-8715a-8707おまけ:一ノ門前に、雨天にもかかわらず御登城されていたお侍。カメラを構えるとポーズを取ってくれた。手には二十四本骨傘。”わかえ若武者隊”の方で、公式ホームページによると彼は「出雲修理」殿のようだ。熱い!

松江城。さすがは日本が誇る築400年超の現存天守、黒を基調にしたドッシリ構えた勇壮な外観だけでなく、包板による独特な雰囲気の太柱や桐の階段など内装も訪問者を江戸時代へ連れて行ってくれる雰囲気満点。また天守だけでなく他にも城内には超立派な高石垣やほぼ現存する内堀など、見るべきところは多い。天守が国宝でない(重要文化財)ことを気にしているようだが、”国宝”という称号を得るためではなく、国内や世界からの訪問客に松江城は日本の宝だ!と思ってもらうために、保存整備復元の活動を頑張って頂きたい。あと ぼんぼりの電線は埋めて下さい!

訪問時期:2014年4月
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松江城 [後編] 水ノ手門跡の巨大”食違い”石垣は必見” への2件のフィードバック

  1. 私も昨年撮影に行きました。北側から登城されるとは、流石です。掲載されている写真の均整な構図が、勉強になりました。

    1. 徳田さん
      コメントありがとうございます。松江城はなかなか写真映えのする美しいお城でした。雨で全エリアを回りきれなかったので、またいずれ再訪したいと思います。写真についてはまだまだ私も修行中です。WBや露出は後で修正が効きますが、おっしゃるとおり構図とフォーカスは撮る時の一発勝負ですので、特に意識して撮影しています。写真お互い頑張りましょう! またお越しくださいませ。

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