松江城 [中編] 天守内の柱は鎹と鉄輪で補強された独特の姿

松江城 [前編] の続きです。大手前木戸門跡から入城し、二之丸下ノ段、三ノ門、二ノ門、一ノ門(復興)を通って本丸へ。いよいよ山陰唯一の現存天守へ。

<訪問記>

matsue-8587美しい天守の姿をあちこちからしばし見てから、天守へ入ろう。少し天守へ近づくとその迫力が更に増してくる。下層の櫓部分は黒い下見板張りだが、上層の望楼部分は白漆喰だ。そして入口を守る附櫓は白と黒の二色構成。面白い。ボンボリを照らすためとはいえ、電線を張るのは如何なものか。

matsue-8589更に近寄り、ボンボリが天守に干渉しない位置まで来た。附櫓には大きな石落しが付いている。ところで鉄砲や大砲の時代になりつつあった江戸初期において、石落としは城防衛の観点でどれぐらいの効果があったのだろうか。火縄銃は下向きに撃てない(火薬を載せた皿から火薬が落ちてしまうので)のだが、矢は射られる。石落としという名前だが、実際は石を落とすのではなく矢を射てたのかも? あるいは槍で突くとか。どちらにしろ真下の石垣に張り付いた敵が死角にならないよう攻撃する手段の確保が必要で、そのために名前はともかく”石落とし”は必要か。そして、またもや宙を這う電線が邪魔。

matsue-8593天守正面へ。斜めから見た時は正面入口にある附櫓は端っこについているような感じがしたが、正面から見るとちゃんと中央に付いていることが分かる。左右対称の美。そして石落としの下にある鉄砲狭間や矢狭間(中央の縦長の穴)がよく見える。

matsue-8596さていよいよ天守内へ。まずは附櫓から。附櫓の中は入ってすぐ階段があり、階段の前で靴を脱いで(現存なので)城内へ入る。写真は階段上の受付とお土産コーナー。お土産コーナーの奥に行くと先ほど見た石落としや狭間が内側から見られる。

matsue-8597a-8661附櫓から天守へ入ると、まずは石垣の内部、いわゆる地階へ入る。パンフによるとここは貯蔵庫だったようだが、今は城の設備・建材にまつわる展示コーナーになっている。中央の井戸は飲料水を賄っていた城内井戸。深さ24m。城内に井戸を作るということは、戦いが起きたら城を枕に死ぬ覚悟と見受けられる。

matsue-8599地階展示物の様子。築城時のもので、戦後の解体修理工事の際に再利用は不可と判断し取り替えてここに展示しているそうだ。暗くてよく見えないが、奥には取り外された懸魚なんかもズラリ。また堀尾氏の「分銅紋」が刻まれた柱などもあったそうだ。手前に横たわる柱がそうなのだが、暗くて遠くてよく見えず。実はこの紋、パンフによると分銅紋に「富」の字が入っていて、伝承では松江城築城の際に月山富田城の部材を転用したとあり、この「富」は「月山富田城の部材」を表すのではとのこと。すごい。

matsue-8600 旧鯱の現物も飾ってある。今の天守の上にあるのは昭和30年の修理時に作り変えたものとのこと。高さ2m、銅板張りの松の木製。

matsue-8606さて階段を通って天守1階へ。御多分に漏れずツルツルに磨いてある。スリッパは使わないほうがいい。手すりが木製なのはイイ感じ。

matsue-8607a-8658天守1階。甲冑の展示場のようだ。奥には戦国時代製の冑(兜)がずらり。それよりも気になるのがちょっと変わった柱。細い鉄板が巻いてあり、巨大なホッチキス芯のような鉄釘(鎹 [カスガイ])がたくさん打ち込まれている。柱の周囲に厚い板を張って固定しているようだ。パンフによるとこれは「包板(つつみいた)」と呼ばれる技法で、出雲大社本殿や東大寺大仏殿などでも同様の技法が見られるとか。天守内308本の柱のうち130本にこの補強が施してあり、割れを隠したり体裁を整えたりするためのものだという。ちなみに松江城天守には姫路城天守のような上から下まで貫く心柱は無いそうだ。

matsue-8607b-8655こちらは具足コーナー。ガラスケースの中に見事な甲冑が展示してある。

matsue-8617その内の1つ。紺色の糸を使った”紺糸威”(こんいとおどし)で、足元のプレートを見ると何と「伝 後藤又兵衛 所領」とのこと。すごい!…が、なぜ松江に後藤又兵衛?

matsue-8621 松江城 天守雛形。江戸時代の修復工事の際に当時の藩主 松平氏御抱大工の竹内有兵衛が修築方法研究のために造ったものとのこと。修築後、この雛形は御月見櫓に納められ、歴代藩主が天守登閣の際は必ず見るようにしていたらしい。明治になって神社に奉納され、昭和の解体修理工事の際も貴重な資料として役立ったという。現代にも通じる精密模型。江戸時代の大工すごい。

matsue-8623天守2Fへ。階段横の柱は、包板が無く柱がむき出しだった。

matsue-8626天守2階。フロア中央に巨大な松江城下町の模型が展示されている。模型よりもこの天井を横切る梁に目を見張る。鎹だらけの特徴的な柱は段々ミイラ男のようにも見えてきた。

matsue-8627城下町模型の他にも、瓦などが展示されている。

matsue-8629 変わった鬼瓦。鳥衾(とりふすま)と呼ばれる鬼瓦の上に乗せる家紋入りの瓦も展示されていた。築城当時の五三の桐紋や、松平氏時代の三葉葵など時代により家紋が異なる。

matsue-8632天守3階へ。ここまでは下層の櫓なので階段も広い。防火防腐のための珍しい「桐の階段」だとか。

matsue-8640天守3階。望楼部と櫓部の接続部分にあたるようで、角の方は屋根の三角部分がそのまま見えていた。特に展示物はなく、よくある各名城の写真が飾ってある程度。柱や天井、梁、床板など、天守自体が文化財で展示物ということだ。

matsue-8641a-8654意外と広い屋根裏部屋という感じ。この上は望楼最上階になるが、階段は中2階を通ってあがる構成になっていた。夏休みなど観光シーズンに大量の観光客が来てもさばけるよう、下層から上がってくると柵に沿ってぐるっと回って中央の階段部分へ行くような導線になっていた。

matsue-8642望楼へ向かう階段。今までの階段よりもかなり狭く、また急なので係員が居て上りと下りを交互に誘導していた。訪問時は階段の上下に10人ほどの待ち行列が出来ていたが、しばらく待って列が途切れた瞬間に撮影。

matsue-8642a-8650松江城 最上階。廻縁は無いが四方が見渡せるよう大きな窓が付けられている。ここも訪問時は大量の訪問客が居たが粘ってうまく観光客が視界から消えた瞬間に撮影。籠城のための天守には珍しく、フスマを入れるための溝がある。

matsue-8643天守望楼からの眺望。雨で雲は分厚いが見晴らしは良かった。南向きなので、正面奥には宍道湖が見える。

matsue-8663天守を降りてきて、天守をもう1度振り返る。ど真ん中に花頭窓が付いている。天守台の向かって右側は少し盛り上がった土塁になっているようだ。

matsue-8664a-8592本丸の周囲には土塁と一部低い石積みが残っていて、そこには「多門跡」の碑があった。恐らく「多聞跡」のことだと思うが、松江市HPの資料によると本丸は多聞櫓と土塀が周囲を囲っており、天守の他に二層櫓が7つも建っていたようだ。

>> 松江城 [後編] へ続く。<<

訪問時期:2014年4月
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