三木城 [2/2] 別所長治公の首塚へお参り。

三木城 [1/2] の続きです。

神戸電鉄 三木上の丸駅から歩いてすぐの三木城跡公園(本丸跡)を散策。天守台および数多の説明板、井戸遺構や別所長治公の騎馬石像を見た。続いて二ノ丸跡へ向かう。


<訪問記>

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二ノ丸跡は図書館等になっているようだ。図書館への看板を発見。年季が入っている。

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敷地内に入ると、一層古い建物があった。これは図書館ではなく旧校舎とのことで、今は看板にあるとおり埋蔵部下財展示室となっている。入口横のパイプむき出しの水道が懐かしい。

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図書館(右のレンガ風の建物)へ。建物自体はキレイなものだが、その横のスペースに遺構の看板を発見。特に遺構らしき物体は見えないが…?

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三木城二の丸遺跡と備前焼大群 説明板。このあたり一帯は二ノ丸跡にあたり、櫓が建っていたとか。発掘調査の結果、堀跡・井戸跡・瓦・備前焼大甕群を埋設した穴が発見されたという。食料貯蔵庫だったとのことだが、ほとんどが空だったことから秀吉の干殺しが効いていたことが分かるとのこと。

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ここに看板が立っているということは、このあたりの地下から出てきたのかもしれないが、現状はそれが分かる状態には一切なかった。看板説明のみ。残念。

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図書館の中へ。二階で三木合戦に関する展示スペースがあった。三木合戦鳥瞰模型。真ん中のノボリが立っているところが三木城とその要害群、手前と奥の山に立っているのが秀吉の包囲網。なお秀吉本陣(平井山)は写真には写っていないが右上の端っこにあった。

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三木城跡からの出土品も一部展示。軒丸瓦、軒平瓦など。ここに、たしかに、お城があったことを示す貴重な証拠。他にも合戦に関するパネル展示や朱印状写しなどを展示していた。図書館なので閲覧無料。

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図書館(二ノ丸跡)には遺構はなさそうなので、そのまま南へ進む。まずは、別所長治公の首塚が残るという「雲龍寺」へ。なかなか立派なお寺。

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長治公と雲龍寺 説明板。元々雲龍寺は三木城内にあり、当時の建物は戦火で焼失したとのこと。説明板によると、長治公自害の際、雲龍寺住職が招かれ、愛用の天目茶碗などを形見として送り後事を託したという。地図によると、首塚は境内ではなくこのまま道を南進した先にあるようだ。

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雲龍寺 境内へ。立派なお寺です。

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雲龍寺 山門から少し南へ。大きな桜の木の横に、三木城主 別所長治公首塚 の石碑が。ここにあるのかと思いきや、ここは入り口?にあたる場所のようで、実際の首塚は地図によるともう少し先の模様。

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ぐるっと回って駐車場へ。別所長治公首塚の看板を発見。この一段あがった先がそのようだ。

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首塚 周辺。首塚(五輪塔)だけでなく、色いろあるようだ。順に見ていこう。

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まずは大きな門とその向こうにある首塚。

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こちらが長治公 および夫人の首塚。首実検の後、雲龍寺の住職が首を貰い受けて、ここに埋葬したと伝えられるとのこと。合掌。

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首塚由緒碑。古い碑のようにも見えるが、よく見ると昭和34年に三木市長建立とある。文字が薄くて読みづらいが、実は…↓

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首塚の前の門内に掲げられている切株を利用した看板。実は先程の石碑と同文がここに書かれている。長治公の首は秀吉の陣地から何と安土の信長の元にまで送られ首実検されたようだ。その後ここ雲龍寺和尚が安土から首を持ち帰り埋葬祭祀したという。この首塚は、先ほど見てきた天守台の辞世歌碑を昭和17年に建てた際に、あわせて補修したようだ。

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首塚の横にはここにも長治公の辞世の句碑が建っていた。

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もう1つ、昭和48年に作られた銅板による由緒の記というものもあった(壊れてるけど)。昭和17年に首塚が修復されたが、更に昭和48年に浄財(寄付)によってこの石垣の一部を復元、あわせて夫人の合祀も行ったとのこと。

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さて首塚を出て、観光案内所で貰ったパンフを見ていると、城跡からは少し離れているが、川の向こうの三木市民病院の裏手あたりに、激戦地 平田大村合戦 で戦死した淡河弾正の墓などがある史跡公園があるとのことなので、散策がてら訪問。かなりわかりづらい場所だったが、市民病院裏にある喫茶美保の横の道を進んだ先に公園を発見。Googleマップだとココあたり。入口の石柱に武者の絵が描かれてます。

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八幡森史跡公園、という名前のようだがGoogle検索してもあまり情報は得られず。こちらが公園全体像。手前にいわゆる児童公園(遊技などを設置)がある。

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史蹟 淡河弾正(おうごだんじょう)戦死之趾。淡河弾正は神戸市北区あたりにあった淡河城(おうごじょう)の城主で、三木城別所長治とは姻戚関係にあった。知勇すぐれた武将であったとされ、有名なエピソードとしては秀吉軍(大将秀長)が淡河城に攻めてきた時、予め用意していたメス馬の大軍を放ち、秀長軍の騎馬が興奮して大混乱した隙をついて脱出したという話がある。その後、平田大村の合戦で戦うも敗れ、撤退途中のここ八幡森で自刃したという。

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隣には、その平田大村合戦(天正7年9月10日)での戦死者を弔う石碑が建っていた。平田大村合戦は、三木城に兵糧を搬入したい毛利方と、運び込みたい三木城兵が、同時に平田大村地域を襲撃し、両軍ともに名だたる武将が討死した激戦で、八百余人が亡くなったという。

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三木上の丸駅へ帰参。おつかれさまでした。単線なので神戸までは何度も駅で対向列車の待ち時間が発生した。近いけど意外と時間がかかる。余裕を持って出かけよう。

三木城跡は遺構は少ないものの、街のあちこちに三木合戦の様子などを記した説明板などがあり、町をあげて三木合戦の地としてアピールしている様子が伺えた。近くには秀吉本陣だった平井山付城や、陣中で亡くなった竹中半兵衛の墓(2箇所ある)など、見所も多い。(平井山付城半兵衛墓にも訪問済、別記事で掲載予定) あと三木といえば刃物(金物)ということで、お土産に「肥後守」のいいやつでも買うかと城跡近くにある金物資料館に行くも展示メインで殆ど販売はしていなかった。係の人に伺うと、三木は製造の町なので店がない、買うんだったら”道の駅みき”まで行くと専門店がありますとのことだった。歩いて行くにはちょと遠い。またの機会に。

訪問時期:2014年4月
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三木城 [2/2] 別所長治公の首塚へお参り。” への2件のフィードバック

  1. 神戸電鉄で大村駅に行くと近くに、平田の陣で討死した秀吉方の武将
    谷大善の墓もありますよ。 (秀吉武将 谷衛友の父で衛友も同じ陣で奮戦したらしい。)

    電鉄沿線の小野市は江戸時代には、三木包囲網にも名の有った、一柳氏 一万石の領地でした。

    1. ほのぼのさん
      コメントありがとうございます。
      平田の陣(平田大村合戦)では両軍とも多くの犠牲を出したとのことですが、秀吉方の墓も残るんですね。隣の三木駅付近までは歩いていっていたのですが、見逃しました。
      情報ありがとうございます。近くに行った際は再訪して、更新したいと思います。

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